第10章:草原の狼の息子と無双の黒馬

第1話 グルガンジュ王国の滅亡

 人馬の声が響く中オルティは愛馬にまたがった。城を脱出するためだ。


 むろんオルティにも悔しい気持ちはある。

 この都グルガンジュはオルティの父祖が苦労して作り上げた街だ。この城砦グルガンジュ城もオルティの一族が長らく政治の中心として保ってきたものだった。何より、オルティはグルガンジュ王国の王族である親兄弟を見捨てることにした――こんにちまで一族の血筋に連なる者として大事にされてきたオルティにとっては身を切る選択だった。


 だがオルティはすでに齢十五、一端いっぱしの戦士だ。

 滅びゆく王国と心中するのはまことの戦士のやり方ではない。


 オルティは誰より強い戦士でありたかった。グルガンジュ王国のハンの忠実な息子として、グルガンジュ王国の屈強なチュルカの戦士たちから成る部隊を率いる身として、若輩にしてすでに立派な戦士であると言われたかった。


 生きて、生きて、生き抜いて再起の時を図る。それがチュルカの戦士が成すべき道だ。一時の情に負けて死に急いではならない。死は最後の最後まで手をつけるべきではないのだ。


 絶対に力をつけて帰ってきてロジーナ人どもを駆逐してやる――その思いがオルティに脱出を選ばせた。


 大砲の音が轟いた。また城のどこかが砕けたはずだ。

 この城は古く砲撃への備えはない。そう長くはもつまい。


 オルティの父であるイルバルスハンは徹底抗戦するだろう。街に残る女こどもをロジーナ人どもの餌にしないためだ。限界まで命を削って戦い、そして、果てる。だが息子たちまで道連れにする気はないと思う。グルガンジュを抜け出してハンの血筋をつなげようとしているオルティを必ず褒めてくれる――オルティは自分にそう言い聞かせて歯を食いしばった。


 城壁はすでにロジーナ兵たちに囲まれていた。

 オルティはあえて正面突破を選んだ。不器用な自分では人目を気にして忍び出るより真正面を突っ切った方が早い。砲弾もロジーナ騎兵も馬を駆るオルティの速度には追いつけないという絶対の自信もある。それに、できることならオルティに気づいた者たちにも続いて城から出てきてほしかった。これ以上この城に籠城しても犬死にする。続いた者たちをすべて連れてグルガンジュを出る覚悟はあった。


 城の正門を出る。

 案の定、曲がりくねった城本体から城壁へ続く道をロジーナ兵たちが一人一人のぼってきている。狭い道を大隊が一気に駆け上がってくることはできない。


 オルティは馬にまたがったまま両手を手綱から離した。腰の弓袋に納めていた弓を手に取った。


 矢をつがえた。

 すぐに放った。

 あるロジーナ兵の眼球を射抜いた。


 間を置かず二本目を放った。

 また別のロジーナ兵の首を吹っ飛ばした。


 オルティに恐れをなしたロジーナ兵たちが道を開けた。オルティは城壁の門まで堂々と突っ走った。


 オルティは心底悔しかった。


 自分たち戦士一人一人がロジーナ人一人一人と相対して負けるはずがなかった。だが、ノーヴァヤ・ロジーナ帝国の圧倒的な物量、圧倒的な人海戦術に、草原から興った精鋭たちの小さなグルガンジュ王国は敗北しようとしている。


 城壁の周りを囲む歩兵たちを馬で蹴散らし、弓をしまって刀を構え、一気に大勢を斬り伏せた。


 堀の向こう側に置かれた移動式の大砲の口がオルティの方を向いた。しかし奴らが弾を込めて火をつける前にオルティは門をくぐり抜けた。


 城の周りの空堀にはロジーナ兵たちの死体が積み重なっている。いずれも大量の矢を受けて事切れているようだ。ロジーナ兵は斃しても斃しても湧いてくる。死んだ同胞のむくろを踏みつけて城に迫ってくるのだ。実に不気味だった。


 感情に負けてはならない。戦士は生きねばならないのだ。




 城を抜け出したオルティが最初に向かったのはグルガンジュ郊外にある王族の屯営地であった。


 統治者が立派な宮殿や城に住むアルヤ人やサータム人とは異なり、チュルカ人であるグルガンジュのハンは城に住まない。遊牧はやめたので季節ごとの移住の習慣はなくなったが、城はあくまで政治と軍事の拠点であり、ハンとその一族は草原にいた父祖と同じように幕家ユルトで暮らして軍隊の遠征があるたびに移住していた。


