第18話 うちにいたらいいじゃん
「それで――」
ギゼムが苦笑する。
「オルティが兵士になったら、わたし、どうするですかね」
何のことはなく「うちにいたらいいよ」とユングヴィが言った。
「でも、わたしも、王女、できないですね? わたしも
いつになく不安げな声で「どこかはたらけるですか」と問う。
「わたし、あまり器用ないです」
ソウェイルが「そうだなあ」と呟くように言う。
「オルティにはしばらく白軍の軍学校の寄宿舎に入ってもらわないといけないし、お姉さんとは当分いっしょに暮らせないと思う」
「足、ひっぱりたくないですね。一人ではたらくところ、おしえてほしいです」
懇願するギゼムに、ソウェイルが困惑した様子を見せる。
「えーっと……」
ユングヴィが口を挟んだ。
「だから、うちにいたらいいじゃん」
彼女は落ち着いた笑顔だ。
「グルガンジュ王国の王様の娘であることを――家のことを捨てられたら体裁がいいんでしょ。アルヤ王国民の私の家に入ればいいんだよ」
ユングヴィの隣で、サヴァシュが「めちゃくちゃ嫌な予感がする」と呟いた。
「サヴァシュと結婚してよ。うちの第二夫人になれば解決だよ」
オルティは唖然としてしまった。
確かに、ひとの嫁になればもう王族としての身分はない。
それにチュルカ平原でも強い戦士の男が複数の妻を持つのは普通のことだ。オルティ自身の父親も十人の嫁がいてオルティはその全員を継母として慕って生きてきたのである。
だが、サヴァシュにとってはユングヴィこそ何にも替えがたい妻なのだ。
そのユングヴィが、新たに妻を迎えるよう言うのか。
オルティだけではない。ソウェイルも口をぽかんと開けて喉の奥から「はあ?」と声を出している。
「ユングヴィ、自分が何言ってるか分かってる?」
「分かってるよ。家族が増えるってことでしょ。いいじゃん。私が仕事してる間に家のことを見てくれる嫁が他にいたら安心だもん」
愛しそうに自分の腹を撫でて「それに今私こんな体だし」と微笑む。
「私にはサヴァシュを独り占めする気はないからさ」
サヴァシュが口を開いた。
「いくら第一夫人と言っても、妻が増えたら一緒にいる時間は減るぞ」
「そんなもんじゃないの?」
オルティはやめてほしかった。
世界で唯一の恋女房、という言葉が、頭の中をぐるぐると回った。
「あのね」
ユングヴィは穏やかな表情をしている。
「お金のある男の人は、一人でも多くの女の人を養った方がいいよ。家もお金もない女の人を一人で放り出すなんて絶対だめ。余裕がある人が、余裕のない人を、助けなきゃ」
ユングヴィにとっては、結婚することは富める者から貧する者へ与えられる最高の祝福なのだ。施しであり救いなのだ。
「俺の意思は無視か」
そうは言いながらもサヴァシュの声も落ち着いてはいる。
「信じてるからね」
ユングヴィは笑っている。
「世界で一番信頼できる男の人がサヴァシュだから。私にしてくれるように、ギゼムさんのことも大事にしてくれる、って。信じられるから」
「そうか」
サヴァシュのその声から、ユングヴィは何も感じないのだろうか。
「そうか……」
サヴァシュがギゼムの方を見た。
「ギゼムがそれでもいいのなら。正式に、この家で、俺が受け入れるが」
ギゼムは動揺したのか尻を浮かせた。
「いけない。ユングヴィさんがいるですね」
「だから、私はだいじょうぶだって。やきもちやいたりいじめたりしないよ、今までと変わらないよ」
「それにわたし、四回目です」
二度「よんかいめ」と繰り返した。
「今まで、三回、けっこんしたです。ぜんぶ、りこんされたです」
サヴァシュとユングヴィが顔を見合わせる。
「まあ……、二十五だと初婚ではないと思ってたんで、別に、大きな問題ではないな」
「うん。そこは、あんまり気にしなくていいと思うけど」
「でも――」
尻を絨毯につけつつ、小さな声で言う。
「わたし……、赤ちゃん、うめなくて……。赤ちゃん……できたこと、なくて……」
聞いていてオルティの方がつらかった。
ギゼムは十五で初めて結婚してから二、三年ずつ夫を替えてきたが、一度も妊娠したことがない。
今度はユングヴィが尻を浮かせてギゼムの手をつかんだ。
「ならなおのことうちにいた方がいいよ! うちはもう二人いるし、次で三人目だし、たぶんこれからも私が産み続けるから! だから、うちなら跡取りのこととか考えなくていいの!」
「そうかもですが……」
サヴァシュが「そこはユングヴィの言うとおりだな」と頷いた。
「結婚の一番大事なところは子供を作ることじゃない。生計を一緒にすることだ」
「そう……かもです……」
「実際、この家を出てどこかに行くわけにはいかないだろ。女一人でできることなんざたかが知れてる。うちに入って、出身部族のことは素知らぬ顔をして定住チュルカ人になっちまうのが一番単純で楽だろうな」
「そう、かも、ですね。生きていくために」
声が弱々しい。
「それが、女のいくさ、かもですね」
そこで「待ってくれ」と言ったのはソウェイルだ。
「ギゼムはそれで本当にいいのか?」
「しかたがないです」
「でも、サヴァシュは?」
「俺は、ユングヴィとギゼムがいいんなら」
「ユングヴィは――」
「何回言わせんの。言い出しっぺは私だよ」
大きな蒼い瞳を真ん丸にして、「そんな」と呟く。
「結婚って何なんだ。そんなの俺は嫌だ」
「あんたは第三者でしょうが。あ、いや、継母みたいな感じになるのかな?」
「他に手段はないのか」
「俺以外のアルヤ人か定住チュルカ人を探してきて結婚させることになるんじゃないか?」
蒼い瞳がオルティの方を見た。その目にはソウェイルにしては珍しく感情がはっきりと表現されていた。すがられている。オルティの意見を――もっと言えば、オルティがソウェイルの味方になることを求めている。
申し訳なかったが、オルティにはソウェイルの味方はできなかった。
「いや……、俺も、姉貴が実家と縁を切った上で自活、と言われると、あんまり思いつかないな。アルヤ語での会話も充分ではないし、何か特別な手作業の技術があるわけでもないし。できる限りここで世話をしていただきたいと言わざるを得ない。すまん」
ソウェイルがあからさまにうなだれた。
「俺の生活のめどが立ったら、俺が家を買うなり何なりして、また一緒に暮らせれば、と思うけど。それまでの間、何年かかるんだ?」
「白軍は、軍学校が、最短でも三年、普通は五年くらい……。新兵はそこからさらに結婚の許可が出るまで二、三年は寄宿舎で暮らす……」
「ざっくり見て最短で五年か。五年も他人の家に居候は、さすがの姉貴も――どうだ?」
「たしかに、つらいです……」
ギゼム本人は諦めたようだ。
「そうですね。正式にかぞくになれたら、らくですね」
ユングヴィが明るい声で「決まりだね」と言った。
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