第17話 黒髪の姫君VS日輪の御子 2

 シャフラが、両手で箱を持ったまま、大地に膝をつき、首を垂れた。その一連の流れは優雅で麗しく、誰かを前にしてひざまずいたという感じではない。日々の礼拝の一環のような自然な流れに見えた。

「お初にお目にかかります、フェイフュー殿下。シャフルナーズィア・アフサラ・ルーダーベ・フォルザーニーでございます」

 フェイフューが穏やかな声で答える。

「あなたがシャフルナーズィア姫ですね。お噂はかねがね」

「畏れ入ります」

 さっそくカノの恐れていた悪夢が始まった。

「フォルザーニー家の一の姫ともあろうあなたがいったいなぜここに? ここは宮殿の中でも軍の施設に近いところであまり和やかな雰囲気の場所ではありません、姫の身の安全が保障できかねます。その程度のことは理解の上での行動だと思いますが――それでもなおここまで来るということはよほどの事情があるのでしょう。よかったら僕に聞かせてくれませんか」

 フェイフューとの付き合いの長いカノには分かる。簡単に言うと、ここはお前のような世間知らずのお姫様が来るところではない、帰れ、この第二王子を前にして言い訳を語ろうなどと無礼なことはしないよな、という意味である。

 ちなみに、カノは白軍兵士の供もつけずに歩き回っているが、危ない目に遭ったことは一度もない。もしかしたら暗に赤軍兵士たちはフォルザーニー家の姫君にも何かするかもしれない危険な連中だと言っているのかもしれないが、それはさすがにカノの考え過ぎだと思いたい。

 対するシャフラもなかなかのものだ。

「畏れながら、お言葉に甘えまして申し上げます、フェイフュー殿下。ソウェイル殿下のご用命にございます。このシャフルナーズィア、『蒼き太陽』のお求めとあらばいかなるそしりをも受ける覚悟を決めてここまで参りました。太陽の御殿たる蒼宮殿に不穏なことなどありはせぬとの認識ではございますが、いずれにせよソウェイル殿下のご判断なしに逃げ帰るわけにはまいりません」

 シャフラとの付き合いの長いカノには分かる。簡単に言うと、自分が会いに来たのはソウェイルであってフェイフューではない、お前にどう思われようと知ったことではない、お前の言うことは聞かない、絶対に帰るものか、という意味である。

 空気に火花が散ったような気がした。

 ソウェイルに念を送るしかない自分が情けない。しかしフェイフューにとってもシャフラにとってもカノは自分より格下の相手でありまともに話を聞くはずがない。加えてカノには何をどう考えればこんなに嫌味ったらしい慇懃無礼な言葉の数々が出てくるのか分からなかった。勉強のできる人間はこういう話し方をするものなのだろうか、聞いて解釈を考えるだけでせいいっぱいで間に入ることはできない。

「――さすがはフォルザーニー議長」

 フェイフューが言う。

「この時期に、宮殿に、それも『蒼き太陽』のもとに一の姫を連れてくるとは。フォルザーニー一門にあらずんば人にあらず、とはよく言ったものですね」

 シャフラは「いいえ」と答えた。

「重ねて申し上げますが、このたびはソウェイル殿下にお声掛けいただいたものでございます。祖父の意思ではございません。祖父の傲岸不遜な態度、孫としてまことにお恥ずかしい限りでございますが、祖父も『蒼き太陽』は神聖不可侵であることを心得、議会を通さず私的に一族の者を引き合わせようなどとはもくろんでおりません」

「フォルザーニー議長は深謀遠慮のお人ですからね。ましてアルヤ王国随一の美食家、美しい女人はいかに使えばいいかを知り尽くしているに違いありません。あなたの把握していないところでは分かりませんよ」

 ようやくフェイフューが何をこんなに怒っているのか分かった。

 シャフラがソウェイルに対して色仕掛けを使うのではないかと疑っているのだ。それも、フェイフューの大嫌いなフォルザーニー卿の指示で、だ。女を使って大いなる政治の陰謀を果たそうとしているフォルザーニー卿、というものが、フェイフューの頭の中には存在するのである。潔癖なフェイフューからすれば許すべからざる行為だ。

