第3話 歓迎の晩餐

 北部州はアルヤ王国の中では比較的雨や雪が多いらしい。ハザール海から吹く湿った風の影響だそうだ。塩害の影響がない南の地域では米の田んぼが作られている。山裾にのどかな田園風景が広がっている。チュルカ平原では見たことのない景色が続いた。

 メシェッドの宿屋の主人が言ったとおり、メシェッドからレイまでは馬で三日しかかからなかった。ともすればアルヤ王国がこじんまりしていると勘違いしそうになったが、ある宿屋では西部州の州都タウリスや南部州の州都ティラチスははてしなく遠いと言われた。それぞれの州都と王都エスファーナとの距離もまちまちなのだそうだ。ちなみにレイとエスファーナの間の距離は一番近く四日程度だと言う。

 レイは賑やかだった。城壁に囲まれている分人口密度が高くなるのかメシェッドよりも人が多いように感じた。市場では魚が売られている。ロジーナ人と思われる金髪碧眼の人々も溶け込んでいる。近くに見える山々は万年雪を冠していた。豊かな都市なのだ。

 城に辿り着いた。

 かつてはチュルカ人の、今はロジーナ人の襲来に備えているというレイ城は、遠目に見た時は物々しく感じていた。だが実際に近づいてみると市民は門番の兵士による簡単な受付審査だけで結構気軽に入城できるようだった。並んでいる若い兵士には威圧感がなく、門兵というより官吏に見えた。

 オルティとギゼムは門に近づき、行列を作る一般人の後ろに続いて並んだ。

 順番が回ってくるとまず「アルヤ語は話せるか」と問われた。オルティは少し緊張しながらも「俺は話せる、問題ない」と即答した。隣でギゼムが微笑み、穏やかな声で「わたし、はなす、少しニガテですね」と言う。

「きくダイジョウブです、弟はなすです。よろしくおねがいしますです」

 兵士が「姉弟きょうだいか」と呟いて頷く。

「チュルカ平原の方のようにお見受けするが、どちらの部族の出か」

「グルガンジュ王国の者だ」

「グルガンジュ……」

 兵士たちが顔を見合わせる。

「このたびはまことに残念であった。お悔やみ申し上げる」

 オルティはほっと胸を撫で下ろした。レイにはすでにグルガンジュ王国がノーヴァヤ・ロジーナ帝国に滅ぼされたことが伝わっているとみた。その上で、アルヤ兵たちは同情してくれている。敵ではない。

「アフサリー将軍にお会いできないだろうか。グルガンジュ王国とノーヴァヤ・ロジーナ帝国の状況についてアルヤ王国の立場のある方にお話ししたい」

「話を上げること自体は構わぬが、面会を求めるすべての人間をお通しすることはできない。紹介状など、よほどのことを思わせる何かをお持ちでないと実現は難しいかと存ずる」

 ギゼムの顔を見た。目が合った。彼女は頷いてくれた。

「我が名はオルティ、イルバルスハンの第六王子だ。こちらは第三王女ギゼム」

 兵士たちが目を丸くした。

「ロジーナ軍に追われている。アルヤ王国に亡命したい。よろしく頼む」

 兵士のうちの一人が「しばし待ちたまえ」と言って急いで城内に駆け込んでいった。オルティとギゼムは気を引き締めて待った。


 ほどなくして二人は城の中に案内された。しばらく控え室で待つように言われたが、豪奢なアルヤ絨毯が敷かれ、彫刻の施された木製の調度が並んでいるその部屋は、二人の目には接待の間として充分立派に見えた。

 グルガンジュに大勢いたアルヤ人たちを思い出す。彼らは城に文官として召し抱えた官吏から城下町を造った職人まで皆優雅で洒落ていた。アルヤ王国、特にレイに来てから、彼らがどうしてあんなに上品だったのか分かった気がする。こんな綺麗なところで生まれ育ったら皆あんな人間になるのだ。

 本物の楽園なのだ。

 アルヤ王国を選んだギゼムに感謝した。不本意な亡命だが、旅行先としてアルヤ王国は完璧だ。

 ややして、日が暮れる前に早めの晩餐会を、ということで、大広間に連れていかれた。

 蒼と金の太陽を囲む草花の模様の絨毯、蒼や白や緑で作られた石片タイルの壁、天井近くの硝子ガラスを埋め込まれた窓からは色とりどりの光が差し入る。楽器を手にした楽士の男たちと、布面積の少ない衣装を着た踊り子の女たちが、音楽に合わせてくるくると舞っている。

