第14話 この狭い世界で

 翌朝、カノはいつもより少し早く桜軍の寮を出て学校に向かった。


 昨日の教室はソウェイルのおかげでいい雰囲気になっていた。ここ数日の陰鬱な空気をソウェイルが払拭してくれた。翌日の今日はカノ一人だったが、何かが変わる気がしていた。


 それに、ソウェイルは、もし社会に対して思うところがあるなら十神剣であるカノを窓口にするように、と言い残した。

 誰かは自らカノに話し掛けてくるかもしれない。カノは十神剣であるがために必要とされるだろうし、十神剣として応えていきたいと思った。


 頑張れる気がする。

 気合を入れて学校に向かい、辿り着き、教室の前に立った時だった。

 教室の中から話し声が聞こえてきた。


「わたしも昨日お父様にソウェイル殿下の話をしたわ。ソウェイル殿下なら王国の女のあり方を変えてくださるんじゃないかしら、って。ソウェイル殿下のお考えはこれからの自立した女の生き方のように思えるのよ」

「私は、女が出しゃばるなと言われてしまうのが怖くて、家では学校でのことを具体的に説明できなかった。でもソウェイル殿下はそういうことを恐れるなとおっしゃってくださっているんだと思う。私たちを応援してくださっているのよ。私たちが力を持つことを良しとしてくださっているんだわ」

「困ったわね。フェイフュー殿下に非があるとまでは思わないけれど、フェイフュー殿下が直接わたしたち女にお考えをご説明くださることってないじゃない? お聞きしたら変わるのかしら」

「兄上様からフェイフュー殿下を支持なさっているのって革新派の過激な白軍兵士だという話を聞いたことがある……。ソウェイル殿下の方が穏やかで安心できるお人柄みたい。わたし、ソウェイル殿下の平和な治世で生活したい」


 カノは感動した。今まで目先の結婚のことばかり気にしていた級友たちが、昨日のソウェイルの件を機に政治について話すようになった。きっと、これが、フェイフューの大好きな啓蒙するという行為なのだろう。ソウェイルはよくやった。


「いずれにせよ『蒼き太陽』の印象が変わったわね。なんだかとても恐ろしくて触れていけないもののように思っていたけど――」

「私も。とっても親しみやすいお方。話しやすいと感じるわ。機会があるならもう一度ゆっくりお話しさせていただきたいと思う」


 嬉しかった。宮殿の勉強部屋で饅頭クルチェを食べているだけだと思っていたソウェイルが宮殿の外でもひとに認められたのだ。それも、古い固定観念の中の『蒼き太陽』ではなく、今生きているソウェイルが評価されている。ソウェイルもやればできるということだ。


