第4話 満天の星空の下で

 オルティにもギゼムにも一室ずつ寝所を用意してもらう段取りだったが、オルティはあえて屋上で寝たいと申し出た。

 特に深い理由はなかった。何となく、星を見て、風に吹かれて、一人で物思いにふけりたいと思ったのだ。

 レイの人々は、オルティは外で幕家ユルトを張るのが好きなのだと解釈したようだ。突っ込んで理由を問うことなく小さな天幕テントを用意してくれた。


 天幕テントから布団を引っ張り出し、屋上の床に敷く。


 寝転がると目の前に満天の星空が広がっていた。季節は夏、天の川が流れている。チュルカ平原の故郷で見た空とほとんど変わらない。


 帰りたい。


 グルガンジュを出てから数えて今が一番つらかった。自分は故郷から分断されたのだということを思い知らされた。


 扉の開く音がした。慌てて起き上がり、手のひらで涙を拭った。


 城の中から出てきたのはギゼムであった。彼女はなおも全身に銀細工を身につけており、しゃらしゃらと鳴らしながらオルティの傍に歩み寄ってきた。


 オルティの隣に座った。

 そして、オルティの肩を抱いた。

 ぬくもり、香り、音、何もかも故郷のグルガンジュで暮らしていた時のことを思い出させる。


『オルティよ』


 ギゼムの声が優しい。


『お前をつらい目に遭わせてしまったな。さぞや心細かろう』


 オルティは、ギゼムでよかった、と思った。泣いたり笑ったりといった振る舞いは本来戦士らしからぬものだが、ギゼムは頭ごなしに叱りはしない。これが弟や妹だったらこんな情けない泣き顔を見せるわけにはいかない。


『姉者がいてくれて助かった』

『しかし最初にアルヤ王国へ行こうと言い出したのは私だ。軽率なことを言うてしまった。お前の言うとおりだったのだ、グルガンジュを出る前にはロジーナ人との交戦を懸念して我々を避けるかもしれないという話もしていただろう』

『ここは気候も景色もいいところだ、いい旅路だったと思う。それに、結果としてこういう対応をされてしまったが、それでもこうして宿を提供してくれるだけ、本当は本当に親切な連中なのかもしらん。俺がハンの子でなければ――』


 言いながらまた涙が溢れてきた。


 ギゼムの手がオルティの頭を抱いた。オルティの髪に頬を寄せる。


『アルヤ王国もサータム帝国も悪くない。戦争は最悪の、最後の手段だ。しなくて済むのならばしない方がいいのだから、厄介者の貧乏神は追い出したらいい』


 ギゼムはわざと笑って『そのような言い方をするな』と言った。


『焦るな、オルティよ。一朝一夕で国を取り戻すことは叶わぬ。ましてお前はまだ十五、これから何年もかけてゆっくり仲間を集めて再興の夢を見るのだ』

『夢で終わるかもしらん』

『それならばそれでもよい。一番大事なのはお前が生きてハンの男児の血統をつなぐことだ。お前ができなくとも子が、子ができなくとも孫がやってくれるかもしらん。いや、できなくとも構わぬ、生きて生きて生き抜いて、いつまでも皆のことを忘れずにいることが最高の親孝行だ』


 ギゼムの肩に顔を埋めた。ギゼムの手はなおもオルティの頭を撫で続けた。


『代官も将軍もすぐに出ていけとは言わなかった。公的には受け入れられぬが素知らぬ顔をしてアルヤ王国で暮らすことはよしとしてくれるとみた。そうしようか、オルティよ。態勢が整うまではただの一チュルカ人として暮らそう』

『そうだな、それも悪くない。少しずつ銀を売って、尽きる前に職か土地を手に入れれば、最低限生活はできる』

『それでいい。急いではならぬ。他にもグルガンジュ王国の生き残りが流れてくるかもしらんし、アルヤ王国の状況も変わるかもしらん。ゆっくり、ゆっくりだ』


 その時だ。

 ふたたび扉の開く音が聞こえてきた。

 オルティもギゼムも驚いて体を起こし離れた。


「おや、ギゼム姫もこちらにいらっしゃいましたか」


 出てきたのはアフサリーだ。彼は油灯ランプだけを持って歩いてきていた。

 油灯ランプの小さな炎にその顔が照らし出される。晩餐会の時と同じ穏やかな笑顔だ。

 オルティはアフサリーのこの笑顔を警戒した。笑っているからといって友好的なことを言うとは限らない。アルヤ人という連中は表向き誰にでも優しいのだ。


「寝る前に少し話をいいですか」


 緊張しながらもオルティは「ああ」と頷いた。今度こそ騙されまいと気を張ってアフサリーを待った。


 アフサリーがオルティとギゼムの前に座った。油灯ランプを床に置いた。


「先ほどはたいへんすみませんでした。がっかりさせてしまったでしょう」


 オルティもギゼムも何も言わなかった。そうだ、とは、言いたかったが言えなかった。さすがに幼すぎる。しかし気持ちは荒れていた。


「ご容赦願いたい。レイは都市ですが、地方です。我々の独断で外国と同盟したり敵対したりはできません。まして今中央は荒れていて外交に手が回りません、イブラヒム総督からアルヤ王を決めるまで余計なことをしないようにというお達しが来ています」


 アルヤ王を決めるまで、という言い方が引っ掛かった。

 噂は聞いていた。アルヤ王家の直系男児が二人生き残っていて、この兄弟が玉座を賭けて争っている。正確には、サータム帝国に争わされている。サータム帝国はアルヤ王を擁立して政治をしたいのだ。


