第6話 ユングヴィの本音 1
玄関の扉に取り付けられた金具で扉を叩くと、すぐに内側から開けられた。
「いらっしゃい!」
そう明るい声で出迎えてくれたのはユングヴィだ。化粧をしていないのでぱっと見では男性とも女性ともつかない容貌だが、主婦らしく長く伸びた赤毛を後頭部でひとつの団子にまとめている。単調な
「ごめんなさいね、休んでるトコお邪魔して。お詫びって言っちゃなんだけど、お土産いっぱい持ってきたわよ」
言いながらベルカナが手に提げていた袋を見せる。午前中に中央市場でカノと二人で買い込んだ菓子類だ。ユングヴィが「えっ、なになに?」とはしゃいだ声を上げた。
「めっちゃ嬉しい! なんかいい匂いする! おいしそう!」
「あとでみんなで広げましょ。今何人家族になったのか分かんないから適当にいっぱい買ってきたわ」
ユングヴィとサヴァシュの家はとにかく子供が多い。二人の実子は五歳の長男と二歳の長女の二人だけだが、住み込みで働く召し使いの女性たちの子供もまとめて養っているのだ。カノの記憶によれば、最後にこの邸宅を訪ねた一年半前の冬の段階では二人の実子も含めて全部で六人だったはずである。
しかしユングヴィは「あ、ううん」と手を振った。
「今私一人なんだ。サヴァシュが子供たちみんな連れて川に遊びに行ったから。お手伝いさんたちも付き添いで一緒に行ったから、今日は私しか家にいないよ」
「あら、いい時に出掛けてくれたわね」
「違う違う、今日はベルカナとカノちゃんが遊びに来てくれる話になったから。女三人でゆっくりしろって言って連れ出してくれたんだよ」
「何それサイコーの旦那じゃない」
「ほんと、もう、ちょーそう思う。十年くらい前の男の人に顔と教養を求めてた私に会いに行ってお前の平穏な家庭生活を守ってくれる男はぜんぜんそういうんじゃないからなって言ってやりたい」
「遠回しにサヴァシュは美男でも教養人でもないって言うのはやめなさい」
玄関に入り、明るい中庭の方へ向かって歩きつつ、ユングヴィが「いい? カノちゃん」と語り出す。
「結婚するなら男は顔じゃないからね! 家事と育児ができる男だよ! 夜子供がおねしょしても黙って濡れた布団を洗ってくれる男!」
つい、フェイフューはまったく結婚向きではない、と思ってしまった。金があれば人を雇えるし、そもそも家事も育児も男性に求めるものではない、とは思うが、確かに夜中突然子供が泣き出しても嫌がらない男というのは高得点かもしれない。悩む。
中庭は広く開放的だった。真ん中に大きな椰子の木が植えられていて、木の下には井戸がある。井戸の石枠にも紋様が彫られていておしゃれだ。そしてその周りの地面には規則性のない凹凸がある。おそらく子供たちが掘って遊んだのを埋め戻したのだろう。
この広い邸宅はあちこちに子供のいる家庭の空気を感じる。壁に描かれた絵、立てかけられている木刀、歩き回る鶏――今にもどこかから幼児が飛び出してきそうだ。
「上がって上がって」
中庭を囲む回廊、玄関から見て右側に階段がある。二階へ通じる階段だ。この屋敷は夏の昼間を風通しのいい二階で過ごせるつくりになっている。妊婦のユングヴィが軽い足取りで階段を上り下りしているのを見るとはらはらしてしまうが、当の本人はまったく苦でなさそうな様子だ。
ベルカナも同じことを思ったのであろうか、「あんた体調はどうなの」と問い掛けた。ユングヴィは立ち止まることなく能天気な声で「ぜんぜん元気」と答える。
「あらそう、よかったわ。家に引っ込んでて仕事にも来てないって聞いたからよっぽどしんどいんだと思って心配してたのよ。ほんとにあたしたち今家に行っていいのかしら、って」
今回の会合はユングヴィに直接取り付けて実現したものではない。ベルカナが黒軍の集会所に行きサヴァシュを介して話を進めたのだ。サヴァシュの判断ならユングヴィに無理をさせることはないだろうと考えていたが、もしかしたら玄関で拒まれる可能性もあると覚悟していた。それが予想以上に普段どおりで拍子抜けする。
「ごめんごめん、これを機に上の子たちとゆっくりしたかったのもあって――息子にお母ちゃんは仕事か赤ちゃんかで俺の相手はぜんぜんしないって言われちゃったのがちょっとこたえてさ、生まれたら絶対ほんとに上の子の相手できなくなるって思ったから、ね」
