第6話 サヴァシュ将軍の家

 目的の家はエスファーナの北部、蒼宮殿からそう遠くない新市街の一角にあった。閑静な高級住宅街の中だ。周囲には大きな邸宅がずらりと並ぶ。賑やかな旧市街とは別世界のようだ。

 オルティは、背の高い壁を見上げて、ほうと息を吐いた。

「アルヤ王国軍、軍人奴隷ゴラーム部隊隊長、黒将軍サヴァシュ、か」

 軍人奴隷ゴラームとは、アルヤ王国に雇われて戦う元異教徒の軍人のことを指す。傭兵のような存在で、そのほとんどがチュルカ人なのだそうだ。建前上は一般のアルヤ人より身分が下だが、軍の中ではある程度の地位を保障され、出世するとひと財産を築くと聞いた。

 軍人奴隷ゴラームの頂点に立つと、王都の高級住宅街に大邸宅を建てて、アルヤ人の嫁を貰って暮らすことができる。

 黒将軍サヴァシュといえば、大陸最強を冠する高名なチュルカの戦士だ。アルヤ王国軍はサータム帝国軍に何度か敗北したが、黒将軍サヴァシュ個人が一騎討ちで負けたことはいまだかつてないらしい。

 無敗の男、英雄の中の英雄、戦士の中の戦士――どんな男だろう。

 オルティはとても楽しみにしていた。早く会って話をしたい。今はまだ十五で戦争は三度しか経験していないが、オルティも近い将来そんな戦士になりたいのだ。できることなら一度手合わせを願いたい。

 通りに面した外側の門は開いていた。

 ギゼムが、門から内側を覗き込みつつ、「こんにちはサラーム」と声を掛けた。

 門の中は玄関まで前庭になっていて、石畳の道の両脇にまだ若い木々が密集して植わっていた。

 玄関の脇、壁の前に一人の女性が立っている。足元に水の入った桶を置き、手にはぼろきれを握っている。何をしているのかはすぐに分かった。壁にこどもが描いたと思われる絵があって、それを落とそうとしているのだ。

 女性が振り向いた。足首まで丈のある服を着てマグナエを巻いているのでアルヤ人女性だと思っていたが、顔を見ると切れ長の目に薄い唇のチュルカ人女性である。年齢は三十前くらいだろうか。

こんにちはサラーム。お客様かしら」

「アフサリー将軍から紹介を受けた者でオルティという。こちらは姉のギゼム」

 彼女はぱっと笑顔を作った。

「ああ、あなたたちがね! ようこそお越しくださいました。話は旦那様から聞いてますよ、家の者総出でお迎えする準備をしたんですから。まあ……、今朝になってうちの子が悪さしてこんな壁になってますけど」

 愛想のいい、明るくて気さくな雰囲気の女性だ。オルティは少し安心した。

「あなたはこの家の奥方様か?」

「いーええ、あたしはただの使用人です。この家には住み込みの使用人があたしを含めて三人いてね、みんなチュルカ系の女なんですけど、三人が三人とも戦争で旦那が死んだ未亡人というやつでね、小さい子供を抱えて路頭に迷ってたのをこの家の奥様が引き取ってくだすったんです」

「サヴァシュ殿の奥方様は何人いらっしゃる?」

「ご正室の奥様一人だけです、おめかけさんもおりません。旦那様はそりゃあそりゃあ奥様が可愛くてしょうがないんでね、あの調子じゃ第二第三とめとられるとは思いませんね」

「夫婦仲がいいんだな」

「そりゃあ、もう。びっくりしますよ」

 手にしていたぼろきれを桶に放り込み、「ご案内します、こちらにおいでください」と言って玄関の扉を開ける。

「いい時に来なすった、ちょうど昼ご飯が終わって小さい子供たちがお昼寝したところなんです、静かに話ができますよ」

 玄関から中庭までの通路は日陰になっていて、長椅子が置かれている。日の当たる中庭には大きなヤシの木が植えられており、柱廊沿いには細い水路が流れていて涼しそうだ。砂の地面には棒で引っ掻いて描いたと思われる大きな円が残っている――誰かがチュルカ相撲をしたらしい。なつかしい光景だった。