 用意された料理の数々――肉はアルヤ風の挽き肉の串焼き肉キャバーブからサータム風の羊、鶏、牛のかたまり肉、麺の煮込みはチュルカ料理、米の炒め物はアルヤ料理、積み上げられた石焼きパンナンも大きく丸く真ん中に模様の焼き印が押されているのはチュルカ風で、赤い魚介類の汁物は大華たいか風、緑色の汁に豆の煮物はラクータ風、生野菜や生果物の盛り合わせはサータム風と、実に国際色豊かだ。それらがいずれも山盛りに置かれているのだからオルティは興奮を顔に出さぬよう必死だった。ようやく満腹まで食べられる――十五歳のオルティにとっては何よりものことだ。

 もてなす側として現れたアルヤ王国の人間は二人だ。一人は北部州を治めるサータム人代官、もう一人は念願の緑将軍アフサリーである。サータム人代官もアフサリーも生地の薄い立て襟の服を着ており、サータム風とアルヤ風とがあるとはいえターバンを巻いているのも一緒で、アフサリーはあごひげを、サータム人代官はあごひげと口ひげを生やしていて、二人とも高貴な身分の伊達男といった様子だ。兄弟なのかと思ったくらい雰囲気が似通っている。

 オルティは二人に勧められるがまま食事をむさぼった。最初はハンの子なのに下品だと思われはしないか少しだけ緊張していたが、口をつけると得も言われぬ美味さと空腹を満たしたいという欲求の方が勝った。

 二人はそんなオルティをけしてわらわなかった。むしろ「元気がいい」と言って喜んだ。

「食べられるのは健康な証拠ですよ。食べられる時に食べておいた方がいい。こちらももてなしがいがあるというものです」

「うちの王子お二人もオルティ王子と同じ十五歳です、こうして拝見していると重なるところがありますね。若者にはみんなこうであってほしいものですよ」

 口々にそう言う二人はいずれも物腰穏やかで優しい。高圧的なところもない。オルティの心はすっかりほぐれてしまった。

 ある程度食べ終わってからグルガンジュ王国とノーヴァヤ・ロジーナ帝国の話をした。チュルカ平原のいくつかの王国がノーヴァヤ・ロジーナ帝国の南下によって滅びたこと、グルガンジュ王国は他のチュルカ系王朝の王国に援軍を送っていたこと、圧倒的な兵の数に押されて退却を重ねとうとう首都に攻め込まれたこと――何度も頭の中で練習していたかいがあってかうまく説明することができた。

 二人は黙って聞いて頷いてくれていた。

 しかし、話し終え、すっかり自分の務めを終えた気持ちになったところで、だった。

 予想しなかったことを言われた。

「まことに遺憾ですが、我々にできることはございませんな。今の話は聞かなかったことに致します。お引き取り願えますか」

 サータム人の代官は、なおも優しい笑顔のまま、はっきりそう言った。

「頼ってきてくれたことはありがたい。しかし我々サータム帝国にはノーヴァヤ・ロジーナ帝国の魔の手からアルヤ王国を守らねばならぬという絶対の使命があるのです。この楽園を戦火に晒さぬためです、それが宗主国としての務めなのです。ご理解いただきたい」

 頭を殴られたような衝撃を受けた。

 助けを求めるつもりでアフサリーを見た。

 アフサリーも、苦笑していた。

「申し訳ございませんが、十神剣には異民族の皆さんが思っているほどの絶対的な権限があるわけではございません。ましてや、アルヤ王国、サータム帝国、ノーヴァヤ・ロジーナ帝国、チュルカ平原の諸王国――ありとあらゆるしがらみの絡まったところで、議会や総督の判断なしに適当なことを申し上げるわけにはいかないのです。安易に、受け入れる、とは、ちょっと……」

 血の気が引いた。

 こんなに歓迎されて、大事に、丁寧に扱われていると思っていたのに、こんな仕打ちを受けるとは思っていなかった。

 もしかして、最初から追い返すつもりで歓待したのだろうか。そういえば、答えを出すまでの時間がいやに短かった気がする。ひょっとしてこの晩餐会が始まる前から追い返すと決めていて、禍根を残さぬためにあえて表向き優しく振る舞ったのでは――大陸の覇者サータム帝国と商業大国アルヤ王国ならではの手口だ。

 騙された気分だ。

 茶を飲みながら、サータム人代官は続けた。

「今日、レイ城に客人はなかった。ただ身寄りのないチュルカ人の若者とその姉を一時的に保護して食事と寝床だけ提供した――それで堪忍してください。あなたがたがこのままアルヤ王国に定住なさるとおっしゃるならそれは歓迎しますが、アルヤ王国として、レイに来賓はなかったということで」

 もはや食事は喉を通らなかった。オルティは湯呑みを握ったまま沈黙した。ギゼムも何も言わなかった。オルティの隣でただ斜め下を見ているだけだった。

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