 もしロジーナ人たちがチュルカ人のその習慣を知っていたら、女たちを狙ってそこに向かうはずだ。

 生き残りがいれば連れて逃げねばなるまい。ハンの負担を少しでも減らすのだ。


 オルティの読みは当たった。


 アルヤ人技術者たちが造った美しいグルガンジュの街並みの中、オルティの行く手を阻むようにロジーナ兵の集団が増えてきている。


 煉瓦作りの家と家の間の道を、何の装甲もまとわぬ揃いの服を着ただけのロジーナ歩兵が塞いでいる。

 その人だかりの真ん中から女の声がする。


『使い捨ての駒に過ぎぬ哀れなロジーナ人どもよ、正々堂々私と干戈かんかを交えんとする剛の者はおらぬのか!』


 勇ましい大音声だいおんじょうはチュルカ語だったのでおそらくロジーナ人たちには通じていないと思うが、声量と威勢に圧倒されたらしく彼らは一歩また一歩と退いて輪を作った。


 中心にいたのは栗毛の馬にまたがった女武者だ。女だてらに鎖帷子かたびらをまとい、弓を腰に下げ、刃の長い刀を振り回している。そしてその刃はすでに血で濡れている。もう討ち取られた兵があるらしい。

 数本の三つ編みにされた上でひとつに束ねられている長い黒髪が踊っているように見えた。切れ長の目の下、滑らかな頬にも赤い雫がついていたが、彼女のものではなさそうである。


『さあかかってくるがいい、我が名はギゼム、イルバルスハンの三番目の娘だ!!』

姉者あねじゃ!!』


 言いながらオルティは弓を引いた。放った矢は女武者――ギゼムを取り囲みつつもおびえているロジーナ兵の喉を突き破った。


 ロジーナ兵たちがロジーナ語で何かを喚きながら逃げ出す。


 残ったロジーナ兵をオルティは馬で踏み潰した。ギゼムもまた逃げようとするロジーナ兵の背を容赦なく刀で切り裂いた。


『オルティか』

『ギゼム姉者よ、怪我はないか』

『大事ない、ほぼ無傷のようなものだ。このギゼム、寄せ集めの烏合の衆にやられるほどやわな女ではないわ』


 ロジーナ兵が消え失せたのを確認してから、彼女は刀を鞘に納めた。しかしその表情はなおも険しい。


『なぜお前がここにいる。城にこもったのではなかったのか』


 オルティは一度唾を飲んだ。


『城はもうだめだ、完全に包囲されていて砲撃を受けている。援軍もないのに籠城をして何になる?』


 ギゼムの黒い瞳が、挑むようにオルティを見つめている。


『俺はグルガンジュを離脱する。姉者も来てくれぬか。一人でも多くの同胞を連れて行きたい』


 ギゼムはわずかの間黙った。何かを考えているようだった。オルティは息を殺して彼女の返事を待った。彼女なら分かってくれるとは思うが、今の状況ではほんのわずかな仲違いも許されない。


 ややして彼女が口を開いた。


『私はもう若くない、出戻りの年増だ。ついていったところで何の役に立つのか知れぬぞ、お前の足手まといにはなりとうない』


 オルティはすぐに否定した。


『まだ二十五だろう、人生残り半分もある。それに十五の俺一人ではいろいろと心もとない、経験豊富な姉者が助言をしてくれるととても助かる』

『さようか』


 彼女はけして微笑みはしなかったが、それでも、頷いてくれた。


『よかろう、お前とともに行こう。いざという時はハンの男児の血統を後の世に残すお前の盾になって死ぬ道もあろう』


 戦士として顔には出さぬよう努めたが、オルティは内心とても嬉しかった。

 ギゼムは同腹の姉だ。小さい頃から母親のように守ってくれていた彼女を深く信頼していた。まして彼女は姉妹たちの中ではとりわけ胆が据わっていて勇猛果敢である。


 ギゼムは言った。


『逃げて失う名誉は一代限りのもの、死んで失う名誉は子々孫々のものだからな』


 彼女はまさに、チュルカの戦士なのだ。


『では姉者、どちらへ行こう? 東の大華たいか帝国か、南のラクータ帝国か』


 問うと彼女は『西だ』と答えた。


『西のアルヤ王国に向かうぞ』

『何ゆえ?』

『アルヤ王国は今サータム帝国の保護国だ。そしてサータム帝国はノーヴァヤ・ロジーナ帝国と犬猿の仲だ。敵の敵は味方だぞ』

『そうであるからこそなおのことロジーナ人に我々を売り渡すかもしらんぞ。好き好んで戦をしたい国などあるものか。厄介払いされるかもしらん』

『我々がイルバルスハンの血族であることを明かす機を考える必要はありそうだな。だがお前も知っているだろう、アルヤ人というのは基本的に上品でシャーや神を侮辱しない限りは穏やかな連中だ、アルヤ王国軍には大量のチュルカ人軍人奴隷ゴラームもいる、アルヤ語を話せるチュルカ人のお前を冷たくあしらうことはあるまい。一般人のふりをして潜伏するのだ』


 そして、苦笑した。


『何より――お前は情けないと思うかもしらんが。アルヤ王国は水と緑が豊かな楽園だと聞く。どうせ逃げて生き恥を晒すのならばいいところで生活してみたいのだ』


 オルティも、苦笑した。


『そうだな。アルヤ王国の緑地オアシスの温泉にでも浸かって、しばし休息とするか』




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