第16話 黒髪の姫君VS日輪の御子 1

 翌日の午後、カノはシャフラと蒼宮殿の正門で待ち合わせた。


 シャフラは若い女性を三人伴って現れた。シャフラも含めて四人全員揃いのチャードルを纏っている。おそらくフォルザーニー家の侍女を連れてきたのだろう。


 カノもチャードルをかぶってきたが、夏の真っ昼間の強い日差しから肌を守るためだった。特に深い意味はない。


 カノは自由な服装で好きな時に宮殿へ出入りできる。物心がついた頃からずっとこうで、今まで誰からも何も言われたことはなかった。だから真っ黒な揃いのチャードルを纏って許可が出るまで正門の前に立って待つというのが異様なことに思えた。しかし例外はカノの方だ。


 宮殿の内側からシャフラに駆け寄った。シャフラを迎え入れるためひと足先に部屋へ行ってソウェイルと掃除をしていたのだ。


 自分はいつでも宮殿の内側に入れる。

 その意味をもっと深く考えないといけないと、カノはようやくそう認識した。


「シャフラー!」


 声を掛けると、シャフラだけでなく、シャフラの侍女たち、そして門番の白軍兵士たちも、一斉にカノの方を向いた。

 そして、全員が首を垂れた。

 全員が、だ。シャフラも含めて、だった。

 それを嫌だと言えるほどカノは強くも幼くもなかった。


「宮殿の南東に昔赤将軍のユングヴィが使っていた小屋があってね、今、そこをあたしたちの勉強部屋にしてるの。ソウェイルは宮殿の南の謁見の間を使って話が大袈裟になることや宮殿の北のソウェイルの私室に呼んであらぬ誤解を招くことをすごく心配してる。で、その南東の小さな部屋であたしや警備の白軍兵士がいるところで話をしたいって言ってる。二間しかない小さな家で、想像とはだいぶ違うかもしれないけど、そこでならあたしもソウェイルもゆっくりできるからさ、シャフラにもそこに来てほしい、できればこれからしばらく通ってほしい、って」


 あえて丁寧に説明した。シャフラの侍女たちが聞いているからだ。彼女たち三人も状況を把握していれば安心してくれるだろうし、シャフラの家の人間、たとえば祖父や父のような権威のある人々にも話をしてくれると考えた。


「案内するよ。行こう」


 そこまで聞いてから、シャフラが顔を上げた。

 彼女は侍女たちを見回して言った。


「貴女たちは帰りなさい。今聞いた話を家の者たちに説明するのです」


 侍女のうちの一人が言う。


「しかしながらお嬢様、お帰りはどうなさるおつもりでございますか。どのくらいでお迎えに上がればよろしいでしょう。我々はここでお待ちした方がよろしいかと存じます」

「いいえ帰りなさい」


 シャフラは断言した。


「わたくしをこの炎天下でひとを待たせる人殺しにしたいのですか」


 カノは唇を引き結んだ。高貴な身分の姫君の生活がいかに息苦しいかを思い知らされたからだ。シャフラは普段からこうやって自分の世話係に囲まれる生活をしているのだろう。学校の中だけの付き合いだったら気づかなかったことだ。


「おじいさまが議事堂にいらっしゃるはずです、帰りの時間を合わせておじいさまとおじいさまの護衛たちとともに帰宅しようと思います」

「承知いたしました」


 シャフラを宮殿の勉強部屋に通わせる計画は悪くないと思っていたが、実行にあたって考えなければならないことはまだまだたくさんありそうだ。


 侍女のうちの一人に向かって、シャフラが手を伸ばした。見ると侍女の手には銀の箱が掲げられていた。カノの手のひらよりは大きいが、一辺はカノの手首から肘までの長さほどではない、女でも持てる大きさの箱だ。シャフラはその箱を手に取ると抱えるようにして持った。


