第12話 人付き合いの仕方に問題がある

 閉会を宣言して、フェイフューを壇上に呼び戻してからの話だ。

 イブラヒムは閉会の挨拶としてこんなことを語った。

 オルティが今アルヤ王国にいること、そしてアルヤ王国側もオルティがグルガンジュ王国の王子であると把握していることは、じきにアルヤ王国の誰もが知るところとなるだろう。

 このまま情報が大陸のすみずみにまで伝わっていけば、ノーヴァヤ・ロジーナ帝国もオルティの生存に気がつくはずだ。ノーヴァヤ・ロジーナ帝国がグルガンジュ王国の王子を養っているアルヤ王国をどう思うかは分からない。また、グルガンジュ王国の生き残りたちがアルヤ王国に集まって勝手に挙兵する可能性もある。アルヤ王国がグルガンジュ王国軍の再結成を図っていると解釈されはしないだろうか。

 イブラヒムとしては、双子のうちのいずれかがアルヤ王になるまで回答を留保してやりたい。だが、この七ヶ月で何が起こるか分からない。したがって、アルヤ王国の保護者であるサータム帝国皇帝の代理人のイブラヒムが、早急に決断しなければならない。

 悠長なことを言っている場合ではないのだ。

 結局、一週間以内にイブラヒムからオルティをどう扱うか通達する、ということになった。

 そう説明したイブラヒムに、オルティは反発しなかった。イブラヒムの言うことは道理だと思うからだ。まだ何も起きていないうちに対応策を打ち立てておかなければいざ何かが起きた時に対処できない。それはまったくもってそのとおりで、政治をする人間として当たり前に考えることだ。

 頭では分かっていても――気持ちの波が激しすぎる。

 今度こそ本当に解散して、人々が講堂を出ていってからだ。

 それでもまだ講堂の真ん中に突っ立ったままだったオルティに、サヴァシュが歩み寄ってきて、「ご苦労」と声を掛けた。

 瞬間、オルティはその場で膝から崩れ落ちた。

「とてつもなく疲れた……」

「おー、帰って飯食うぞ」

「別に俺は自分が冷静だとかおとなだとか言いたいわけではないんだが、ふだんはもう少し、こう、どちらかといえば、落ち着いているはずなんだ。それが……、何と言うか、アルヤ語ではうまく説明できないが、自分の感情の揺れの大きさに酔ったみたいだ。戦争するより疲れた」

「わかるわかる。俺もいろいろ考えた。戦争するより疲れる。こういう時は飯食って寝るのが一番だ。飯食って寝る。飯食って寝るぞ」

「三回も言うほど重要なことかよ……」

「何回でも言う。飯食って寝る」

 アルヤ語で会話するようになって以来サヴァシュの想像以上の能天気さや調子の軽さに振り回されている気がする。だが、今ばかりは彼のそういうところに救われた。これくらい前向きで物事を深く考えない性格だと生きやすいのかもしれない。それに、サヴァシュは今三十三歳とのことで、オルティからすれば長兄より少し年上程度の男性だ。こういう扱いも不快ではなかった。むしろ気安くて助かる。

 床に突っ伏して「飯食って寝る……」と繰り返したところで、後ろから「オルティ」と声を掛けられた。顔を上げて振り向くと、ギゼムとユングヴィが戻ってきていて、心配そうな目でオルティを眺めていた。

