第13話 みんなで囲むお昼ご飯

 ソウェイルが、煮込み料理ホレシュをよそった銀製の碗を突き出した。


 その真向かいで、オルティは微妙な顔をして座っていた。


 ソウェイルの後ろを、ホスローと使用人の女性の息子が駆け抜けていく。そんな息子たちを、使用人の女性が「こら! 座るんだよ! 座るんだったら!」と怒鳴りながら追い掛けている。


 オルティが手に取らないので、ソウェイルが「ん」と言いながらさらに腕を伸ばして碗を差し出した。


 おそるおそる、受け取った。


 碗がオルティの手に渡ると、ソウェイルは次の碗を取った。そして、また、大きな匙で鍋から煮込み料理ホレシュを取り、碗によそった。


 今度は、部屋の一番奥、家族が円になって座っている中で一番中央の窓に近いところにいるサヴァシュ――のあぐらの上に座るアイダンに差し出された。アイダンは当たり前の顔をして受け取り、子供用の小さな匙を突っ込んだ。サヴァシュが「まだだ」と言うと、ぴたりと動きを止める。


「おい、お前ら、全員座れ。全員座るまで食わないからな」


 家長であるサヴァシュにそう言われると、さすがのやんちゃ坊主たちも逆らえないらしい。やっと床に腰を下ろした。


 全員輪に連なったところで、サヴァシュが「いただきます」と言った。他の家族全員が続いて「いただきます」と唱和した。


 サヴァシュ、ユングヴィ、息子が七人、娘が三人、使用人の女性たちが三人、そしてオルティとギゼム、最後にソウェイル――総勢十八名で囲む大家族の食事だ。


 食べている時だけは静かだ。子供たちが夢中で煮込み料理ホレシュを食べ始めた結果皆無言になった。


 ソウェイルだけが膝立ちで炊き込み飯ポロウをよそって周りに配っている。サヴァシュとユングヴィだけでなく、使用人の女性たちもそれを当たり前の顔をして受け取っていた。


 石焼きパンをちぎって頬張りつつ、ソウェイルを観察する。


 彼はとても自然に、生来そうであったかのように、家事をする。使用人の女性たちとともに配膳し、食事を取り分ける。

 伝説の『蒼き太陽』なのに、だ。

 どう反応したらいいのか分からず、オルティはソウェイルを遠巻きに見ていた。

 ソウェイルも、オルティに強いて話し掛けようとはしなかった。二人の間に会話らしい会話はないまま今に至っていた。


 王子が――それもアルヤ民族の宗教では神と崇められている『蒼き太陽』が、食事の支度をするのか。

 ユングヴィはソウェイルを「お兄ちゃん」と呼ぶ。

 この家では、彼は、家族の一員で、サヴァシュとユングヴィの長男で、家長だが子守で手が離せないサヴァシュに代わって食事を取り仕切ることを任せられている存在なのだ。


 ユングヴィは乳母代わりだったと聞いていたが、想像とはまるで違う。これは庶民の母親と息子の関係だ。


「いやー、面白かったな」


 食事と一緒に自分の髪を食べているアイダンの髪を彼女の口から引き抜きつつ、サヴァシュが言う。


「フェイフューのやつ、あんなこと考えてたんだな。語らせてみるもんだな」


 その声は純粋に感心しているようで、開け放ったような明るさがあったが――


「フェイフューが王になったら、黒軍は解散。俺は晴れて無職に。やったー」


 隣のユングヴィが思い切りサヴァシュの後頭部をはたいた。


「それは喜ぶところなのか?」

「大丈夫だ。俺、常に仕事辞めたいから。今、解放感で胸がいっぱいだ」

「だいじょうぶじゃない! それぜんぜんだいじょうぶじゃないからね!」


 ユングヴィがオルティを見て、必死の形相で「このひとが言うこと本気にしないでくださいね、ほんとに適当言うんで」と告げる。オルティは微妙な笑みを浮かべて「ああ、だんだん分かってきた」と答えた。


「私が謝るから! 忘れてください! 私がこのひとに代わって謝るから!」

「いや……気にするな……俺ももうサヴァシュ殿の言うことは話半分に聞こうと思えてきたから……」


 ギゼムが手を止めて訊ねる。


「くろぐんですか? くろぐんは何ですか?」


 ユングヴィが「アルヤ王国軍の軍人奴隷ゴラーム騎馬隊です」と答える。


「アルヤ王国軍を二百年にわたって支えてきた黒軍の全員が失職」


 フェイフューの言ったことを反芻した。


 彼はアルヤ民族のアルヤ民族によるアルヤ民族のためのアルヤ王国常備軍を作ると言った。大半はチュルカ民族出身だという軍人奴隷ゴラームたちは――フェイフューは、解放、という言葉を使っていたが――裏返せば、王国軍から追い出される、ということか。