 シャフラがカノの方へ歩み寄る。


「では、よろしくお願いいたしますわね」


 カノは頷いて宮殿の中へ向かって歩き出した。




 正門から勉強部屋まで少しの距離歩く。まだ夏が始まったばかりにもかかわらず日差しは強くチャードルの中は暑かったが、宮殿の中に植えられた木々や流れる小さな水路は目に涼しい。宮殿の建物の壁面、蒼と青の石片タイルも見た目はひんやりとしていて気持ちが少し軽くなる。


 椰子や蘇鉄そてつが等間隔に植えられている前庭を東の方へ行くと、今度は森のように木々が密集している場所へ出る。この奥に行くと赤軍の駐屯所があるが、カノとシャフラはその手前、かつて赤将軍が使っていた小屋の方へ向かった。


 この間カノはシャフラに勉強部屋の沿革について語っていた。沿革、といってもユングヴィが住み始めた十年前から今に至るまでの短い期間の話だが、いろんなことがあった部屋なのだ。


 シャフラは珍しくカノの語りに傾聴していた。

 彼女はどうやらソウェイルについてもっと知りたいようだ。カノがソウェイルの話をする時はいつも黙って真剣に聞いている。本気で勉強するということはこういうことなのだとカノは反省した。


 何事もなく辿り着くはずだった。


 勉強部屋の正面が見えてきた時、カノは嫌な予感を覚えた。

 玄関の扉の前に、誰か、いる。警護の白軍兵士ではない誰かが、扉の前に立ってカノとシャフラを待っている。


 近づいて、カノは、息が止まりそうになるのを感じた。


 フェイフューだ。


 彼は、部屋の真ん前で、通せんぼをするかのように、一人腕組みをして立っていた。


 あれほど強い語調で二度と来ないと断言していたのに、今に限って、何の用事だろう。


 いろんな想像が駆け巡っていった。


 ようやくソウェイルと和解して来る気になったのだろうか――それならこんな暑い中外で待たず部屋の中に入るはずだ。カノに何か用事があるのだろうか――それなら彼はカノの方をどこかに呼び出す気がする。それとも、それとも――


 機嫌が悪そうだった。ソウェイルとは違ってフェイフューはすぐ顔に出るのだ。眉間にしわを寄せ、唇を引き結んで、腕組みをし、白軍兵士たちにも話し掛けさせまいとしている。とんでもない威圧感だ。


 だがカノはひるみそうになる自分を叱咤した。こういう状態のフェイフューをなだめてやるのも自分の務めだと思うからだ。フェイフューから話を聞いて、満足するまで喋らせてやって、毒気を抜く。この世で唯一自分だけがこういうフェイフューを広い心で受け止めてやれる女なのである。


 それにしても、また背が伸びた気がする。顔立ちが少し精悍になって、彼はもう少年から脱皮して青年になろうとしているように思えた。まぶしい。あまり急いで大人にならないでほしかった。置いていかれる気分だ。


 カノとシャフラが近づいてきたことに気づいたのであろう、フェイフューがこちらを向いた。

 カノとは目が合わなかった。

 フェイフューはまっすぐシャフラを見ていた。

 いつもなら誰かの視線が自分よりシャフラに向いているとなるともやもやするものだが、今ははらはらした。


 フェイフューもシャフラも外面はいい。目が合うと、二人とも、愛想の良さそうな、上品な笑みを浮かべた。腹の中ではきっとこれっぽちも穏やかな気持ちなどないはずであろうに、だ。


御機嫌ようサラーム

御機嫌ようサラーム


 自信を持って言える――二人ともカノの前で見せる高圧的な態度の方が素であり、こんな譲り合いの思いやりに満ちた態度など、むしろ、相手を信用していない証だ。

 これは絶対に何か良くないことが起こる。

 カノは心の中でソウェイルに助けを求めた。ソウェイルに何とか調停してもらってとげとげしたこの場の空気をなあなあにしてほしいと思った。







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