第10話 蒼い髪の着せ替え人形

 学校の授業は午前中で終わる。カノはいつも正午になると桜軍の寮にまっすぐ帰宅してベルカナと二人長い時間をかけて昼食をとっていた。


 ベルカナはカノの学校生活の話を聞くのが好きらしい。級友とどんなやり取りをしたか、どんな勉強をしているのか、翌日はどんな予定か、カノからあらゆることを聞き出そうとする。


 カノはそれが不快ではなかった。むしろ楽しかった。もともとカノは喋りたい方なのだ。聞いてくれるのが嬉しかった。


 それに、ベルカナはカノを否定しない。カノが学校で何をしていてもナーヒドがするようにカノを怒鳴りはしない。落第が見えるくらい成績が悪いとさすがにたしなめられることはあったが、説教はされても折檻されることはなかった。


 解散して宮殿の勉強部屋に行ってからベルカナとの昼食を振り返り、カノからうまく話を聞き出すベルカナの手腕に尊敬の念を抱く。ベルカナのようにうまくひとの話を聞ける人間になりたいと思う――が、カノは自分が喋りたいという欲求に負けてしまうのでなかなか難しい。


 さて、今日は何の話をしよう。


 暗い気持ちになった。

 ベルカナに悲しい話をしなければならなくなるのではないか。


 今になって、カノはベルカナに楽しい話ばかり聞かせてきていたことを認識した。

 カノにとって学校は楽しいところだった。しかしそれも今振り返れば皆がカノをちやほやしてくれていたからだ。

 カノは教室の中心にいた。カノに逆らうのは唯一シャフラだけで、カノは教室の主役で、シャフラやその取り巻きたちと関わらなければ女王でありお姫様だったのだ。


 一変してしまった。天から地へまっさかさまに落ちてしまった気分だ。

 教室じゅうの少女たちに無視され、持ち物にはいたずらをされ、それでもどうにか話題に加えてもらおうとしたり顔色を窺ってあえて沈黙したりしていた自分が情けなく、恥ずかしい。

 教室内での立場が一気に最下層になってしまった。


 ベルカナにどう報告すればいいのだろう。


 時々ベルカナが口にする言葉が頭の中を巡る。


 ――まあ、ちょっとぐらいお勉強ができなくても、お友達とうまくやってけるならいいわよ。


 その友達とうまくいかなくなってしまった。


 ベルカナには何も報告できない。

 帰宅の足取りがとてつもなく重い。


 それでも帰らなければならなかった。女性が一人で長時間外にいるのは常識的なことではないのだ。いつまでもうろうろしていたら娼婦だと思われてしまうかもしれない。


 ベルカナと顔を合わせたくない。


 宮殿の敷地の周縁、木々に囲まれて涼しげな三階建ての集合住宅に辿り着いた。桜軍の寮だ。桜乙女たちはここで身を寄せ合って暮らしている。

 ベルカナは将軍であると同時に寮母のような存在だ。カノは特別目を掛けられているが気持ちは桜乙女の一員であり、大勢いるベルカナの血のつながらない娘たちのうちの一人としてここで生活している。


 玄関に入って、廊下を歩く。中庭の小さな噴水が目に入る。中庭を挟んで反対側、遠くに見える階段を上がるとベルカナの部屋だ。


 一応帰ってきたことだけは報告しないといけない。勝手にいなくなったと思われて騒ぎになるのは困る。けれど一緒に食事をしたくない。すぐに自室に引きこもって食事を拒否するしかない。食欲がないと言うべきだ。実際今カノはあまりの圧力に疲れたらしく胸がむかついていて普通に食べられる気はしなかった。


