第15話 兄弟であることの意味

 第五の月モルダードに入り、ユングヴィの言葉遣いがほぐれてきてオルティまですっかり彼女の子供たちと同じ扱いになった頃、蒼宮殿に呼び出された。イブラヒムの約束した一週間が来たのだ。

 総督の執務室に入ると、細かな彫り物の施された繊細な文机と宝石を縫い取った豪奢な座椅子があり、イブラヒムはその座椅子に深く腰掛けていた。少し猫背の気もあるが、その鋭い瞳で見つめられると緊張が高まった。

 オルティより先に到着していたらしい、イブラヒムの文机の前で、双子がオルティに背を向ける形で並んで立っている。

 こうして見ると、ソウェイルとフェイフューには、かなりの身長差、体格差がある。頭半分ほどフェイフューの方が背が高く、肩幅も親指一本分くらいは違うように感じた。

 華奢で小柄で少女のようなソウェイルと、おとなの男性として完成しつつあるフェイフューとでは、見た目の頼もしさも違う。

 どうせなら、より強そうな方がいい。

 オルティが入室したことに気づいたらしい、双子が同時に振り向く。すっきりした幅の狭い鼻に控えめな大きさの口は似ているが、あんず型の丸い目に宝石のような瞳を埋め込んでいるソウェイルと、扁桃アーモンド型の涼しげな目に燃えたぎるような瞳を埋め込んでいるフェイフューとでは、どうしても、違う生き物に見える。

 双子がそれぞれ左右に分かれ、一歩分壁の方へ下がった。

 壁際にはサータム人の兵士たちが並んでいる。左右に五人ずつ、全員槍と短剣ジャンビーヤを携えて立っている。総督の親衛隊だろう。

 対するオルティはサヴァシュと二人きりだ。サヴァシュは宗教的な理由で黒い魔法の剣を持ち込むことを許されたがオルティは丸腰だった。ここまで来て乱闘騒ぎを起こすつもりはない。けれど圧迫感がある。サヴァシュはどうして涼しい顔をしていられるのか不思議でならない。

「お待たせした」

 イブラヒムが、背もたれから上半身を離した。

「約束の一週間が過ぎた。サヴァシュとユングヴィとの暮らしは楽しめたかね」

 イブラヒムの表情は一切やわらがない。

 それでも、オルティもサヴァシュに倣って平気な顔をして「ああ」と頷いた。

「それはいい」

 にこりともしない。

「最後の日々が君にとって少しでもいいものだったのならば私も安心する」

 オルティは目を丸くした。

「君の処遇が決定した」

 片手を挙げ、「捕らえよ」と告げる。

 左右の兵士たちが槍の穂先をオルティに向ける。

「グルガンジュ王国のハンの血筋はサータム帝国の皇帝陛下の名のもとに断つ。生き残りを洗い出して、首を塩漬けにしてノーヴァヤ・ロジーナ帝国に送り、サータム帝国とノーヴァヤ・ロジーナ帝国の和議の手がかりとするのだ」

 胸の奥が冷えた。指の先まで硬直した。

 オルティの前にサヴァシュが一歩出た。その手は腰の神剣の柄にかかっている。だがすぐに抜くことはせず他の兵士たちを威嚇するように睥睨した。委縮したのか兵士たちが一歩ずつ下がる。

「待ってください」

 食いついたのはフェイフューだ。彼はイブラヒムに歩み寄り、文机を叩くように勢いよく手を置いて至近距離からイブラヒムを睨んだ。

「殺す気ですか」

 イブラヒムは平然とした顔で「そうとも」と答えた。

「サータム人とロジーナ人が和睦するかもしれない。彼らの不凍港を求める欲望が我々の理性的な交渉で完全に止まるとまでは思わないが、君たちアルヤ人がロジーナ人と戦えるほどに回復するまでの時間稼ぎにはなるだろう」

