第5話 普通の女の子から見た王子様

 教室の真ん中に学級のほぼ全員と思われる人数が集まって騒いでいる。みんな喋るのに夢中で、カノが登校したことに気づいていないようだ。いつもなら御機嫌ようサラームと微笑みを交わし合うところだが、今朝はカノのその呼び掛けに誰も答えなかった。


 チャードルを脱ぎ、外套掛けに掛けてから、人だかりに近づく。ようやくカノに気づいた何人かが振り向き挨拶をする。しかしカノの相手もそこそこに切り上げてすぐに前を向き話の続きをせがむ。


 カノは苛立った。この自分をなおざりに扱うとはと思うと面白くない。しかも自分には分からない話題で盛り上がっている。自分は蚊帳の外にいる。


 強引に掻き分けて輪の中央へ入った。少女たちがカノに押し退けられて一歩ずつ下がった。


 輪の中央にいたのは、意外にも、普段は目立たない級友の一人だった。特にこれといった特徴のない少女で、カノはあまり話したことがない。

 だが今はいつになく生き生きとして得意げに何かを話し続けている。

 周囲も熱心に聞き入っており、時々話の詳細をねだっていた。


「ねえ、何の話?」


 わざと大きな声で話し掛けた。その場にいた全員が振り向き、カノの顔を見た。

 中心にいた少女の表情が強張った。紅潮していた頬から色が引き、うつむいた。

 カノは眉間にしわを寄せてしまった。話し掛けただけでこんな反応をされるとは思っていなかったのだ。


 しかしすぐにこの反応の理由が分かった。

 傍にいた別の少女が答えたのだ。


「彼女の家にフェイフュー殿下がいらしたんですって」


 思わず言ってしまった。


「それってそんな騒ぐこと?」


 少女たちが顔を見合わせた。


「フェイフュー、普段からわりとあっちこっち歩き回ってるし、今は特に例の件があるから貴族院議員の家を巡ってるって聞いたけど。みんなの家にもそのうち行くんじゃ――」

「およしなさいよ」


 遮られたのでむっとした。

 声の主はシャフラであった。彼女は今回の話題には参加していなかったらしく一人だけ机について座布団の上に座っていた。顔だけをカノたちの方へ向けている。


「十神剣である貴女にはありがたみが分からないのでしょうけれどね、わたくしたち普通の娘にとっては、王子様にお会いできる機会は正月ノウルーズの一般参賀くらいしかございませんのよ。ましてや自宅という私的な空間で至近距離で拝謁するなど、ひとによっては一生ございませんわ」


 唇を引き結んだ。十神剣であり王子たちと親しく会話することを許されているのは本来誇るべきことのはずなのに、これではまるでカノが普通でなくむしろ卑しい身分であるかのようだ。面白くない。


 シャフラは涼しい顔で続ける。


「それに仮にいらしていたとしてもよ、殿方が訪ねてきたことを娘にわざわざ教える親などめったにおりませんわよ。お姿を見ることでさえ女の身ではかないませんのよ、普通はね」


 誰かが小声で言った。


「シャフラさんのおっしゃるとおりだわ」


 誰が言ったのかは分からなかった。けれどカノは言った犯人が分かっているかのように周囲をきつくにらんだ。ここでシャフラの味方をされるのが気に食わない。カノを普通ではないと遠回しに言ってくるシャフラを肯定するなどとうてい受け入れられるものではない。


 カノが来るまでは聞いてもいなかったであろうシャフラが、「それで、続きは?」と促す。


「カノさんにも聞かせて差し上げたら? フェイフュー殿下がどんなお方だったか」


 当人は「カノさまにお聞かせするようなことでは」と下を向いたままだったが、周囲を固めていた友人たちが「そうよ、もっと聞きたいわ」と励ました。


「でも、本当に、何か特別にお話ししたわけではないのよ」


 カノは頷いた。フェイフューは女となど喋らないのだ。


「ただ、窓からお姿が見えたから、手を振ったら、こちらを向いて軽く会釈をしてくださって。御機嫌ようサラームと声をお掛けしたら、御機嫌ようサラームと返してくださった。本当にただそれだけなの」


 それは意外だった。フェイフューが女相手に愛想よく挨拶するところが想像できないのだ。

 おそらくラームテイン辺りに何か吹き込まれて人当たりがよさそうに振る舞っているのだろう。もともと人前では猫をかぶるところがある、それを、今だから特別に気を払って、議員である屋敷の主人の娘に対しても実践しただけに違いない。


 それでも、女相手に、と思うと、もやもやした。

 フェイフューと会話ができる女は、この世で唯一自分だけのはずなのだ。


「別に、フェイフューは何とも思ってないと思うけど」


 カノが言うと、彼女はを握り締めた。


「分かっています。ただ、声を掛けていただいただけで嬉しかったんですもの……」


 フェイフューと挨拶以上の話ができることへの優越感と、フェイフューが挨拶でもよその女と口を利いたことに対する嫉妬と、彼女はたかだかそれだけの話でもカノには話したくないらしいということによる疎外感と――いろんな感情が一度に押し寄せて胸の中を搔き乱す。