 しかし、だ。


「でもこれは実際お会いしてみた人間でないと分からない気がしますわ。わたしたちがいくら口頭で家族に説明しても、何と言うか……、もっと感覚的な問題ですわよ」

「ソウェイル殿下もうちにおいでくださって父や祖父にお考えをご説明なさったらきっと変わると思う。父や祖父にもソウェイル殿下とフェイフュー殿下と比べてもらうのよ」

「何とかお呼びできないかしら」

「どうやって?」


 カノは、頭を殴られたような衝撃を受けた。


「カノさまを通じてやり取りするのは嫌よ」


 少女たちが、一斉に盛り上がった。


「わたしも嫌! またつけ上がると思うわ、自分がわたしたちに必要とされていると思い込むに違いないわよ!」

「話がカノさまの都合のいいように捻じ曲がったりしないかしら? ほら、あの方その場の思いつきでお話しになるじゃない? 私あの方のああいう自分勝手なところ嫌い」

「またカノさまだけがソウェイル殿下とお話しできるってこと? フェイフュー殿下だけじゃなくて? カノさまだけが両方と! 本当に図々しいひと!」

「カノさまに頼みごとは避けたいわよね、借りを作りたくないというか……」


 目の前が歪んだ。次から次へと涙が溢れてきては頬をつたった。


 そんなふうに思われていたのか。


 足元ががらがらと崩れていく音を聞いた。世界が真っ暗になったような気がした。

 もうこの場にはいられないと思った。逃げ出したかった。できることなら消えてしまいたい。

 嫌われていたのだ。必要となどされていなかったのだ。


 少女たちはまだ盛り上がっている。


「なんとかカノさまの頭を飛び越えて殿下がたと接触できないかしら? ベルカナ将軍やユングヴィ将軍とお話しできる知り合いはいないの?」

「ちょっと捜してみるけど、どうかしら。聞いたことはないわ」

「いなかった場合は――」


 誰かが、「諦めましょう」と言った。


「カノさまに頼るくらいなら二度とソウェイル殿下にお会いできなくていい」


 つらかった。身を切られるような痛みだった。


 カノ一人だけが不利益を被るのではない。

 彼女たちは、カノを避けたいがためだけに、社会の停滞を選ぶのだ。カノが憎いあまりに、女性が世に出ていけなくてもいいと、ソウェイルの治世に参画しなくてもいいと言っているのだ。


 カノが彼女たちを政治から遠ざけてしまった。


 責任が重すぎる。

 自分はとんでもないことをしてしまった。

 彼女たちにもソウェイルにも申し訳なかった。

 消えてしまいたい。


 教室の中に入れなかった。


 カノはその場にしゃがみ込んだ。チャードルの裾で目元を押さえた。布が生ぬるい液体で濡れていった。


 こんな中に入っていく強さはカノにはない。


 取り返しのつかないことになってしまった。


 どうやって詫びればいいのか分からない。誰に詫びればいいのかも分からない。


 ベルカナの顔が浮かんだ。


 ――お友達とうまくやってけるならいいわよ。


 友達を全員不幸にしてしまった。

 消えたい。


 そこで、突然、だった。

 絶望しているカノの隣を、豊かな黒髪が通り過ぎていった。


 顔を上げた。

 シャフラの白い横顔が見えた。


 彼女はカノをそのままに勢いよく教室の戸を開けた。教室の中にいた少女たちがこちらを向いてぎょっとした。


「サ……御機嫌ようサラーム、シャフラさん」


 シャフラの足元にはカノがうずくまっている。皆気づかないわけがないのにシャフラの名前だけを呼ぶ。

 そんな少女たちに対して、シャフラは「見損ないましたわ」と言った。


「恥を知りなさい。貴女たちはこの狭い世界でしか通用しないことわりのために大義を捨てようとしているのです。目先の人間関係にとらわれてアルヤ王の治世を軽んじようとは。だから、女は、と言われるのでございましょう。女に政治などできないと言う殿方たちはこういうところを見ているのでございます」


 シャフラの声は、まっすぐだった。


「嫉妬なら嫉妬とおっしゃい。小さい頃から軍人たちにちやほやされて王子様二人と親しくできて勉強ができなくても言葉づかいが汚くても髪を短くしても大目に見てもらえるカノさんがうらやましいとおっしゃい。カノさんをとやかく言わずにおのれの境遇を嘆きなさい」


 少女たちのうちの一人が、震える声で「何よ、偉そうに」と言った。


「シャフラさんだって同じことを思っているでしょう?」


 シャフラは即答した。


「このわたくしを貴女たちと一緒にしないでいただけません? わたくしはフォルザーニー一門の女、逃げ隠れなど一切いたしません。こそこそ本人がいないところで陰口など叩かず、堂々と、光の当たるところで、本人にはっきり、異議申し立てをいたします」


 そこまで聞いて、ようやく気がついた。

 カノが無視され始めたあの日シャフラが挨拶してきたことには、腹黒い意味はなかったのだ。シャフラはシャフラなりの道義として、他の少女たちの圧力に屈せず、カノにいつもと変わらない挨拶をしてきたのだ。


 シャフラは何にも変わらない。

 シャフラは何にも流されない。

 ただ、まっすぐに、立ち向かっている。


「貴女たちのその態度はこの狭い女学校の中でしか通用しませんわ。よく覚えておいでなさい」


 全員が黙った。シャフラを白い目で見ていた。

 シャフラは気にしていない様子だった。ただ、カノを見下ろし、「カノさん」と名を呼んだ。


「そんなところにしゃがみ込んで、みっともない。お下品ですわ。お立ちなさい。そして席につくのです」


 彼女は「堂々と、胸を張って」と言う。


「狭い社会に埋没する必要はございませんのよ」


 カノは、頷いた。


「ありがとう……」







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