第17話 死んで失う名誉は子々孫々のもの
帰宅してすぐ、サヴァシュは、ユングヴィとギゼム、それから使用人の女性たちを集めて、広間で事の顛末を説明した。
話の後半に入ると、使用人の女性たちがおいおいと泣き始めた。部屋の中が暗い空気に包まれてしまった。
オルティはどんな反応をしたらいいのか分からなかった。ただ呆然とサヴァシュが話すのを聞いていた。自分のことだという実感が湧かなかった。
あと三週間ほどで死ぬ。アルヤ王国で殺される。
何も考えられなかった。ただ、疲れていた。休みたいと思った。
「ひどい」
ユングヴィが、険しい表情で、怒りゆえか震える声で言う。
「オルティくんが何したって言うの。なんでそんな目に遭わなきゃいけないの」
ギゼムも、強い戦士の女としての矜持ゆえか涙までは見せなかったが、今にも泣き出しそうに声を震わせて言った。
「こんなことのために来たではないです。こんなことのために十五まで育てたではないです」
途中から、荒ぶる激情を異民族の言葉で表現することができなくなったのだろう。チュルカ語で勢いよく喋り出した。
『かくなる上はイブラヒムとやらを殺すか。戦のひとつやふたついまさらぞ』
サヴァシュがそれでもなお落ち着いた声で『おやめになれ』とたしなめる。
『無駄でござる。アルヤ王国は常備軍だけで五万、その気になれば十万以上を動員する大国。サータム帝国はさらなる規模の大軍を組織し申す。三十万になるやもしれぬ兵士を前に姉弟二人ではいかんともしがたい。姫まで果てるのをみすみす見逃すわけにはまいらぬ』
『しかし承服できぬ。何ゆえ
『これが大国の戦というものにござれば。平野で正々堂々矢を交わさず罪なき少数の女子供を切り捨てて多数の民を救うのでござる』
静かな声で『百万人の民がおったとして』とサヴァシュは語った。
『一人を殺して九十九万九千九百九十九人を救う。それが、アルヤ王国の政治にござれば』
ギゼムが自分の手で口元を覆った。赤らんだ目で斜め下の絨毯を睨んだ。
『戦士の魂の何たるかを見せつけることなく逝くのだな』
そんなギゼムを見ていて、オルティは次第に気持ちがほぐれていくのを感じた。この姉は本気で自分の身を案じてくれているのだ、と思うと自分の十五年と数ヶ月が報われるように思えてくるのだ。
『俺が死んだあと、姉者はどうなるのだろう』
ギゼムは顔を上げて『ともに逝く』と答えた。
『お前を独りにはせぬ』
『逃げて失う名誉は一代限りのもの、死んで失う名誉は子々孫々のものだ』
『ここでそれを言うか。ここで、今、お前が』
彼女は『お前が残らねばならぬ』と言う。
『
サヴァシュがアルヤ語で言った。
「イブラヒムはギゼムのことは何も言わなかった。姉がいることは知っているのに、だ。つまり女は見逃すということなんだろう。サータム人の言う神の慈悲というやつだ」
ギゼムが「これがジヒとは!」と泣きそうな声で笑う。
「先の見通しが立つまでは何ヶ月でも何年でもうちにいてゆっくり次のことを考えればいい」
ユングヴィが反応する。
「そう、そうだね」
サヴァシュはユングヴィに聞かせるためにあえてアルヤ語で話したのだ。
「ずっとうちにいなよ。せめて……、せめて、ギゼムさんだけでも」
小さな声で、囁くように続ける。
「アルヤ人として……、何かの形で、責任を取るよ」
その時だった。
階段を駆け上がってくる音がした。使用人の女性のうちの一人が「あら、どなたかしら」と言って立ち上がり、戸口から部屋の外を見ようとした。
「オルティ!」
響いたのは少年の声だ。ソウェイルのものだ。
「オルティはいるか」
オルティが「いる、みんなと一緒だ」と答えると、彼は息を切らせて部屋に入ってきた。
使用人の女性たちの間を抜け、サヴァシュとオルティの間、部屋の中央に座る。オルティと向き合う。
「話をつけてきた」
目を瞬かせて「何の?」と問い掛けると、膝を詰めて寄ってきた。顔と顔とが近づいた。
「軍学校に入れる」
何の話か分からず首を傾げたオルティの肩を、ソウェイルの華奢な手がつかむ。
「グルガンジュ王国の王子は受け入れられないけど、アルヤ王国軍に入隊を志願する一介のチュルカ人の若者なら受け入れる」
彼は「テイムルに話をつけてきた」と言った。そのテイムルとやらが誰のことなのかオルティは知らなかったが、おそらく軍の高官だろう。
「アルヤ王に忠誠を誓えるなら、白軍はこれから異民族も受け入れることにする」
白軍とは、エスファーナ最強の憲兵隊にして王族の親衛隊のことだ。
