第9話 武器を持って戦うことの是非 1

 翌日、オルティとギゼムはサヴァシュとユングヴィに連れられて蒼宮殿に上がった。

 蒼宮殿とは、中央の大きな丸屋根の堂、四本の太く高い塔、そして数え切れないほど多くの小さな施設の集合体のことだ。いずれも壁には蒼と金を基調とした石片タイルで複雑な模様が描かれている。建物の隙間を縫うように人工の小川が流れていて、丸屋根の堂の裏、整備された広大な中庭には、地下水が湧き出る四角い池がある。その池の中心には大掛かりな噴水が設置されており、水を絶え間なく噴き上げる様子はとても涼しげだった。

 中央の堂の内部に入ると、立ち並ぶ列柱、壁に彫られた浮き彫り、控え壁バットレスに施された大規模な鍾乳石飾りムカルナスに圧倒された。いずれも模様のあまりの繊細さに目眩がする。グルガンジュにもアルヤ人技術者たちが造った同じ構造の寺院があったが規模はまったく比にならない。

 これが世界の半分、この砂漠でもっとも水と緑の豊かな国、アルヤ王国だ。

 正面の門から大講堂に入った。

 オルティたちが辿り着いた時にはすでに大勢の人々が集まっていた。だが誰も彼もが床の絨毯の上に行儀よく整列して座っている。混雑している印象は受けない。しかも皆が皆オルティたちに注目して喋るのをやめた。急に静まり返ってしまった。

 数十人、もしかしたら百人以上の人間の視線を集めている。

 アルヤ王国の洗練された政治家たちに見つめられているのだ。二百人の荒ぶるチュルカ武者に囲まれていた時とは感覚がまるで違う。

 オルティは縮こまった。

『しっかりせよ』

 ギゼムに尻を叩かれた。

 やがて白いアルヤ王国軍の衣装を着た青年が二人歩み寄ってきた。白い軍服は音に聞くエスファーナ最強の憲兵隊の兵士だ。しかし想像していた勇ましく荒々しい猛者とは異なり、二人ともさっぱりした印象でまるで貴族のようである。

 二人がとても丁寧なアルヤ語で話し掛けてきた。

「女性を衆目の場に晒すのは紳士ならざる行ないです。ご婦人には二階の観覧席にお移りいただきたい」

「他意はございません。どうかご理解ください」

 オルティは困惑した。ギゼムと離れることに不安を覚えたのだ。ついついギゼムの顔を見てしまった。

 ギゼムの方は落ち着いている。オルティにチュルカ語で『それがアルヤ王国の宮廷の掟ならば仕方があるまい』と告げると、まったく抵抗することなく兵士たちに連れられて講堂を出た。

「私もギゼムさんと一緒に行くよ」

 ユングヴィがギゼムの後を追い掛ける。兵士たちがユングヴィに何かを言ったが取り合わず、無言でギゼムとともに廊下の階段を上がっていく。サヴァシュが「おい、嘘だろ」と呟いたがその台詞を拾う者はなかった。

 白い軍服の別の兵士が近づいてきて、サヴァシュとオルティを講堂の前の方へ導いた。

 講堂の正面、一番奥に、舞台のように一段高くつくられている壇があった。

 壇上には椅子が三つ並べられている。中央の豪奢な椅子は金の枠組みに大小さまざまな宝石が埋め込まれている――おそらくあれがアルヤ王の玉座だ。左右にはひと回り小さな同じ大きさの布張りの椅子が設置されていた。

「将軍はこちらへ」

 白い軍服の兵士が指先で壇の下、右手の方を示す。そこに座椅子が七つ置かれている。

 座椅子七つのうち、五つにはすでに人が座っていた。

 一番奥の青年は、はしばみ色の短髪の上に白い憲兵たちと同じ巻き方でターバンを巻いていた。二重まぶたに納まるはしばみ色の瞳など、整った顔立ちはまだ二十歳そこそこにも見えるが、白い軍服の青年たちに口頭で何やら指示をしていることから察するに憲兵隊の立場ある人間だろう。

 その隣、二番目の席に座る青年は、長い黒髪を後頭部でひとつに束ねているが、そのまっすぐの髪はつややかで男臭い不潔さはまったくなかった。はっきりとした眉に高い鼻筋のアルヤ美男である。だがその体躯が鍛えられているのは服の上からでも分かる。

 三番目の席に座っているのは、男とも女ともつかない不思議な麗人である。着ている簡素だが仕立てのよい衣装が男物なのでおそらく男性だとは思うが、夜色の瞳を守る睫毛は長く、明らかにほとんど日に当たっていない白く滑らかな頬に影を落としていた。集まる人々を睥睨する態度はどこか厭世的で、王の寵のもとに引きずり出された深窓の美姫のようだが、繰り返すが服装は男である。

