第18話 黒髪の姫君VS日輪の御子 3

 円形の焼き菓子でできた器の上に、黄色い果実のようなものが載っている。その果実のようなものは薄切りにされていて、円を描くように、飾るように盛り付けられている。そしてその上からさらに飴のようなもので覆われている。光を弾いてきらきらとまぶしい。

 すでに放射線状に八等分に切り分けられていて、ひとつひとつはカノの手のひらに収まる大きさになっている。

「何? これ」

「西洋の、タルト、という菓子でございます。上に載っているのは舶来のカボチャなる甘い瓜でございます」

 たまに中央市場で売っているのを見掛ける、巨大で硬そうなあの瓜だ。中身はこんな感じだったのか。

 シャフラは自信満々の笑顔だ。

「生地、焼き菓子の器は南部州の太陽の光をたくさん浴びた麦畑の小麦を使用しております。砂糖は遠い東南の島国から取り寄せました。カボチャは我が家の南部州の別荘に出入りする船乗りから。作り手は、西洋からやってまいりました、世界でも一流の菓子職人です」

 「殿下もお召し上がりください」と、彼女は言ってのけた。

「我がフォルザーニー一門の粋を集めた菓子にございます」

 カノは唾を飲んだ。

「それ……、あたしも食べていいやつ?」

 シャフラが「もちろんでございます」と答える。

「ソウェイル殿下と、カノさんと、わたくしと、それからどなたかがいらっしゃればお客様といただこうと思っておりましたの。ただ、特にソウェイル殿下にはぜひとも召し上がっていただきたいですわ」

 フェイフューは顔をしかめた。

「残念ですが、兄上に食べ物をお渡しすることはできません。宮殿の厨房で管理されているものだけをお出しするという決まりです。どこで作られたか分からないものを『蒼き太陽』のお口に入れるわけにはいかないのです。ついでに僕も」

「どこで作られたか分からない、ですって? フォルザーニー家の本邸の調理場にございます。それでは不服でございま――」

 一瞬、空気が、止まった。

 シャフラの抱えている箱に向かって、蒼い袖をまとった腕が、伸びてきたからだ。

 いつの間に、どうやって、ここに来たのだろう。

 白い手が、タルトの一切れを取った。

 そして何でもない様子で、当たり前のように、先端部を口にした。

「うまいな」

 時間の流れが停止したように感じた。カノも、シャフラも、フェイフューですら、何も言えなかった。

 ソウェイルが、シャフラの隣に立って、カボチャのタルトを手づかみで食べている。

「カボチャの餡が控えめな甘さでなかなかいいぞ。俺も好みだ。ただ、茶がいるな……口の中の水分が奪われる。あと結構腹が膨れそうだ」

 ソウェイルが一切れを食べ終えてから、我に返ったのだろうシャフラが珍しく声をひっくり返して「殿下」と言いながらひざまずこうとした。箱が落ちてしまうと思ったのか、ソウェイルが慌てた様子で手を伸ばし、箱を持ち上げてから「いい、いい、そういう大袈裟なことはしないでくれ」と言った。

「おいしかった。ごちそうさま」

「お、おそれいりま、す」

 箱の中に手を伸ばす。もう一切れを手に取る。

 ソウェイルは、そのタルトを、フェイフューに向かって差し出した。

「お前も食え。おいしいぞ」

 とうとうフェイフューの化けの皮が剥がれた。シャフラの前で自分を隠さなくなってしまった。

「愚かな……! フォルザーニー家が毒を盛っているかもしれないとは思わないのですか!?」

 シャフラが「毒ですって!?」と眉を吊り上げた。

「我ら誇り高きフォルザーニー一門がそのような非道な真似をするとお思いですの!?」

「ええ、しますよ、あなたのおじいさまは手段を選ばない狡猾な男ですからね」

「祖父を愚弄するのですか!」

 ソウェイルがシャフラを庇うように一歩前に出る。

「シャフラも一緒に食べるつもりだったと言っていた。自分も食べるつもりのものに毒を盛る奴はいない」

「その女の意思とは無関係です、娘を巻き添えにしてでもやろうと思う人間はいますよ」

「十何年も金や手間をかけて育てた娘だぞ、嫁にやって元を取る前に死なせてしまおうとは思わないと思うし、特にフォルザーニー家は自分の身内を無駄遣いしない気がする。あと、フォルザーニー家に今俺を暗殺する理由はないと思う。だって議長のおじさんには俺かフェイフューのどっちかを選ぶ権限があるんだから、どっちが自分の家にとって都合がいいかはっきりするまでは殺そうとは思わないんじゃないか。見極めるための時間もまだある」

 そしてシャフラを振り返って言う。

「小麦粉、カボチャ、砂糖。それから職人。シャフラはフォルザーニー家がどれだけ先進的で国際的か見せたかったんだろう?」

 シャフラが唇を引き結んだ。目元が赤らんだが彼女はこらえてそれ以上どうともしなかった。

「お前も食えフェイフュー」

 しばらくの間、誰も、何も、言わなかった。

 フェイフューはただ、まっすぐソウェイルを見つめていた。

 ソウェイルもただ、まっすぐフェイフューを見つめていた。

 カノは心臓が破裂しそうなほど脈打っているのを感じていた。空気が張り詰めている。カノには何も言えない。

 ただ、祈った。

 フェイフューが手に取ってくれるのを、待った。

 ややして、フェイフューが動いた。

「失礼します」

 そう言って、彼は顔を背けた。宮殿の中の方へ向かって歩き出してしまった。

 結局、彼は最後まで菓子を手に取らなかった。

 背中が、遠くなっていく。

 カノはその背中を見送ることしかできなかった。今の自分では彼に向かって何も言えないと思っていた。

 もっと考えなければならない。彼をここにつなぎとめるための何かを――ここでみんな一緒にいるための何かを、カノが考えなければならない。

 でも今は、何も思いつかない。

 無力だ。

 だが、いつかはまた、フェイフューも一緒に笑える日が来ると信じる。

「やれやれ」

 声がしたのでソウェイルの方を向くと、ソウェイルは手に持っていた一切れを箱に戻していた。

「いや、素手でつかんだもの戻すのやめなさいよ」

「大丈夫、あとで俺が食うから」

「食べられるの? 本当に? いつもフェイフューの半分くらいしか食べられないあんたが?」

「おいしかったからな」

 ソウェイルが、にこ、と微笑んだ。その可愛らしい少女のような笑みを見るとなぜか安心して泣きそうになる。

「ただ俺もシャフラが食べるかもしれないと思って饅頭クルチェを用意してしまった。菓子だらけだ……。カノも食ってくれ」

「また饅頭クルチェ!? あたしをこれ以上太らせるのやめてよ!」

「とりあえずお茶をいれるぞ。中に入る。お湯を沸かさねば……」

 ソウェイルが左手に箱を持ったまま右手で玄関の扉を開けた。先ほどまでフェイフューが立っていて開けられなかった扉だ。

「――そういえば、あんたいつの間に、どこから出てきたの? 玄関からじゃないよね?」

 カノの問い掛けに、ソウェイルが頷いた。

「窓」

「へっ」

「いや、玄関からフェイフューとシャフラの声が聞こえてきたから、なんかヤバい空気を感じて、こっそり様子を見ようと思って窓から出て家の周りぐるっと迂回して壁際でずっと様子を見てた」

 感心した声で「二人とも頭が良すぎて何を言ってるのかよく分からなかった」と言うので、カノはソウェイルの後頭部をはたいた。

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