「次のアルヤ王をどちらにするか、サータム帝国が決めるのか?」


 アフサリーは「微妙なところです」と答えた。


「サータム帝国の手が入らないわけでもないのですが、一応、我々アルヤ人が主体となって選ぶように、と言われています」

「民が王を選ぶのか。変わった仕組みだな」

「民が――いえ。正確には、我々十神剣が、ですね。我々十神剣は民でもあるので、間違いではないんですけど」


 オルティもギゼムも首を傾げた。アフサリーが苦笑した。


「総督は我々十神剣による多数決を望んでいます。十神剣――一人欠員が出たので、今、九人なんですが。九人で、多数決をせよ、とおおせです」


 オルティは一人腕組みをして唸ってしまった。


「考えられない。総督というのは鬼か。王にならなかった方に味方した将軍をどうする気なんだ、生かしても殺しても先に待つのは地獄だぞ」

「はい、それはもう、おっしゃるとおり。ですが他に王を決める良い手段が思いつかないのです。議会も多数決を採択しました」

「なぜ王子たちに直接決闘させない? より強く、より将にふさわしい者を王にすればいい。王とは軍隊の統率者なんだから――アルヤ王国では違うのか」

「うーん。そうであるとも言えるし、そうでないとも言えます。何せアルヤ王国は分業が進んでいますから。権力構造としてアルヤ王は王国軍の統帥権を持っていますが、指揮するのは軍の高官たちで、王が直接武器を取ることはないんですよ」


 チュルカ平原ではハンの息子たちが一人頭百人から千人の兵を率いて戦うのが常識だ。弱い息子はハンの後継者になれない。オルティ自身も二百人の部下を率いて戦う戦士だったのだ。


「――そういう分かりやすい基準があった方が、まだ、救われたかもしれませんね」


 アフサリーが自らのあごひげを撫でる。


「私にも票があるのですが、何を基準に選ぶべきかさっぱり分からない。あっち立てればこっち立たず、なかなか決められません。締め切りまであと八ヵ月。しかも私は北部にいなければならず王都にいる王子たちを観察できない。どうしたものか、ずっと考えていました」


 彼は「そこで現れたのがあなたがたです」と少し語調を強くして言った。


「ノーヴァヤ・ロジーナ帝国はこれからも南下を続けるでしょう。チュルカ平原はどんどんロジーナ人に呑み込まれていきます。北部や東部がチュルカ平原に接しているアルヤ王国には、平原のチュルカ人がどんどん逃げ込んでくる。けれどサータム帝国、そしてその傘下にいるアルヤ王国は後手に回っている。これは困った。はたして、平原のチュルカ人を、拒み続けるべきか、どこかで受け入れるべきか――アルヤ王に線を引いていただきたいのです。緑将軍である私は、サータム帝国ではなく、アルヤ王に、今後の対応の方針を決めていただきたい」


 油灯ランプに照らされて輝くアフサリーの瞳は、今度こそ、真剣に見えた。


「平原だけではありません。アルヤ王国には多くの定住チュルカ人が住んでいます。中には故地であるチュルカ平原の諸王国を支援する者たちもいます。このままでは彼らの反感も買うかもしれません。今、チュルカ人とアルヤ人の関係を、見つめ直す時が来ているのです」


 アフサリーは、笑みを消した。


「私の代わりに見てきてくださいませんか」


 オルティは目を丸くした。


「私の代わりに、王都へ行って。ソウェイル殿下と、フェイフュー殿下。それぞれが、対チュルカ平原政策を、どのように考えているか。確かめてくださいませんか」


 月はいつの間にか傾いていた。星は相変わらず瞬いている。


「チュルカ人であるあなたは、どちらを支持しますか?」


 アフサリーの声以外は、まったく静かだった。


「王都エスファーナへお行きください。王都で王子たちを見比べてください。そして私にどちらを支持するか教えてください。あなたをまことのチュルカの戦士、平原を代表する王子として見てお願いします。どうぞ、アルヤ王国の未来に関わってくださいませんか」


 オルティはギゼムと顔を見合わせた。さすがのギゼムも困惑している様子だった。下手をすれば他人の国の命運を左右することになる。話が大きすぎると思った。


 しかし――


『オルティよ』


 ギゼムが、緊張した面持ちで言う。


『次のアルヤ王を味方につけることができれば、平原に兵を出すことが可能になるかもしらんぞ』


 オルティは拳を握り締めた。

 夢が、夢で、終わらないかもしれない。


 唾を、飲んだ。

 そして、頷いた。


「承る」


 アフサリーが、ほっと息を吐いた。


「いずれにしても我々にはさしあたってすることがない。とりあえずこのまま身分を偽って一般人としてレイに定住しようと思っていたところだ。レイになろうがエスファーナになろうが俺たちにとってはそんなに違わないと思う」

「ありがとうございます。ぜひ王都に行って、王都から私に手紙を送ってください。心待ちにしています」


 そして、「しかしただ送り出すだけでは無責任ですね」と苦笑する。


「そうだ、王都の信頼の置ける者にあなたがたをお世話するよう頼んでおきます。当面その者の自宅に滞在させてもらえるよう手紙を出しておきますね」

「そうしてくれるとありがたいが、急ではないか? 迷惑ではないだろうか」

「大丈夫、ふところの深い男ですよ。まして平原出身者同士、話も合うのではないでしょうか」


 瞳が、輝いた。


「黒将軍サヴァシュ。――エスファーナに行ったら、この男を頼ってください」




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