「やっべーな。わくわくしてきた。俺なしでどうやって戦争するんだろう。めちゃくちゃ見てみたいな」

「あんたなに悠長なこと言ってんの!?」


 オルティは「ちなみに」とおそるおそる問い掛けた。


「黒軍というのはだいたい何人くらいいる部隊なんだ」

「五千騎」

「ごせん」


 グルガンジュ王国の全兵力を結集しても三千騎だった。ギゼムも目を丸くして「そんなにいっぱい」と呟いている。


「まあ、これ以外にいわゆるアルヤ騎士とかいうやつもいて、全部あわせると二万くらいの騎兵がいるわけだが」


 あまりの規模の大きさに目眩がしそうだが、水を飲んでから冷静に考える。


「単純計算でも四騎に一騎がチュルカ人なんじゃないのか」

「そうなるな」

「全部アルヤ人で置き換えると言っているのか」

「そうなるんだろうな」


 匙で一口煮込み料理ホレシュを口にしてから、「やれるもんならやってみろ」と言う。


「無職になった五千人のチュルカ人、全員騎射ができる。そんなの王国内に解き放ってみろ、もう俺の言うことを聞かなくてもいいんだと思ったら職を奪われた腹いせに略奪したいだけするんじゃないのか」


 しかも全員が全員チュルカ平原に去るとは限らないのだ。なぜならアルヤ王国に住んで長くなってアルヤ人に馴染んだ者やそもそもチュルカ平原にいられなくてアルヤ王国に雇ってもらった者も大勢含まれるからである。


 オルティの側としても、そうやって解き放たれた連中をグルガンジュ王国で全員雇用できるかと言ったら、即答できなかった。五千もの人間に与える土地などどうやって工面するのか。


 オルティにも、増える部下の戦士たちを押さえつけるための力が必要になる。

 ロジーナ人と戦う前に、まず、チュルカ人と戦うのだ。


 ソウェイルが口を開いた。


「俺、アルヤ民族のための王国軍というのもぴんと来なくて」


 サヴァシュが「と、言うと?」と続きを促す。ソウェイルが頷く。


「だいたいアルヤ民族って何だろう。俺は何となく日常の言葉としてアルヤ語を喋っていて『蒼き太陽』の家系を救世主の血筋だと信じている人たちをアルヤ人だと思ってるんだけど、そういう基準だとチュルカ平原の部族の出身でもアルヤ王国に住んで長くてアルヤ王国で所帯を持っている人はだいたいアルヤ人になる。それって軍人奴隷ゴラームの人たちとそんな大差あるか?」


 サヴァシュは「ない」と即答した。


「黒軍の公用語はアルヤ語とチュルカ語の二つ同時使用が基本だし、だいたいはアルヤ王じゃなくてアルヤ王国に忠誠を誓ってるんだけどな。たいていはアルヤ人か定住チュルカ人の嫁を貰ってアルヤ式の生活に馴染んでいる。家を買った奴もかなりいる」

「そのアルヤ民族をな、もし、ナーヒドみたいなアルヤ騎士の家系を想定して言ってるんだったら――血統主義だったら、恐ろしいことになるな、と俺は思った。生まれつきでどうしようもないことを基準に人間を選別するのか。親がアルヤ系でなければ、努力して軍人を続けている人間からも地位を奪う――」


 最後に「いやフェイフューがほんとにそこまで考えてるかは分かんないけど」と付け足して、煮込み料理ホレシュをすする。


「あいつ、アルヤ騎士道、って言ってた。それ、俺、何なのかよく分かんないんだよな……突っ込んで訊けばよかった。古き良きアルヤ民族の伝統というやつか? それって他人から職を奪っても許されるほど大事なものか……?」


 彼は一度碗を絨毯の上に置いた。


「ただ、誤解しないでほしいんだけど」


 その蒼い瞳はまっすぐで、フェイフューほどの力強さまでは感じなかったが、大講堂では感じられなかった底の深さが見て取れた。


「俺とフェイフューは意見がまったく違うわけじゃない。みんな俺たちに反対のことを言わせて比べようとしてるけど、全部が全部真逆のことを言っているわけじゃない」


 サヴァシュが「何か一緒のことあったか」と訊ねる。ソウェイルが「うん」と頷く。


「アルヤ王国常備軍の再編制。軍学校増設。その辺は俺もやった方がいいと思う」


 ソウェイルの「ただし」と言う声は音こそかすれているが言葉としてははっきりしている。


「俺はもっと異民族をうまく組み込みたい。軍学校で教えるのはもともとアルヤ騎士の家系の子だけじゃない、アルヤ王国に忠誠を誓えるすべての人が対象だ。アルヤ人とアルヤ王国民は違う」


 不思議なことに、子供たちもまだ静かだった。七割ほど平らげたところだったが、皆ソウェイルを真面目な目で見つめていた。


「俺は軍事力は抑止力だと思っている。戦争したくないから軍隊を強くする。アルヤ王国軍は強いと思っていたらどこも攻め込んでこないだろう?」


 事実、オルティは黒軍だけで五千騎という言葉にひるんだ。勝ち目のない戦を挑むことほど愚かなことはない。

 戦争は、最悪の手段で、最後の最後までしないべきなのだ。


 ソウェイルがまた食べ始めた。話していたからか、それとももともと食べるのが遅いのか、子供たちはほとんど食べ終わっているのにソウェイルの手元の皿はまだ半分ほど残っている。

 そんなソウェイルを見つめて、オルティは、溜息をついた。


「なあ、ソウェイル」


 ソウェイルが顔を上げて「なに?」と答える。


「お前、そういうことを、あの場で語るべきだったんじゃないのか? こうやって聞くとわりとまともなことを言っているのに……俺はてっきり、お前は何も考えていないのかと……」


 全員が一瞬黙った。


「え……むり……俺大勢の前で喋るのほんとむり……」

「おい……お前それ、王として致命的だぞ……」


 ユングヴィが両手で自分の顔を覆った。


「私の教育が悪かったばっかりに……」




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