第10話 武器を持って戦うことの是非 2

 オルティは目を丸くした。

 慌てて周囲を見回した。誰も何も言わなかった。騒ぎにならない。

 つまりここにいる人間は皆オルティの氏素性を知っているということか。

 なぜ、いつ、どこで漏れたのか。エスファーナでは一般人のふりをして静かに暮らすと決めたはずだ。

 サヴァシュの方を見た。サヴァシュが漏らしたのかと思ったのだ。けれど目が合うとサヴァシュは首と手を同時に横に振った。

「それほど不思議なことではないだろう。君の話はレイの者たちからよく聞いている。君はレイで確かにイルバルスハンの第六王子と名乗っているのだ」

 失敗した、と思った。時すでに遅し、だったのだ。

「グルガンジュ王国のことはたいへん遺憾だ。それでも君が生き残ったことはイルバルスハンも喜んでいるに違いない」

 イブラヒムが「生き残ったのは君だけではないようだ」と続ける。

「他にも三人ほどイルバルスハンの息子を名乗る若者の目撃情報がある」

 オルティは一瞬喜んだが――イブラヒムはわらった。

「故郷の草原を容赦なく捨ててなりふり構わず生に執着するさま、いかにも騎馬遊牧民だ。誇り高き草原の狼の血筋が見せるその根性、私は嫌いではない」

 拳を握り締めた。

 侮辱されている気がしたのだ。

 だがはっきりと侮蔑の言葉を言われたわけではない。ここで怒り出して被害妄想だと思われたら厄介なことになる。

 生きるために荷物を捨てることの何が悪いのか。生を選ぶことは魂の存続を選ぶことであり、死を選ぶことは敗北を選ぶことだ。誇りとは生きている限り何度でも取り戻せるものなのだ。

 イブラヒムの言うとおりだ。騎馬民族である自分は馬に積める自分自身の身一つしか持たずにアルヤ王国へやって来た。それの何が悪いのか。

 生き残った兄弟がいるらしい。彼らと合流できることを願いつつ今はまだ雌伏の時を過ごすのだ。

「自己紹介をしよう。私はイブラヒム・イブン・ウスマーン・アッラティーフィー。偉大なる我らがサータム帝国皇帝陛下よりアルヤ王国の全権を任されている――七ヶ月後、アルヤ王が即位するまでの期間限定だが。当面の間は私のことをアルヤ王国のすべての民を統率する者として見てくれて構わない」

 誰も異を唱えない。アルヤ王国の民はこの男に飼い馴らされてしまったのだろうか。

 イブラヒムが指先を揃えて自分の左側に座る少年を指し示す。

「こちらはアルヤ王国第一王子ソウェイル。もしかしたら草原にも伝わっているかもしれない――ご覧のとおり、伝説の蒼い髪の王子だ」

 蒼い髪の少年――ソウェイルが少しぎこちない動きで軽く頭を下げる。

「けして恐ろしい生き物ではない。おとなしくて素直ないい子だ。少々引っ込み思案なところがあって自分からは声を掛けないかもしれないが悪気はない、仲良くしたまえ」

 それから、自分の右側に座る少年を指し示す。

「こちらはアルヤ王国第二王子フェイフュー。彼は――」

 イブラヒムの言葉を遮り、金髪の少年――フェイフューが自ら口を開く。

「フェイフューです。気軽にフェイフューと呼んでください、僕もあなたのことをオルティと呼びます。年は十五、大学生で、エスファーナ大学で西洋政治哲学を研究しています。以後よろしくお願いします」

 にこりと微笑む様子は甘くおとぎ話に出てくる王子を連想したが、イブラヒムの言葉を途中でぶった切る辺りにかなりの気の強さを感じた。こいつは大物だ。

 双子だというのにあまりにも似ていない。顔立ちには似通った部分がないわけでもないが、蒼と金、月と太陽、静と動――雰囲気のありとあらゆるところが正反対だ。

 このどちらかを選ぶ――それも多数決で――オルティは唸った。

 サヴァシュの説明を思い出した。確かに、武を重んじるならフェイフューの方だと思う。彼には勇ましさを感じる。アルヤ騎士の心意気だ。

「さて、オルティ少年」

 イブラヒムが肘掛けに肘をついた状態で両手の指を組み合わせる。

「お望みどおり、双子を揃えた。二人に何を訊きたい? 何でも自由に問い掛けるといい。なんなら君も双子相手に大いに語るといい――今日の主役は、君だ」

 講堂にいる全員が、オルティを見ている。

 オルティは唾を飲んだ。

 ギゼムは見ているだろうか。見ているだろう。どこからかは分からないが、ユングヴィとともに自分を見守ってくれているだろう。

 父は見ているだろうか。見ているだろう。きっと高い天上からオルティを見守ってくれているはずだ。母も、父の他の妻たちも、兄たち、姉たちも、オルティのことを見守ってくれているに違いないのだ。