 四番目の席に座っているのは女であった。豊満な乳房を面積の狭い帯で包み、縦長の形の良い臍を出し、腰の思わせぶりな高さから脚衣パンタロンをはいている――目のやり場に困る。高い鼻筋にはっきりした眉、肉厚な唇の、典型的なアルヤ美人だ。年齢はまったく分からない、二十歳だと言われればそんな気もするし四十路だと言われればそんな気もする。

 五番目の席に座っているのも女であった。しかしこちらは隣の妖艶な女とは違い薄桃色で丈の長い清楚な服に身を包んでいる。頭に金色の布をかぶっているのもアルヤ人女性らしい。長い睫毛に厚い唇は何となく隣の女と似通っている気がしたが、美しいアルヤ女とは皆こんな顔なのかもしれない。彼女の方はおそらくオルティと同じくらいの少女だ。

 サヴァシュが少女の隣、六番目の椅子に腰を下ろした。

 サヴァシュが並んだ、ということは、彼ら彼女らが十神剣か。

 魔法の剣は顔で主を選んでいるのかもしれない。よくもここまで美男美女を揃えたものである。

 さて、七つ目の席が空いている。七人目の十神剣はどんな顔なのだろう。やはり美形なのだろうか。

「貴殿はそのまま待たれよ」

 白い軍服の兵士にそう言われた。

 オルティははっと我に返った。

 いつの間にか、講堂の真ん中、玉座の正面に一人で立たされている。

 辺りを見回した。

 自分の席はないのだろうか。ただ話を聞きに来ただけの一般客だというのに、なぜ、こんなところで立たされているのだろうか。

 全員が、オルティを見つめている。

 裁きを受ける罪人の気分だ。

 喇叭ラッパの音がした。壇の下に控えている軍楽隊が演奏を始めたのだ。緊張が否応なしに高まる。これから行事が始まる――オルティの意思を無視して、だ。

 逃げ隠れできる場所がどこにもない。

 そうこうしているうちに、壇の右手にある緞帳から三人の人物が出てきた。

 先頭を行くのは、サータム風に丸く見えるようターバンを巻き、丈の短い胴着ベストを着て、底が平らな靴を履いている男だ。痩身で、体格だけだと少し頼りなく感じる。こけた頬、落ちくぼんだ目元は老けて見えるが、黒々とした口ひげとその下の口元を見る限りまだ中年の頃だろう。

 この男はやがて中央の玉座に座った。背もたれにもたれるほど深く腰を下ろして、肘掛けの宝石の上に手を置いた。自然で堂々としている。まるで生来アルヤ王であるかのようだ。

 この男が総督イブラヒムだ。

 イブラヒムの次に出てきたのは、背の高い男だ。男、といっても、オルティと同世代くらい、少年と青年の境目にいる十代後半の若者に見える。蒼い帽子の上に白いターバンを巻くのも、飾りボタンがたくさんついた丈の長い胴着ベストを着ているのも、踵のある靴を履いているのも、絵に描いたような身分の高いアルヤ人男性である。扁桃アーモンド型の目もすっきりした鼻もいかにも女にもてそうだ。ただ、アルヤ人にしては珍しい金髪をしている。西洋人の血が入っているのかもしれない。

 彼はイブラヒムの右、オルティから見て左の椅子に座った。

 最後に出てきた三人目は――オルティはアルヤ民族が彼のことを神の奇跡と尊ぶのを目で見て実感した。三つ編みにされた背につくほど長い髪が蒼穹の色をしていたからだ。その色はチュルカ平原の果てなき空を連想させ地平線を追って馬を駆った日々を思い起こさせる。

 その奇跡の顔をよく見たのは、彼がイブラヒムの左、オルティから見て右に座ってからだ。

 あまり風に当たっていないと思われる滑らかな肌にあんず型の目が刻まれていて、蒼玉の瞳が埋め込まれている。こじんまりとした鼻と口は細密画ミニアチュールに描かれた美女のようだ。いつだか公衆浴場で男たちが言った「可愛い」の感覚を理解する。焦点をはっきりと結ばない蒼い瞳の儚げなところもあいまって、女だったら傾国と呼ばれていたかもしれない。しかし服装は二人目の金髪の若者とほとんど色違いも同然で、普通の高貴な身分のアルヤ人男性といったところなのが逆にちぐはぐに見えた。

 イブラヒムが片手を挙げると、軍楽隊の演奏が止まった。

 イブラヒムの口角が上がる。笑みを形づくっているはずなのに目はまったく笑っていない。

「私のアルヤ王国へようこそ、オルティ王子」

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