「なんかもー、ちょー難しいこといっぱいで、疲れたでしょ! 私はもうむり! おうち帰ってお昼ご飯食べてお昼寝しましょうー!」

 よく似た夫婦だ。最初から打ち合わせていたかのように同じことを言う。

「がんばったですね。今日はもうゆっくりね」

 ギゼムがオルティの傍にしゃがみ込む。そして穏やかに微笑む。彼女も武勇にのみ優れた戦士でこういう駆け引きは得意ではない。聞いていて同じように疲れたのかもしれない。

 しかし、そこで、だった。

「うん……、もう帰ってご飯だ。俺も疲れた。ご飯食べる、いっしょ食べる」

 かすれた、声変わりまっただ中の少年の声が聞こえてきた。

 オルティは慌てて上半身を起こした。

 いつからいたのだろう。

 オルティのすぐ傍、オルティの頭を挟んでギゼムの反対側に、先ほどまで壇上にいたはずの魔術師がしゃがみ込んでいた。

 蒼穹を溶かし込んだ髪の、

「ソウェイル王子」

「ソウェイルでいい」

 大きな蒼玉の瞳が、オルティの顔を覗き込んでいる。

 驚いたオルティは上体をのけぞらせた。ギゼムも珍しく目を大きく見開いてソウェイルを見つめていた。

 しかしサヴァシュとユングヴィはまったく動じない。先ほどと何ら変わりなく「帰るぞ」「帰ろう」と言っている。

「いっしょ帰る……」

 「どこへ」と言った声がひっくり返った。ソウェイルは声を出すのも億劫そうな様子で「ユングヴィの家」と答えた。

「疲れたから、ユングヴィと帰って、ユングヴィといっしょ寝る」

 ユングヴィが「ええ」と嫌そうな声で言う。

「勘弁してよ、お兄ちゃんもう十五でしょ。今妊婦でただでさえ暑いんだからこれ以上ひとにくっつかれて体温であったまりたくないんですけど」

 ソウェイルが柳眉の間にしわを寄せて「ユングヴィのくせにそういうこと言う」と口を尖らせる。彼が表情らしい表情をオルティの前で見せたのは初めてだ。急に人間味を帯びてきた。

「俺がいっしょって言ったらいっしょだ。ユングヴィが拒否するな」

「何このよく分かんない反抗期。アイダンと同じかよ」

 立ち上がり、ユングヴィの方へ腕を伸ばす。ユングヴィにしがみついて、ユングヴィの背中に顔を埋める。先ほどは壇上にいたので分からなかったが、ソウェイルは小柄で、大柄なユングヴィの背中の後ろにすっぽりと隠れた。

「いっしょ」

「あーはいはい、分かった分かった。いっしょね、いっしょ」

 ユングヴィの手がソウェイルの頭を撫でる。

「もー、だめだね。お兄ちゃんはいつまで経っても甘えん坊」

 しかしそう言うユングヴィの表情はあまり困っているようでもない。

 とはいえオルティは少し引いてしまった。双子はオルティと同い年のはずだ。十五の男が人前で堂々と他人の妻にしがみつくというのはあり得ないことだった。まして幼子のように擦り寄っているとなるとかなり気持ちが悪い。少女のような面立ちに華奢な体躯のソウェイルはまだ十一、二歳のようにも見えたが、オルティの中では十歳以上の人間は人前でこういうことをすべきではない。

 眺めていると、ソウェイルが一瞬ユングヴィの肩越しにオルティを見た。

 目が合った途端、ソウェイルは隠れるように顔を伏せた。

 だめだ、と思った。こいつをアルヤ王にしたらアルヤ王国は終わりだ。

「いっしょです? かえるです?」

 ギゼムが不思議そうな声で言う。サヴァシュが「まあ、たまにな」と答える。

「月に二、三度うちに引き取ることがあってな。うちとしてはそんなにすごいことじゃない」

 そういえば、ユングヴィがかつてソウェイルの乳母のような仕事をしていたと聞いていた。ソウェイルは十五になっても乳母、あるいは母親だと思ってユングヴィに甘えているのだ。乳離れできていないのである。

「お前、テイムルはうちに行くのを知ってるのか」

 ソウェイルがユングヴィの後ろから小声で「知ってる」と答える。

「宮殿にいるとまたフェイフューと殴りっこになるから行っていいって言われた」

「おお、そうだな、殴りっこになりそうだ。うちで熱を冷ませ」

 サヴァシュが「帰るぞ」と言いながら歩き出した。ユングヴィも「ほら、行くよ」と言ってソウェイルの頭をはたいた。ソウェイルがようやくまっすぐ前を向く。

 オルティとソウェイルの目が合った。

 ソウェイルはそれとなく目を逸らした。

 人付き合いの仕方に問題のある幼い少年のように見えた。

 先ほどはソウェイルからもう少し話を聞き出したいと思っていたが、彼とはあまり話すこともないかもしれない。

 だが、とりあえず、サヴァシュとユングヴィの家に同行してしばらくの間ともに過ごすことになるのは確定らしい。様子を見ることはできそうだ。

 それにしても――最後の最後まで十神剣の一人は姿を見せなかった。どんな人間なのだろう。なぜ来ないことを許されたのだろう。気になったが、何となく訊く機会を逃してこの日はそのままになった。

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