「どうして急にそんな話に」
「急にじゃない。いつかの夜に言った」
一緒に眠った夜のことを思い出した。あの時ソウェイルはオルティにアルヤ王国の武官になってほしいと語っていた。
「オルティが捨てられるのなら――」
ソウェイルの大きな瞳は相変わらず宝石のようだがけして冷たくはなく、見ていると吸い込まれそうだ。
「グルガンジュ王国での過去を捨ててアルヤ王国民になると言ってくれるなら、アルヤ王がオルティを守る」
視界が開けたような気がした。
ソウェイルが、オルティを守る。
サヴァシュが「何言ってんだお前」と息を吐きながら言う。
「平原出の戦士がそんな簡単に魂を売り渡せると思ってんのか」
「思ってない。でもその魂はフェイフューがもう殺してしまったって言っただろう?」
「そうだな、それは俺が言い出したことだったな。でもな、ソウェイル――」
「戦士だの騎士だの、俺にはわけが分からない。そういうのって生き死により大事なのか」
サヴァシュが次を言う前にソウェイルが遮って「俺は誇りより命の方が大事だと思う!」と叫んだ。
「生きてくれオルティ。俺が後悔させない」
全員が、オルティを見ていた。オルティの次の反応を待っていた。
オルティは深呼吸をした。
「姉貴」
震える声で、姉を呼ぶ。姉も、硬い声で、アルヤ語で「なんです?」と答える。
「小刀か何か、持っている、よな?」
「あるです。使うですか」
「ああ。くれ」
言いつつ、オルティは、自分の肩をつかんでいるソウェイルの手を、外させた。
ギゼムが腰帯に下げていた小刀を鞘ごと取り、オルティの方へ差し出した。
オルティはそれを受け取り、鞘から引き抜いた。
自分の首の後ろに手を伸ばした。
長い三つ編みはチュルカの戦士の証だ。
前に持ってきた。
首の後ろ、三つ編みの根元に刃を当てた。
引くと、じょり、という音を立てて毛が切れていった。
ソウェイルが目を丸くした。なぜそんな顔をするのだろう。彼が望んだことだというのに、だ。
彼が用意した道の上を行く。
三つ編みが、頭から切り離された。
ソウェイルの方へ向かって差し出した。
「この髪を、グルガンジュ王国第六王子オルティの墓に入れてやってくれ」
不思議と心は軽かった。髪が頭から離れていくのとともに心も質量を失ったらしかった。虚しさはあったが、解放感もあった。
けしてすべてに納得できたわけではない。けれど、オルティは笑った。
「俺のいなかには、逃げて失う名誉は一代限りのもの、死んで失う名誉は子々孫々のもの、という言葉があって――」
ギゼムの瞳から、大粒のしずくが落ちた。
「俺は、生きて逃げるぞ、ソウェイル。十年後には平原に帰るかもしれない、二十年後か、三十年後かもしれないが、俺は、今、目の前の数年の食い扶持として、アルヤ軍の兵士の道を選ぶことにした。オルティ王子を殺して俺は生きる」
ソウェイルの顔に、笑みが広がった。
「俺を受け入れてくれるか、ソウェイル」
「うん……!」
ソウェイルが抱きついてきた。オルティは小刀と髪を床に放り投げてからソウェイルを抱き締め返した。
「――白軍は大変だぞ」
サヴァシュが言う。だがその声に非難の色はない。
「黒軍じゃなくて、白軍なんだぞ」
オルティではなくソウェイルが「黒軍より白軍の方が王に近いから俺が好き勝手できる」と答える。
「それに黒軍だとまた野蛮なチュルカ人がって言われる。白軍で初めてのチュルカ人ってなったらすごいことだぞ」
「は? 初めてのチュルカ人? 何だそれ、俺は聞いていないぞ」
「だいじょうぶだ、オルティならやれる、ちゃんとしてるから」
「そうだな、黒軍兵士はたいがいちゃんとしてないからな」
「え、なんだ? 待て、待てよ、俺は何をさせられるんだ?」
サヴァシュが「まあいいか」と息を吐いた。
「グルガンジュ王国第六王子オルティは世を儚んで我が家で自害したことにしよう。その髪を墓に入れてやる。オルティなんて名前のチュルカ人はごろごろいるから一人や二人その辺で生きてたって誰も何とも思わないだろ」
「オルティっていっぱいいる名前なのか?」
「チュルカ語で数字の六のことだからな。六男という意味だ」
「よし、いっぱいいる。だいじょうぶだ」
ギゼムもユングヴィも肩から力を抜いた。
「死ぬよりはマシだ。頑張れ」
オルティは笑って頷いた。
ソウェイルとともに生きよう。
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