「こら、お前たち!」

 使用人の女性が突然大きな声を出した。

「またそういうことして!」

 彼女の視線の先を辿ると、七、八歳と思われる女の子二人が壁際からこちらを見ていた。二人とも裸足で、足元や服の裾が濡れている。おそらく水路で水遊びをしていたのだろう。

「お客様の前だよ、靴を履きなさい」

 両方ともギゼムがしているように長い黒髪を数本の三つ編みにしている。どうやら使用人の子でチュルカ系らしい。叱られているにもかかわらずきゃらきゃらと明るく笑った。

「お客さまお客さま! やっと来たの、お客さま!」

「待ってました! お客さま、待ってました!」

 こちらに駆け寄ってこようとするのを、使用人の女性が「手と足を拭いてからにしなさい」と怒鳴る。

「お前たちは旦那様を呼んできなさい。くれぐれもお嬢様を起こさないようにね」

「はーい!」

 少女たちが駆けてゆく。途中に見えた階段を駆け上がってゆく。

「すみませんね、本当に、片方はあたしの子なんですけど、ほんっとにしつけがなってなくてね。悪さしたらすぅぐ教えてください」

 ギゼムが微笑んで「いいえ」と答えた。

「こどもが元気、いいですね。いいおうちですね」

 オルティもまったくの同感だ。

 使用人の女性も娘たちに負けず劣らず元気だ。歩きながらも喋り続ける。

「うちはね、旦那様と奥様のお子が男の子ひとり女の子ひとりの二人で、他にあたしたち使用人の子供が六人、全部で八人も十歳以下の子がいてね。常に何かあるから落ち着かないかもしれないですね、ごめんなさいね」

「そんなものだろう、俺も二十四人兄弟で弟が五人と妹が八人いた」

「あらまあ、お父様ずいぶん頑張ったのね。あら、あらやだあたしったら下品ね、やだわ」

 正面の大きな階段を上がる。廊下は広々としていて塵ひとつ落ちていない。

 突き当たりの部屋の扉が開いていて中が見えている。高級そうなアルヤ絨毯が敷かれただけの広い部屋で、何の家具調度も置かれていない。

 窓が開け放たれている。川からの強い風が吹き込み、更紗の窓掛けが風になびいている。涼しい。

「うちで一番上等な応接間です、しばらくここでお待ちくださいね」

 言いながらどこからともなく取り出してきた座布団を四枚置いた。ギゼムが「ありがとうございますです」と言って軽く頭を下げた。

「お茶いれてきます」

 使用人の女性が出ていく。部屋に二人きりになる。

 どちらからでもなく、二人揃って窓の方へ向かった。

 窓からはエスファーナの街並みを見下ろせた。向こうの方に見える川の水面みなもがきらきらと輝いていた。

 これがアルヤのシャーの都、大都市エスファーナだ。

 ここでは、平和で豊かな暮らしが待っている――気がした。

 廊下の方から、しゃらん、という音がした。軽い音だった。ギゼムが身につけている銀細工よりも軽い金属の工芸品がぶつかり合って鳴っている。しかしいずれにせよ音を鳴らす目的は自分たちと変わらない――魔を払い、遠ざけるための音だ。

 振り向いた。

 扉のすぐ傍に一人の男が立っていた。長い黒髪を細かく編み込んだ上でひとつにまとめている。切れ長の目は鋭い。背はオルティより少し高いくらいだが、肩は筋肉の厚みを感じられる。上着デールは黒地に銀の刺繍の独特の紋様――平原の中でも北方の部族、古来の遊牧と略奪を生業とする蛮勇の証だ。