「――俺は、グルガンジュ族の者、ケマルの息子のメストの息子のイルバルスの息子のオルティ、グルガンジュ王国第六王子。大した取り柄はないが、誠実であることを天に誓う」

 声が震えないといい。

「グルガンジュ王国がノーヴァヤ・ロジーナ帝国と交戦したことは、ご存知だろうか」

 すぐさまフェイフューが「知っています」と答えた。

「グルガンジュ王国には多数のアルヤ人を輩出していました。彼らの多くが家を失いアルヤ王国に逃げ帰ってきました。彼らからグルガンジュの詳細な情報がもたらされたのです。エスファーナでも新聞の号外が配られました」

 オルティは頷いた。

「俺はグルガンジュをロジーナ人から取り戻したい。だが俺一人ではできない。大陸の各地に散らばった同胞を掻き集めて、充分な兵を揃えてから、と考えている。その準備の間に、俺自身が落ち着ける、拠点となる場所を探している」

 ソウェイルもフェイフューも、真面目な目でオルティを見つめている。

「アルヤ王国に亡命したい。けれど貴殿らは俺がこの国にいることについてどう思う? この国で、イルバルスハンの息子として兵を集める俺の存在を、許してくれるか? もっと言えば――これから先、グルガンジュ族だけではなく、草原の国を失った多くのチュルカ人が流れてくると思う。そういうチュルカ人を、貴殿らはどう見る? 客として迎えるか、邪魔者としてつまみ出すか」

 イブラヒムが「面白い」と言いながら背もたれから上半身を起こした。

「チュルカ平原の諸王国との外交の問題だ。アルヤ王国はどう出る? アルヤ王はチュルカ人をどうしたい? 議題としてなかなか興味深い。双子よ、討論したまえ」

 一瞬、静まり返った。誰も動かず、誰も喋らない。宮殿を流れるせせらぎの音が聞こえてきそうだった。

 最初に動き出したのは、フェイフューの方だった。

 フェイフューは席を立つと足を前に踏み出した。

 軽い身のこなしで、優雅にも見える姿勢で、壇上から跳び下りた。

 涼しい顔で着地をして、オルティの真正面、向き合うようにまっすぐ立った。

「僕はあなたを受け入れます」

 その笑顔を向けたら世界じゅうの女が陥落するだろう。そういうつもりのないオルティでさえわずかに高揚したくらいだ。

「僕がアルヤ王になるなら、アルヤ王国はチュルカ平原の諸王国を支援します。アルヤ民族もかつては高原で馬を駆っていた民、雪原を出て諸民族を虐げるため南下するロジーナ人より父祖伝来の暮らしをしているチュルカ人の方に共感します。アルヤ人とチュルカ人は兄弟であるべきです。ともに戦いましょう」

 「僕が愛読している書にこういう章節があります」と彼は語った。

「敵か味方かを明言せよ。初めに己の立場を明確にせねば、勝った者の餌食となり、負けた者の笑いぐさとなる。どっちつかずの態度でいることは国を滅亡に導かんとする愚かなことだ」

 彼の声は明朗で、曲面架構ヴォールトの高い天井によく響いた。

「今、この地はサータム帝国とノーヴァヤ・ロジーナ帝国というふたつの強国の間に挟まれています。アルヤ王国はサータム帝国につきます。グルガンジュ王国もサータム帝国とアルヤ王国を選びなさい」

 それはまるで天啓のようで、

「将来グルガンジュ王国がノーヴァヤ・ロジーナ帝国に勝利した場合、アルヤ王国はグルガンジュ王国がロジーナ人と戦うという逆境をともにしたことであなたがたを信頼するでしょう。万が一のことがあった時でも、運命をともにした仲間をけして見捨てません」

 アルヤ王国という裕福で先進的な国家を後ろ盾に得たかのようで、

「アルヤ民族とチュルカ民族の間にとこしえの友誼を。グルガンジュではこれからもアルヤ人が暮らし続けます」

 満場から喝采が起こった。

「とこしえの友誼を!」

 ひとびとが手を叩き声を上げて喜んでいる。

「フェイフュー殿下万歳!」

 フェイフューが片手を挙げ、穏やかな笑みで一同を見渡した。その堂々とした態度は信頼に足るように思えた。

 彼には絶対の自信がある。

 同盟を組むに値する男は、こいつだ。

 これがアルヤ王だ。

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