 「君たちのためだ」と、イブラヒムがせせら笑う。

「サータム帝国は、チュルカ平原を捨てて、アルヤ王国を守ることにしたのだ」

 フェイフューは食い下がった。

「嘘です。あなたはアルヤ王国を盾にしようとしていますね」

「なぜそう思う」

 次の時、

「チュルカ平原こそアルヤ王国の最終防衛線だからです。アルヤ王国を守るためにはチュルカ平原を押さえておく必要があります」

 オルティの胸の中に小さな違和感が芽生えた。

「チュルカ平原をアルヤ王国の傘下に組み込むことがアルヤ王国の国防なのです」

 「待てよ」と言って一歩前に出た。意図せずサヴァシュの隣に並ぶことになった。

「お前今何と言った」

 フェイフューが振り向く。

 小さな違和感が大きな不信感に育つ。

「チュルカ平原がアルヤ王国の最終防衛線だと? お前こそチュルカ平原をアルヤ王国の盾にしようとしているのでは?」

 フェイフューが微笑んだ。だがその笑みはもう信用できるものではない。ただ甘いだけの、人を騙そうとするアルヤ人のあくどい気質の笑みだ。

「そこまで言っていませんよ。前にも言ったでしょう、チュルカ人とアルヤ人は兄弟であるべきだと。運命共同体です」

「でも今はっきり言ったな、チュルカ平原をアルヤ王国の傘下に組み込むと」

 「聞いたな」と言って周囲を見回した。サータム人の兵士たちは風向きの変化を感じたらしく槍を下ろして頷いた。

「対等な同盟ではなかったのか。チュルカ平原はアルヤ王国の下につくのか」

「仕方がないではありませんか。文明化の度合いに差があるのですから」

 まるで最初からそうと決めていたかのように、

「平原が平和になったあかつきには、アルヤ人を多数移らせてチュルカ平原の発展に寄与させてあげます。チュルカ平原の文明化です。あなたにとっても悪い話ではないでしょう?」

 オルティは拳を握り締めた。

「植民地か」

 平等な関係ではなかったのだ。

「何が、兄弟だと?」

 フェイフューが、落ち着いた顔で答えた。

「アルヤ人が兄で、チュルカ人が弟ですよ」

 頭の中で、何かが切れる音がした。

「誰が弟だ!」

 思わず声を荒げた。

「だいたい双子の兄貴と王位を巡って殺し合っている奴がそれを言うか!?」

 隣で「なんか面白くなってきたな」と呟いている男がいるがオルティは無視した。

 許せなかった。赦せなかった。

 フェイフューには最初からオルティを救う気などなかったのだ。ソウェイルの言うとおり、オルティに武器を取らせて戦わせておきながら、真の意味で運命をともにするつもりはないのだ。

 頭では分かっている。それが政治だ。気持ちの問題ではない。感情に流されず、国と国との間で利益が生まれるように関係を結んでいくべきだ。

 でも無理だ。

 チュルカの戦士の誇りが侮辱されている。

 こいつはチュルカ人をアルヤ人より格下だと思っているからこういうことが言える。

 美しいグルガンジュの街並みを思い出した。そこでは草原の遊牧文化と緑地オアシスの都市文化が融合していた。定住民が大手を振って歩く大都会エスファーナよりずっと国際的な都だったのだ。

 悔しさのあまり泣きそうなのを、奥歯を噛み締めて耐えた。

「殺してやる……!」

 ましてや――オルティは、今日の今に至るまで、アルヤ王にふさわしいのはフェイフューの方だと思っていたのだ。

 裏切られた。

 せめて一発は殴りたい。

 そう思ってさらに三歩進んだオルティの前に、

「オルティ王子に武器を」

 あるサータム人の兵士から、一本の短剣ジャンビーヤが投げ出された。

「面白い」

 イブラヒムが、冷たい、感情の聞こえない声で言う。

「やりたまえ。フェイフューを殺すことができたら君を一度見逃そう。その代わり君はアルヤ王国の王子を殺した我々の敵ということになり、これから先アルヤ王国軍から逃げる生活を送ることになるが、一度は蒼宮殿から出ることを認める」

 彼が「フェイフューにも武器を」と言うと、別のサータム人の兵士がフェイフューに向かって短剣ジャンビーヤを投げた。フェイフューはそれを受け止めた。

「さあ、戦いたまえ。意地と誇りを懸けてやるのだ」

 「僕は得をしませんよ」とフェイフューが言う。その顔はこの状況になっても涼しく落ち着いている。

「そんなことはない。君はサータム帝国の意向に沿った行ないをするのだ。帝国が君の味方になるだろう」

 イブラヒムがそう言うと、フェイフューは「分かりました」と頷いた。

「あなたが僕に票を投じると言うのなら」

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