 北方系のチュルカ人だったのだ。都市で育った南方系のオルティたちとは違う、本物の戦闘民族なのだ。

 だが――思っていたような威圧感はなく、まるで普通の、あるいはもしかしたらアルヤ人と相対しているかのようで、

『やった! きれいなおねえさんだ! いらっしゃい!』

 男の後ろから五歳くらいだと思われる赤毛の男の子が飛び出してきた。目にも留まらぬ勢いでギゼムの方に向かってきた。

 男はこの子がそういう行動を取るのを知っていたかのように冷静な顔で腕を伸ばし、服の首根っこをつかんで、自分の方へ引き寄せた。男の子が『いやだ、はなせ』ともがくが無視だ。

『愚息がかたじけない』

 すとんと腑に落ちた。

 この男は、チュルカの戦士であると同時に、アルヤ王国のこどもの父親なのだ。

『ようこそ我が家までおいでになった。それがしはイゼカ族の者、スィヤヴシュの息子のジュベイルの息子のオズカンの息子サヴァシュ、アルヤ王国軍人奴隷ゴラーム部隊隊長、黒将軍だ』

 オルティもサヴァシュにまっすぐ向き直り、折り目正しい挨拶を返した。

『俺はグルガンジュ族の者、ケマルの息子のメストの息子のイルバルスの息子のオルティ、グルガンジュ王国第六王子。此度こたびは、快く迎え入れてくださったこと、まことにありがたく存ずる』

『私はイルバルスの三番目の娘ギゼム、何かと不手際もあるかと思うがよろしく頼む』

 男――サヴァシュの足元で、父親の真似をしたいのか、男の子が『おれはジュベイルのむすこのオズカンのむすこのサヴァシュのむすこのホスロー、よろしくな』と笑った。言葉こそ流暢なチュルカ語だったが、ホスローとはアルヤ人によくある名前だ。顔立ちも、垂れ目気味の大きな二重の目に厚い唇と、見るからにアルヤ人である。髪も短く切っていて丈の長い服を着ているので、言われなければ親子だとは思わなかっただろう。

 ギゼムが笑って腕を伸ばし、ホスローの赤毛を撫で、『よろしくお頼み申す』と言った。ホスローが嬉しそうに声を上げて笑い、『よろしくよろしく』と言いながら身をよじらせた。

『まずは茶と茶菓子を。一息ついてからゆっくりここまでの道のりをお聞きして、今後のことを話し合わせていただき申す』

『ありがたき幸せ。喜んでお受けし申す』

『ともかく座られよ』

 オルティとギゼムは勧められるがまま座布団の上に座った。サヴァシュもオルティの正面に腰を下ろした。

 ホスローが真面目くさった顔をしてサヴァシュの隣の座布団に座った。

「いやお前が座るのかよ。そこはお母ちゃんだろ」

 唐突にアルヤ語で語りかけたのでオルティは面食らったが、ホスローは今までチュルカ語を話していたのが嘘で魔法が解けたかのように急にアルヤ語で「やだー! おれもー! おれもギゼムおねえさんとお茶しておしゃべりするぅー!」と返した。

 先ほどサヴァシュが閉めたはずの扉が勢いよく開いた。

「こら! ホスロー!」

 顔を見せたのはギゼムと同じくらいの年のアルヤ人女性だ。慌ててきたのかマグナエをきちんと巻かず頭にかぶっただけで、露出した赤毛が寝癖なのか四方八方を向いている。

 すぐに分かった。垂れ目気味の二重の目に厚い唇と、ホスローと同じ顔をしている。彼女がホスローの母親だ。

 つまり、サヴァシュの妻だ。

 彼女はホスローを抱え込むと、「ごめんなさいね、ごめんなさいね」と言いながら息子を引きずって出ていこうとした。

「すみません、お邪魔しました。どうぞごゆっくり」

 サヴァシュが「おい、待て」と言って立ち上がる。

「お前こそここにいるべきだろ、なんで出ていくんだ」

 結局二人がかりで息子を抱えて部屋を出ていってしまったので、オルティとギゼムは顔を見合わせて笑った。

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