 しかし、

「繰り返し、申し上げます。ソウェイル殿下のご厚意にございます」

 シャフラは淡々とした、冷静で落ち着いた声で繰り返した。

「そうだよフェイフュー」

 カノも声を上げる。

「シャフラはフェイフューが思ってるような後ろ暗いことのために来たんじゃない。学校でいろいろあって、ソウェイルと会って政治の話をしたいということになって――」

 フェイフューがカノを見た。

「学校で、いろいろ?」

 肩がぎくりと震えた。

「具体的に、何を?」

 説明できなかった。カノが学校で嫌がらせを受けたことから始まって、ソウェイルが女装して学校の見学に来たこと、シャフラがソウェイルに突っかかったこと、それからシャフラが学校で問題児扱いを受けるようになったこと――どの場面を切り取ってもフェイフューにとっては不愉快な話の気がする。特にソウェイルが女学校に行ったことは言えない――しかしそれを説明しなければどこでソウェイルとシャフラが接触したのか明らかにできない。

「言えないのですか?」

 フェイフューが、溜息をついた。

「まあ、構いませんけれど。女性にあまり難しいことを求めてもね。女性は勘違いや気持ちのたかぶりで動いてしまうこともあるでしょう」

 カノは泣きそうになった。

 フェイフューのそれは優しさではない。

 でもカノにはそれを説明できない。

 シャフラは負けなかった。

 シャフラが一歩前に出た。

「おぼろげなりて 月の下

道暗くして おぼつかなし

明日の見たし 花の顔

光に焼かれん 我が身かな」

 美しい言葉のちりばめられた、綺麗な情景の詩だった。シャフラのよく通る高い声で詠うとなおのこと味わい深い。

 ――夜の月明かりはおぼろげで、月下の道が暗くて足元がおぼつかないです。花は咲いて明日の太陽の光を見たいと思っていることでしょう。私の身も太陽の下に咲く花のように太陽の光に焼かれようとしています。

 夜明けを求める詩のように感じるが、本当はおそらく――

 ――サータム帝国の紅い月の旗の下ではアルヤ王国の政治の芯がおぼろげです。民の行く末は暗く生活はおぼつかないです。明日の王が見たいのです、女である私も。明日の王のためなら、私のこの身も激しい太陽のご威光に焼かれることを受け入れます。

 きっと、こうだ。

 この詩は、政治の詩なのだ。

 カノは初めて、勉強してよかった、と思った。そして、そんなカノとは段違いの格で詩を詠んでみせるシャフラを素直に尊敬する。シャフラは本当に頭がいいのだ。

 彼女は、男と対等に戦えるような詩を詠むことができる。

 詩の名手フォルザーニー卿の血を引く人間ならではの反撃だった。

 しかし、フェイフューは笑った。

 彼はいとも簡単に返歌を詠んでみせた。

「月よ を照らすもの ほのかなり

うるわしのかんばせ 秘められべからずや

花よ 草に咲くもの ゆたかなり

かぐわしのかんばせ 首を垂れむ」

 とても美しい詩だった。あの現実主義のフェイフューがこんな叙情的で幻想的な詩を詠むと思っていなかった。

 ――月よ、夜を照らすもの、その姿はほのかな明かりで美しい見た目をしていますが、秘められるべきではないでしょうか、いえきっと秘められるべきです。花よ、草原に咲くもの、その姿は豊潤でかぐわしい香りをしていますが、頭は下げているべきでしょうね。

 だがたぶん、彼は、月も花も美少女であるシャフラのことを言っていて、つまり――女であるお前はいるべきところをわきまえろ、ひっそり暮らせ、男相手に頭を下げろ、と言いたいのだ。

 とどめを刺すように付け足した。

「女性は荒々しい政治の場に出てその身を危険に晒すことはせず女性としての幸福を追求してください」

 それは、優しさでは、ない。

「……さようでございますか。たいへん失礼いたしました」

 カノは、涙が頬を伝っていくのを感じた。

「では、わたくしはこれにて、失礼いたします」

 シャフラには負けないでほしかった。けれどシャフラを援護するようなことはカノには何もできない。どうすればフェイフューに立ち向かえるのか、カノには何にも思いつかないのだ。

 シャフラはカノを級友たちの攻撃から守ってくれたのに、カノはシャフラをフェイフューの攻撃から守れないのだ。

「正門までお送りしましょうか? あなたとカノだけでは心配です」

「恐縮でございますが、お願いいたします」

 「けれどその前に」と、シャフラが顔を上げ、立ち上がった。突然のことだったのでフェイフューが驚いた目をした。

「最後に。こちらだけ、ソウェイル殿下にお渡しいただきたいと存じます」

 そこでようやく、シャフラが両手で持っていた銀の箱を掲げた。

 左の片手に移し、右手で箱のふたを取った。

 カノは涙を拭って箱の中身を覗き込んだ。

「……菓子、ですか?」

 フェイフューが問うと、シャフラが「はい」と微笑んだ。

「フォルザーニー家お抱えの菓子職人に作らせたものです」

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