 階段を上がり、一番大きな部屋の扉を叩く。扉越しに聞こえていた少女たちの声がやむ。


「はあい、カノちゃんかしら」


 ベルカナの声がした。

 いつもと変わらぬ甘い声に、涙が出そうになった。

 顔を合わせたくない。今顔を見られたら心配されてしまうだろう。心配させたくない。


「ベルカナ、ただいま。あの――」


 食事はいらないと言おうとした。

 言う前に内側から扉が開けられた。


 カノは顔をしかめた。


「カノさん、おかえりなさいー!」

「みんなカノちゃんを待ってたんですよ」

「今日の学校はどうでした?」


 部屋の中にいたのが、ベルカナ、三人の桜軍の少女たち、それから――


「……おかえり」


 蒼い髪、蒼い瞳の少年――ソウェイルだったからだ。


「え、なんで?」


 ソウェイルは部屋の真ん中、桜の花が織り込まれた絨毯の上にまっすぐ立っていた。その傍に寄り添うようにしてベルカナがいる。


 ベルカナは裾の長い上衣カフタンを手にしていた。そしてそれをソウェイルにあてがっていた。


 よく見ると、ソウェイルはいつもの袴ではなく、深い緑色の下衣パンタロンを身に着けている。その周り、足元の絨毯の上には色とりどりの女物の服が散らばっている。


「んー、やっぱり緑はいまいちだわ」


 これではまるでソウェイルに女物の服を試着させているかのようだ。


「……何やってんの?」


 ベルカナが答える。


「ソウェイル殿下に合う服探し」

「なんで?」

「うちのコの服をお貸しすることになったから。どの服がお似合いになるかしら、と思って」

「いやそうじゃなくてさ」

「カノちゃんも服出してきてくれる? カノちゃんの方が殿下より背が高いから入るでしょ」


 ソウェイルがうつむき、悲しげな声を漏らす。


「そうだなあ、俺、まだカノよりちっちゃいんだなあ」


 桜乙女たちがソウェイルにまとわりついて「すぐ大きくなられますよ」「フェイフュー殿下だって大きいんですし」「まだ十五ですもの」と励ます。


「あーでも、カノちゃんの服って明るい色のが多いのよね、カノちゃんは地黒だから色が鮮やかな方が映えるのよねぇ。ソウェイル殿下は色白だから、落ち着いた濃い色の方がいいかしら?」


 桜乙女たちは能天気で、「いけません、老けて見えますよ」「カノさんの服の方が今風で華やかですよ」などと助言している。とても楽しそうだ。


「待って、待って、待って」


 部屋の真ん中、ソウェイルとベルカナのすぐ傍へ歩み寄る。


「ていうかそもそもなんでソウェイルに服を貸すことになったの? うちの、ってことは、桜軍のみんなとかあたしとか、女の子の服じゃない? ソウェイルに女装させるってこと?」


 他の誰でもなく、ソウェイルが「そう」と頷いた。


「その方が自然かな、と思って」

「え……それっていつどこでどんな状況においてなら自然だと?」

「女学校に行くのに。周りがみんな女の子なら、俺も女の子のふりしてた方が周りのみんなもびっくりしなくて済むかな、って……」


 何を言っているのかさっぱり分からなかった。


「ちょ……ちょっと、一から説明してほしいんだけど。女学校に行くの? どこの?」

「王立女学校以外になくないか?」

「うちの学校に来るってこと?」

「ああ」

「女装して?」

「そう」

「何するの?」

「一緒に勉強したり女学生さんたちとおしゃべりしたりする」


 カノは理解できずに硬直した。


「一日だけで、一回しか着ない服を仕立てるのはもったいないから、ベルカナに服を借りようと思って。そしたら、ベルカナ、学校に着ていけるような露出の少ない服持ってないって言うから……桜乙女のみんなやお前を巻き込んだ騒ぎになってしまった」

「騒ぎ、っていうか……どう考えてもソウェイルが女学校に行くということの方が大事件になると思うんだけど……」

「そうか?」


 ソウェイルの大きな蒼い瞳には不安や疑問など何もなさそうに見えた。


「特に何もしない。みんなの勉強の邪魔はしない。どんな生活をしてるのか知りたいだけだ。だからひっそり忍び込むんだ。マグナエを巻けば髪の色もごまかせるだろ」

「いやいやいやいやマグナエ巻いたってソウェイル眉毛も睫毛も蒼いでしょ」

「それに、王立女学校って王家の予算で運営されてるんだろう? もし俺が王になったら俺が学校長になるんだ。今からどんなところか知っておいてもいいかなあと思った」


 そして、一人頷く。


「一番は、貴族のへーきんてきな女の子が何考えてるのか知りたい、っていう……。でも俺の名前で宮殿に呼び出したら王妃様候補と勘違いされるんだ。だから、俺から会いに行かなくちゃ……」


 問題は女性が宮殿に来ることではなく女性がソウェイルと会うことの方にあるのだが、ソウェイルにはそれが分かっていないらしい。


「そんなのアリなの?」

「アリなのよ」


 今度答えたのはベルカナだ。


「テイムルが、社会勉強、なんて言ってたわよ」


 テイムルはどんな形でもいいからソウェイルに宮殿の外の人間と関わってほしいのである。それがたとえ女学校という本来閉ざされているべき空間の中の人間であったとしても、だ。


「それにねえ、『蒼き太陽』がお望みのことに異を唱えるわけにはいかないじゃない? 『蒼き太陽』が、お望みなのよ?」


 カノは言葉を失った。『蒼き太陽』が――ソウェイルが女学校に介入できるほどの力を持っているとは思わなかった。カノの身内で女学校に関与できるのは自分だけだと思っていたのだ。

 カノが女学校で何をしているのか知り得るのはカノだけのはずだった。

 このままでは、ソウェイルを通じて、カノがどんな学校生活を送っているのか露見してしまう。


 今日の午前中のことを思い出した。

 言葉が出ない。


「んー、蒼い御髪おぐしのことを思うとやっぱり朱色かしら。橙色、桜色あたりもいいわねぇ」


 カノにはそれ以上口を挟むことはできなかった。







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