第5話 公衆浴場のおっさんたち

 世界の半分、砂漠に咲く一輪の薔薇、アルヤ高原の真珠――いくつもの甘美な名をもつ王都エスファーナに辿り着いた。

 オルティもギゼムも、あまりの規模の大きさにすっかり圧倒されてしまった。

 街の周囲には城壁の代わりに川が流れていて、ためしにその川岸を歩いてみると半日がかりになった。街の真ん中に見える蒼い宮殿の北部には高級住宅街が広がっていて、南部には昔ながらの古い街並みが残っている。

 大小さまざまの市場には無数の人が行き交う――アルヤ人だけではない、サータム人、チュルカ人、ラクータ人、大華人、髪の色は金から黒まで、瞳の色は青から黒まで、世界のありとあらゆる地域から集った人々が集まっている。いろんな宗教の施設が点在している――拝陽教の火の寺院、シャリア教の礼拝堂、ハアサ教の教会、いかなる宗教の信徒も祈る場所を確保できるようになっている。並ぶ屋台にも世界の民族の料理が集まっていて、レイやメシェッドより少々物価が高い気はするものの、オルティもギゼムもがっつり食べた。

 小高い丘には展望台が築かれていて誰でも自由に出入りできる。その展望台から街を見下ろすと、都市の真ん中に整備された広大な広場が見える。それから巨大な宮殿――通称蒼宮殿はアルヤ王国のすべての政治を司る頂点にしてアルヤ民族の富と栄光の象徴だ。他にも蒼い石片タイルのアルヤ建築の建物がいくつも確認できた。

 当初の目的を完全に忘れて丸一日観光に費やしてしまった。

 だが遊んでばかりもいられない。

 二日目の朝、今日の午後こそ黒将軍サヴァシュの家を訪ねると決めた。

 旅でくたびれた服と体でひとの家に行くのは失礼かと考え、二人は朝のうちに公衆浴場へ行った。洗濯場で服を洗い、乾くまで蒸し風呂で汗を流してさっぱりしようという計画だ。

 公衆浴場もエスファーナの縮図だった。基本的には地元住民のようだが、服を脱ぐとアルヤ人とサータム人の区別がつかず、チュルカ系も混血だと紛れ込んでしまうので、どいつもこいつも似たり寄ったりの顔に見える。外見では区別がつかない。

 石の長椅子に座り、蒸気に蒸されて、ぼんやり周囲を眺める。

 これが本物の世界だ。

「お兄ちゃん、どこから来たんだい」

 不意に声を掛けられた。気がつくと両脇におそらくアルヤ系と思われる男たちが座っていた。二人とも体格がよく、日に焼け、立派なあごひげを生やし、腕や胸の毛がしっかりしている。一見したところ兄弟のように見えた。

 オルティはすっかり溶け込んでいるつもりだったので、よそ者であることが知られているのに慌てた。

「あなたたちは地元民か」

「そうだよ」

「俺たちゃ我らが初代『蒼き太陽』がここを都と定めた時から先祖代々エスファーナっ子だ」

「それでもってここができた時から、じいさんの代から通ってる」

「あんたは見ない顔だな? どこかの工房に弟子入りしたのかい?」

 胸を撫で下ろした。単に見慣れない顔だったから声を掛けてきたのだ。安心して、肩から力を抜いて答えた。

「俺は平原から来たんだ。ロジーナ人に国を追われてな。いろいろ落ち着くまでアルヤ王国で暮らそうかと思って」

「そりゃあ大変だったな、王国の新聞も各紙でかでかと報じてたぞ。何だったか、グル――グルグル――」

「グルガンジュだろ」

「そうそれ。それだ」

 苦笑してしまった。大都市エスファーナの一般市民にとってはその程度の認識なのだ。エスファーナはよほど平和なところらしい。

「一人かい」

「姉が一人生き残った。一緒にエスファーナまで来て、今女湯に入っている」

「そうかいそうかい、よかったよかった。そんな若い身空で天涯孤独はちょっときつすぎるな」

「神の御慈悲だ。神はあんたを見放さなかった。あんたはまだまだ頑張れってことだ」

「まあ今はゆっくり風呂に入りな、俺が頑張るお前さんのために甘橙オレンジ氷菓子ソルベぐらいは奢ってやる」

 馴れ馴れしく肩を揉まれた。アルヤ人はどうも同性同士の距離感が近い。

「お兄さんこれからどうするんだい? いつまでもふらふらしてられんだろう、お姉さんも連れてるんじゃあんまり無茶はできないぞ」

「さしあたって知人に紹介されたアルヤ王国の武官の方の邸宅に身を寄せることになっている」

「そりゃあいい。よかったよかった」

「何かあったらいつでも俺たちのところに来ていいぞ、いいか、革市場、革市場だ」

「こき使われるんじゃないのか」

「はっは、バレたか!」

「平原出の遊牧民は革の加工がうまいからな! はっは!」

 結局のところ遊牧をしているチュルカ人とそうでないチュルカ人の区別がつかないのだ。かといってここでわざわざ訂正するのも馬鹿らしく、オルティは笑って流した。

「ところであなたたち、地元の方にちょっと聞きたいことがあるのだが、よかったら聞かせてくれないか」

「何だい?」

「俺たちでよければ。しがない革職人でよければ何なりと」

 「繊細な話だったら申し訳ないが」と前置きしつつ、訊ねる。

「どうやらアルヤ王国では双子の王子が王位継承を巡って争っているそうだな。あなたたちはどう思う? もっと言えば――どちらを支持している?」

 顔を見合わせる。

「そりゃあお兄さん、別に禁忌っつうわけじゃないが、あんまり軽々しく訊かない方がいいね。何せ国民のみぃんなが注目していて、みぃんながやれソウェイル王子だフェイフュー王子だで大喧嘩している。どこもかしこも大激論だ」