 傍にいたひとりが「うらやましいわ」と言い出した。


「フェイフュー殿下、お素敵じゃない。お背が高くて、凛々しくて。わたしも間近でお会いしたいわ」


 それを皮切りに少女たちが一斉に話し始めた。


「手習い所でもあっと言う間に何でも身につけられて教える側に回られたと聞いたわ。とても優秀なお方なのよ」

「剣術がお得意で白軍兵士のうちの兄よりもお強いとかよ」

「大学でも博士たちのおぼえがめでたいそうで、こんなにできる方はいらっしゃらないってお父様が言っていたわ」

「立ち姿だけでもご立派なのが分かるわよ。お背がぴんとしていて、遠くから拝見していても気持ちがいいくらい」

「わたし……わたし、こんなことを口にするのははしたないかもしれないけれど、この際だから言わせてちょうだい……! 本当に、ただただお顔が好き!」

「わかる! そうそういない美男よねえ!」


 少女たちの騒ぎ声でまた教室の中がいっぱいになってしまった。


 フェイフューは本当に人気があるのだ。王子として皆の憧れの的となっているのだ。

 確かに見た目だけならおとぎ話に出てくる王子のようだが――


「みんなフェイフューの素を知らないからそういうことが言えるんだよ」


 カノだけが、本当のフェイフューを知っているのだ。その上で、フェイフューのすべてを受け入れて愛する覚悟があるのは自分だけなのだ。フェイフューのうわべだけを見て騒いでいる少女たちとは違う。


「フェイフューって、ああ見えて我が強くて、結構自己主張激しいから。本気で相手をしようと思ったら大変だよ」

「あら」


 割って入ってくる声がする。またシャフラだ。


「カノさんはよほどフェイフュー殿下にお詳しいようですわね、うらやましいことですわ」

「そういうわけじゃないけど……、でも夢ばっかりふくらんじゃうとさ、フェイフューって女の子嫌いだし――」

「それならなおのことよろしいのでは? 今回は挨拶してくださったのでしょう? 本来はさほど好きではない女性に対しても誠実に対応なさったなんて、分別のあるお方なのでございましょう」


 ひとりが「そうよそうよ」と言った。また別のひとりが「シャフラさんの言うとおりよ」と言った。カノの味方はいないようだった。


「それに、フェイフュー殿下もわたくしたちと同い年。つまりそろそろ花嫁選びをなさる頃ですわ」


 頭を殴られたような衝撃を受けた。


「ソウェイル殿下、フェイフュー殿下、いずれにしてもご即位されたらすぐ王妃をめとらなければなりませんもの。ここにいる娘でしたら皆きちんとした格式の家の女ですから、誰かが選ばれてもおかしくはございません。フェイフュー殿下のお目に留まれば可能性はございましょう。もしかしたらもう探し始めておいでかもしれませんわよ」


 フェイフューが自分以外の女を自らの意思で選んできて結婚するかもしれない――考えたこともなかった。

 フェイフューが結婚する時は議会が定めた見知らぬ女が相手であって、フェイフューが一個の人間として認識できる女は生涯自分しかいないと思っていたのだ。

 カノの方も、誰に嫁がされようとも、この世で自分たった一人だけがフェイフューに並び立てる女として存在感を保つと信じていた。


 自分で選んできた花嫁であれば、フェイフューは、カノより花嫁の方を尊重するかもしれない。


 少女たちが「夢は広がるわね」「想うだけならタダよ」と騒ぐ。

 その真ん中でカノはひとり呆然と突っ立っていることしかできない。


 昨日フェイフューが訪ねてきたというあの少女が、突然両手で自分の顔を覆った。そして涙声で言った。


「わたし、フェイフュー殿下に選んでいただけるなら王妃でなくてもいいわ。王になれなくてもあの方は素敵なお方よ」


 そんなことは誰よりもカノが知っている。


 また別の少女がカノに話し掛けてきた。


「ねえカノさま、ソウェイル殿下はどんなお方? ソウェイル殿下のお噂はあまり聞きませんわ。フェイフュー殿下と双子ということは、似ていらっしゃるの?」


 カノは何とか笑顔を作って答えた。


「ぜんぜん! ソウェイルは本当にだめ、出不精で、絵ばっかり描いてて、強く言われたら言い返せなくて――」


 訊ねてきた少女が「ふうん」と面白くなさそうな反応をする。何か失敗だっただろうか。焦る。


「いや、でも、別に、ソウェイルなら、女の子にきついこと言わないし、いいと思うけど……」


 ソウェイルが王になって誰かを王妃に迎える、というのはカノにとって何と言うこともない。何となく、姉妹のようにうまくやれたら、と思う程度だ。きっとカノから見たソウェイルは弟のようなものなのだろう。

 だが、フェイフューが王になって誰かを王妃を迎えるというのは――


「何ですか、皆さん、はしたない」


 気がついたら、教室の前の戸が開いていて、礼法の教師が入ってきたところだった。


「そんなに大きな声で話をしてはなりません。淑女たるもの何があっても騒いではなりませんよ」


 少女たちがそれぞれ自分の席に散っていく。カノも急いで自分の席についた。けれど気持ちは収まらない。授業に集中できない――いったいどうしたらいいのだろう。







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