第7話 世界で唯一の恋女房

 夫人の名前はユングヴィというらしい。年は二十五歳で、ちょうどギゼムと同い年だ。

 十神剣ともなればさぞかし美しいアルヤ女を妻にしているに違いないと思い込んでいたが、ユングヴィは特別綺麗というわけではない。ただ、愛想がよく、ひたすらにこにこしている。愛嬌があるように思う。妻に迎えるならやはり高慢ちきの美人より気立てのいい不美人だと思った。

 低い位置で帯を締めている。そしてその上に腹がわずかにせり出している。腹に赤子がいるのだろう。子供が増えるのはいいことだ。

『――して、ソウェイル王子とフェイフュー王子、それぞれとお会いして話をお伺いすると約してその日の話は終わり申した。あとはレイからエスファーナまでおよそ四日、その道中は大過なく。昨日エスファーナにつき申して、一日物見遊山ものみゆさんをしてからこちらに参った次第』

 オルティはここまでの経緯を自分の口で説明した。サヴァシュが言うには、アフサリーが先発でサヴァシュ宛に送った手紙には大雑把なことしか書いておらず仔細は本人に確認するようにとあったそうなのだ。むしろオルティが見聞きしたありのままを先入観なく聞いてもらえるように思えてありがたかった。アフサリーにも説明したこととアフサリーとの会話の内容を事細かに語った。

『以上がここまでの経緯だ。お聞きいただいてまことにありがたく存ずる』

 サヴァシュが、あぐらをかいた自らの膝を押すように手を動かしつつ、『左様か』と言って頷いた。

『おおよそのことは把握致した。此度のことはまことに残念でござった。まずは慣れぬ異国の地での長旅でさぞやお疲れのことと存ずる。旅の疲れを癒されよ。我が家はいつまでご滞在いただいても構わぬ。ごゆるりと過ごされたらよい』

『ありがたきお心配り、まことに御礼申し上げる』

『しかしアフサリーの申したとおり、我がアルヤ王国は王位継承を巡る動乱の非常事態にござる。今すぐ援軍を出すということは叶わぬ。たいへん遺憾ながらそこだけはそれがし軍人奴隷ゴラーム部隊隊長としてお断り申し上げる』

 オルティは頷いた。ここに来るまでの間で覚悟はしていた。戦争は最悪の、最後の手段だ。王が立たぬ今、将も士気も欠くとくれば、責任ある立場の者が戦争を回避しようとするのは当然のことだ。それでも悔しさのあまり拳を握り締めたが、あの夜ギゼムの言った言葉を思い出し、自分に焦るなと言い聞かせた。

 サヴァシュが続ける。

『とはいえ王が立ったのちのことまでは分からぬ。特にフェイフュー王子の方は近頃大学でノーヴァヤ・ロジーナ帝国に対して思うところがあるという主旨の発言をなさったという噂を聞いた。ソウェイル王子もチュルカ人軍人奴隷ゴラームの運用について何やら探りを入れてきたことがある、ご興味がないわけではなかろう』

 一筋の光が差し入った気がした。

 ギゼムの判断が正しいのだ。やはり同盟を組むに足る王を選ぶべきなのだ。ともにノーヴァヤ・ロジーナ帝国と戦ってくれる、平原のチュルカ人に好意的な王子をアフサリーに推挙したらいい。

『いずれにせよ年内に王が決まり年明け早々に戴冠の儀を執り行う手筈になっており申す。あと半年と少し、焦らず待たれよ。その間我が家に寝泊まりなさればよろしい。将来のことは年が明けてから次の王と話し合われた方がよい』

『かしこまり申した。ありがたき幸せ』

 オルティはそこを一区切りとみて軽く頭を下げた。

『ところで、王子たちに接見する話だが』

 顔を上げ、サヴァシュの顔を見る。サヴァシュは相変わらず落ち着いた表情と声をしている。

『どちらとお会いするのもそう難しいことではござらぬ』

『それはまことか、大国の王の子ともなればなかなか難しいかと思っていた』

『お二人とも供を連れてではあるが外出なさることが増え民に顔見せなさるようになった。周囲の人間もおのれが支持する王子の支援者を集めようと躍起になっておる。総督に申し入れればお二人を揃えてお考えをご開陳いただく機会も作っていただけるかもしれぬし、非公式に接触することも不可能なことではない』

 『それに』と、彼は少し目線を外した。

『某もそろそろフェイフュー王子と話をせねばならぬ時が来たように思い申す。ソウェイル王子は諸般の事情でよくこの家においでになるが、フェイフュー王子とはどうしても距離を感じる。いかに話を進めるかいい加減考えねばならぬと思ってはおった』

 オルティは軽く身を乗り出して、『ここだけの話』と持ちかけた。

『サヴァシュ殿はどちらをご支持なさっている? ソウェイル王子か』

『いかにも』

 公衆浴場でアルヤ人のおやじが言っていたことを思い出した。いわく、ソウェイル王子はサヴァシュ将軍に連れられてよくお忍びの外出をしている。公衆浴場で裸を見せるほどだ、よほど信頼していると見える。