 どうやら一般民衆も参加しているつもりのようだ。アフサリーは十神剣が王を決めると言っていたが、一般人たちもそれなりに白熱しているらしい。

「すまない……、だがこれからアルヤ王国に住むにあたって少し政治の情報を仕入れておきたいと思って。俺たちはレイを経由して来たのだが、レイで十神剣が多数決をすると聞いた」

 男二人が「それなあ!」と声を重ねた。

「いやあ、北部州がうらやましい! 北部州の人間はアフサリー将軍にあっちがいいだのこっちがいいだの言ってんだろ」

「中央はだめだ! ナーヒド将軍は俺たちの話なんぞ聞くもんか!」

「ナーヒド将軍、というのが中央地方の十神剣なのか」

「そうだが馴染みはこれっぽっちもない」

「生粋のお武家さんだからな。何百年も将軍をやってる由緒正しいアルヤ騎士だ、違う世界の人間なんだ」

 十神剣にもいろいろ種類がいるらしい。いまいち仕組みが分からない。サヴァシュとやらは説明してくれるだろうか。

「ちなみにそのナーヒド将軍はどちらを支持している?」

「初めて訊かれたなそんなの」

「異人さんからしたらそんなもんだ。俺たちゃ四十年エスファーナに住んでるから当たり前に思ってるがよその国からしちゃ細かい話だ」

 片方が小声で「フェイフュー殿下だ」と囁くように言う。

 オルティもまた小声で返した。

「あなたたちはソウェイル王子派なんだな」

 二人はまた、黙った。それまでの陽気な雰囲気が消え、風呂の中の温度まで少し下がったように感じた。

「よかったら、ソウェイル王子を支持する理由を聞かせてくれないか」

 「よそでは絶対に言うなよ」と念押ししてからではあったが、彼らは答えてくれた。

「ソウェイル殿下は時々この辺においでになる。俺たちは実物を生で見たことがある」

 驚いて目を丸くした。

「ソウェイル王子というのは『蒼き太陽』の方じゃないのか」

「そうだ。それはそれは見事な蒼い髪をお持ちだ。瑠璃ラピスラズリより柔らかくて空石ターコイズより濃い蒼色の髪だ」

「蒼というのは比喩ではなかったのか……そんな毛の色生き物でありえるのか」

「この目で見た。だが、この世で唯一あのお方だけだ」

 「でもなあ」とあごひげを撫でる。

「可愛らしいお方なんだ」

 オルティは思わず「はあ」と素っ頓狂な声を出してしまった。しかし二人はいたって真剣だ。

「初めてお会いした時はここだった。あの時はまだ御年とおの頃だったな。サヴァシュ将軍が連れてきなすったんだが、サヴァシュ将軍にぴーったりくっついて、大きなおめめを真ん丸にしてきょろきょろしてらした。たいそう人見知りなさるお子でなあ」

「おー、なつかしいなつかしい。最初は『蒼き太陽』と下々の者が接することはないから声をお掛けくださらないのかと思っていたが、年々人馴れしていって、会話なさるようになって。去年の秋だか、なあ? うちの工房に遊びに来たいとおおせになって」

「ソウェイル殿下は手作業の多い仕事がお好きなんだ。ちょくちょく職人の仕事を見たいとおおせになる。黙っておとなしく作業を見ているところ、時々工具を握って真剣に真似事をなさるところ、それはもう、食べちゃいたいくらい可愛かったな」

「食べ……食べちゃいたい……?」

 それは王子に対してつけるべき評価ではない。まして次期国王ならなおさらそんな甘ちょろい修飾語がついてはならない。王とは、強く、勇ましく、将たるべき男で、何より威厳が必要だ。

「色白で、髪が長くてさらさらで、女の子より綺麗な顔してる」

 二人がどっと笑った。何か思い出し笑いをしたらしい。

「美少年なのは分かった。だが姿かたちが可愛いだけでは国はまとまらないと思うぞ」

 男たちが「分かってねぇなぁ兄ちゃん」と言う。

「可愛い子が応援してくれたら人間やる気が出るってもんだろ」

 オルティは唇を引き結んだ。アルヤ人というのはどうも外見へのこだわりが強い。顔の造作にどれだけの価値があるかと言われればオルティは疑問だった。

 とはいえ、十代前半のこどもが自分たちの仕事に興味をもって見学したり体験したりするところを見ていたらいとしいと思うのが人情かもしれない。ましてや自分たちとは縁遠い世界の住人であると思っていた高貴な身分のこどもが、と思うと、庶民は嬉しいだろう。きっとソウェイル王子がうまくやっているのだ。可愛い顔をしてなかなかやる男だ。

 外から声が聞こえてきた。礼拝を呼び掛ける声だ。サータム人たちが祈りを捧げる時間が来たのだ。グルガンジュでもよく聞いた。

 アルヤ人である彼らやチュルカ人である自分には関係ないと思っていた。

「おっ、行ってくる」

 オルティの右側に座っていた男が立ち上がった。左側に座っている男が「行ってらっしゃい」と言って送り出した。オルティはまたもや驚いた。

「まさか彼はサータム人なのか?」

「まさかって何だ、どう見てもサータム人だろ」

「あなたもサータム人なのか?」

「いや? 俺はどう見てもアルヤ人だろ」

「兄弟なのかと思っていた。仲が良さそうだし、雰囲気も似ている」

 男がまた大きな声を上げて笑った。

「アルヤ人にとっちゃあサータム人は弟みたいなもんだ。隣の家に住んでる――これ以上に重要なことはないって俺たちのソウェイル殿下もおおせだ。サータム帝国は嫌いだが、サータム人とは別なのさ」

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