二階の応接間の戸を開けつつ、振り向く。
「それにね、なんか、子供がお腹にいる時くらい、圧力みたいなの感じたくないな、って思っちゃって。私一人が怒鳴られて済むんならいいけど、お腹の赤ちゃんも怒鳴り声を聞いてるかもしれない、って思ったら――なんか、嫌になっちゃったんだよね」
ユングヴィは
やはり意図的に対立を避けて休んでいたのだ。
女性用の応接間は壁がほんのりと桜色で全体的に柔らかい印象だ。壁際に据え付けられた小さな棚の上に、猫のぬいぐるみが二匹並んでいる。長椅子に掛けられている覆いには大柄の花の刺繍が施されており、床に敷かれた絨毯にも
壁際に並んでいた座布団を中央に置きつつ、「座って座って」と言う。
「私飲み物取ってくるよ。お茶いれるね。茉莉花茶でいい?」
「いいわよ、あんたも座りなさい。飲み物なら持ってきたわ、市場で果汁の瓶詰め調達してきたの。
「やっだ、重かったでしょ」
「カノちゃんに持たせたから大丈夫。それに妊婦はそういうの好きでしょ」
「うん、ちょー好き。嬉しい。私もいただく」
結局ユングヴィは「どっちにしてもお茶碗必要だよね」と言って戸の方へ向かった。今度こそベルカナも引き留めず、「ありがと、待ってるわ」と言ってその場に腰を下ろした。
ユングヴィが戸を閉める。
静かだった。
「――やっぱり、十神剣で会うの嫌だったんだね」
カノが言うと、ベルカナは「そうね」と応じた。
「本人も自分がやらかしてんのを自覚してるのよ。自分がいたら殺伐とするって分かってる」
「逆効果だと思うんだけどなあ。ナーヒドもラームもユングヴィは逃げてるってカンカンじゃん」
「そう思えるのはあたしやカノちゃんが男に文句言われても言い返せるから。あのコは一方的に怒鳴られ続けるコ」
「まあ……、確かに、ユングヴィってナーヒドやラームががーって喋ってると黙っちゃうところあるね」
「世の中にはそういう空気の中にいると自分が責められてるって感じる人間がたくさんいるの。たいていは小さい頃から怒鳴られて育った人間よ。よく覚えておきなさい」
それから、「それにね」と苦笑する。
「母親が子供を支配できる時って妊娠中しかないのよ。生まれたら、無理だし、できてもしちゃいけない。だから、お腹にいる間ぐらい、いいものだけを与えたい、って思うのを、あたしは否定したくないんだわ」
未婚のカノにはぴんとこず何も言えなかった。ただベルカナの横顔が真剣なので何となく覚えておかなければならないと思った。自分も近い将来きっと子供を産むだろう。その時には今のベルカナの言葉を思い出すかもしれない。
「でも今日あたしと会う気になったってことは話がまた一歩進むってことよ。そこは前向きに評価しなくちゃ」
「そうだね、まるっきり拒絶してるってわけじゃないんだね」
「あたしたちなら信頼できると思ってくれたのかもしれない。ユングヴィが信頼してくれてるんじゃなくてサヴァシュが信頼してくれていてユングヴィにも信頼するようはたらきかけてるのかもしれないから、慎重に見極めないといけないけれどね」
そこで戸が開いてユングヴィが戻ってきた。金の模様が施されている華奢な
「お待たせー! せっかくのお客さんだからいただきものの高いやつ出してきた! こんなの子供たちとの生活での普段使い無理だもんね」
「あらどうも、ほんとに素敵なお茶碗ね。割ったら大変だわ」
「二番目が生まれた時に赤軍の若い衆がお金出し合って買ってくれたんだけどさ、こういうの出産祝いに贈ろうと思う時点であいつら独身なんだなって思っちゃう。ちゃんと教育しなくちゃ」
何でもない調子で話し続けられるベルカナを素直に尊敬する。カノはユングヴィの顔色を窺って黙ってしまった。
余計なことは言うまいと思った。少しでも気に障ることがあればユングヴィはまた沈黙するだろう。ベルカナがユングヴィの本音を引きずり出すのを黙って聞き、その話術を見習って体得するのだ。
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