『しかし難しいところで』

 話は想像以上に複雑なようだ。

『某がソウェイル王子を支持するのは非常に私的な、個人的な理由からにござる。国のためではござらぬ』

『と、おっしゃると?』

『ソウェイル王子がまだご幼少のみぎりに某にあるお約束を賜った。もう幾年も前のことゆえご本人が憶えておいでかは分からぬが、某はそのお約束が実現されることを願ってソウェイル王子を支持しておる。不確かなことゆえ内容については明かせぬ。であるからして、左様な理由で王を決めるのかと言われると、正直なところ某もいささか無責任かと悩んでおる』

 真面目な男なのだ。

『なるほど黒将軍サヴァシュも人の子にございますれば』

『そうおおせくださればありがたいが、他にソウェイル王子を支持する理由があるかと問われればいかんとも申し上げがたく、安易にソウェイル王子を選んでほしいとは申さぬ』

 表情こそ変えなかったが、

『まめにお世話し申し上げ、同じ鍋の飯を食い、可愛がってお育てした王子にござれば、並みならぬ情はござる。しかし情のみで王を選んでよいものか? アルヤ王国の未来がかかっているのにか? 子が可愛いのと子を王にするのは別のことにござらぬか』

『苦しいところだな』

『某もチュルカの戦士にござる。王たる者は将たる者、戦士を率いて勇ましく戦う者であってほしいとお思い申す。だがはっきり申し上げる、ソウェイル王子はそういうお人柄ではない』

 それも公衆浴場で聞いたことだ。民に可愛いと称され、手工業を好んでおとなしく職人の作業を見守る少年が、十万のアルヤ王国軍という大軍団を導いて戦う、とは、思えなかった。

『じきじきにお言葉を拝したことがないので断言できぬが、そういう勇ましさはフェイフュー王子の方にはありそうに存ずる。ゆえに某はフェイフュー王子を支持する者がまったく意見をことにする敵であるとは思わぬ』

 オルティは頷いた。

『相分かった。その前情報を加味しつつご本人がたにお会いしたく存ずる』

『そうしていただけるとありがたい』

 そこで、サヴァシュは『ただお会いする前にひとつお約束いただきたい』と言った。オルティは瞬いて『何を?』と問い掛けた。

『この家で生活しながら王子二人の情報を集めるにあたって、ひとつだけ注意していただきたいことがござる』

『何か、とりあえずお聞きする』

『女房の前でソウェイル王子をしざまに言わないでいただきたい』

 ユングヴィは相変わらずにこにこしている。

『もしもソウェイル王子に不満があったとて、その不満は必ず某の前にてチュルカ語でおおせになれ。けしてアルヤ語でお話しになるな』

『とは、いかに――』

『女房はソウェイル王子がご幼少の頃乳母のような務めを果たしておった。御年十五の成人を機に法の上での関係は解消されたが、今も我が子と思って並々ならぬ情を注いでおる。ソウェイル王子がこの家に見えられるのも女房にお会いになるため。女房はソウェイル王子が可愛くて可愛くてならぬ――それこそ、ソウェイル王子のためならば国を傾けてもよいと申すくらいには』

 初めて、表情に苦いものが浮かんだ。

『常々考え直すように言っておる。表向きは女房も分かったと言っておる。当然頭では分かっているものと思う――そこまで愚かな女ではない。しかし――しかし、子が悪く言われて気分を害さぬ母親はおるまい』

 『お頼み申す』と彼は懇願した。

『某にとっては世界で唯一の恋女房でござれば、でき得る限り悲しませとうない。まして腹に子がある今一時いっときたりとも風雨に晒しとうないのだ』

 オルティは『分かった』と言って頷いた。

 頷いてから気づいた。

「待ってくれ。つまり今までのチュルカ語の会話はユングヴィ殿には伝わっていないということでは?」

 初めてユングヴィが口を開いた。

「そうです……何にも分かんなかったです。まあ政治の話って難しいから別にいいんですけど……」

 「へへへ」と苦笑いして頭を掻いた。オルティは「もっと早くおおせになれ」と肩を落とした。

「なんかもう、呪文みたいで、全部右から左へ流れていっちゃったというか……」

「それならそうと言ってくださればすべてアルヤ語でお話ししたのに」

「でもなんか、平原の人たち同士、チュルカ語のが楽かな、的な……」

「いや……俺は物心がつく前からアルヤ人の家庭教師からアルヤ語で話し掛けられていたので何も負担ではなく……サヴァシュ殿も十数年アルヤ王国に住んでいていまさらそれはないのでは……」

 サヴァシュが「すまん、こういう女なんだ」と言った。ユングヴィが「謝った? なんで? 私がバカだから?」と顔をしかめた。

「えっ、だって、ギゼムさんは? ギゼムさんはチュルカ語の方が楽じゃない?」

 それまでずっと黙っていたギゼムが、「そうですね、チュルカごの方がらくですね」と苦笑する。

「でも、きく、ダイジョウブですね。わかるですね。はなすむずかしいですけど、わたしもアルヤごのきょういくうけたですね」

 「というわけで、これからは我が家では基本的にアルヤ語で」とサヴァシュが言う。オルティは大きな溜息をついて頷いた。

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