第3話 くるみ饅頭と蒼き太陽 1

 カノは重い溜息をついた。

 結婚とは普通父親が決めるものだ。新郎が花嫁に望んだ女性の父親に娘を買い取らせてほしいと申し込むのが筋である。中にはこの男こそ娘婿にふさわしいと思った花嫁の父親が逆に申し入れる場合もあるらしいが、いずれにせよ決定権をもつのは娘の父親だ。

 カノはこの仕組みが嫌だった。しかし、本気でこの制度を古臭いと考えているからでも、結婚したいと思う心に決めた男性がいるからでもなかった。

 単に、カノには父親がいないのだ。

 カノのために婿を決めてくれる父親がいない――そのことがカノを不安にさせた。

 いったい誰が何と言えばカノの結婚は決まるのだろう。

 学校の手続きなど、父親が必要になった時に代理をしてくれているのは基本的にはテイムルだ。したがってカノが結婚する時も最終的な決定はテイムルが下すことになるのではないか、とは思うが、カノのために婿選びまでしてくれる気はしない。しかも今は双子の件で十神剣が大荒れ状態である。

 それなら自分で選んできた男性と勝手に話を進めたいものだが、今まで誰からも求婚されたことのない娘に選ばれても男性側は微妙かもしれない。女学校に在籍していると銘打たれていても婚約の申し込みがひとつもないというのはなんとも心もとない。シャフラに屈するようで悔しいが、やはり、求婚された数の多い娘にはそれだけの価値があるのだ。

 その上、はしたないとでも思われてしまった日には目も当てられない。普通は花婿が花嫁本人と話し合うことはない。これ以上でしゃばりな女だと思われたくない。

 挙げ句の果てに、カノは将軍である。正月ノウルーズは一緒にいられない、軍人と行動をともにする、もしかしたら南部への引っ越しもありえる、戦争になったらお飾りとはいえ先頭に立つ――アルヤ王の選定までする。妻が、だ。たいていの男性は嫌だろう。

 このままでは結婚できない。

 カノも今年で十六だ。そろそろ婚約しておかないと十七までに結婚式を挙げられないかもしれない。

 十七歳――人生で一番花嫁にふさわしい年頃だ。そして二十歳前の一番妊娠しやすい頃に一人か二人は作るのである。それが世間一般で常識的な、勝ち組の娘の人生設計である。

 級友たちはどんどん結婚していく。

 もう相手を選ぶなどと甘い夢を振りかざしている余裕はない。誰でもいいから求婚してほしい。

 暗い気持ちになってきた。

 ソウェイルに慰めてもらおう。

 そんなわけで宮殿の勉強部屋までやって来たわけだが――扉を開けると、土間に誰もいなかった。

「あれっ」

 ソウェイルがいる時はここに門番役の白軍兵士が二人配置されるはずだ。ソウェイルはいないのだろうか。

 だが、内側の戸の向こうから話し声が聞こえる。

 誰がいるのだろう。

 おそるおそる戸を叩いた。

「あの、カノですけど。誰かいるんですか?」

 すぐに返事が返ってきた。

「俺だ。入っていいぞ」

 ソウェイルの声だった。

 困惑しながらも戸を開けた。

 部屋の中の光景を見て、カノは絶句した。

 真ん中の卓を、ソウェイルと、おそらく今日の警護の若い白軍兵士の二人、合計三人が囲んでいる。そして三人で仲良く卓の上の皿に盛られた饅頭クルチェを食べている。

「お前も食ってくれ」

 ソウェイルが神妙な顔をして言う。

「……あの……、警備、しなくていいんですか?」

 兵士二人が慌てて口に饅頭クルチェを詰め込もうとした。それを見たソウェイルが「いい、食ってくれ、最後までゆっくり食ってからにしてくれ」と言って手を振った。

「俺がいいって言ったんだからいい」

「あんた今日は白軍の仕事の邪魔してるの?」

「そうゆう考えはなかった……」

「いやそういうことでしょ、土間で立ってるのが本来の仕事なんだからさ」

「でも、とどのつまりは俺の護衛なんだろう? 俺がいるところにいれば安心……」

「悠長に饅頭クルチェ食べてお茶飲んでる時に敵襲があったとしてすぐに対応できるの……?」

 白軍兵士の片方が「できます、ご安心ください」と答えた。カノはうっかり彼らをみくびってしまったことになったと気づいて「すみませんそういうわけじゃないんですけど」と縮こまった。

「ていうかなに? この山のような饅頭クルチェ。誰が持ってきたの?」

「俺だ」

「誰に貰ったの? その辺で貰ったもの口に入れたらだめってテイムルに言われてるでしょ」

「俺だ。俺が焼いた」

「あっそうあんたが。へえ。……へえ!? あんた饅頭クルチェ作れるの!? すごいけど王様に必要な能力じゃなくない!?」

 ソウェイルが饅頭クルチェを咥えて黙った。

 いつまでも突っ立っているわけにもいかない。カノは絨毯に上がり、靴を脱いで、卓についた。ちょうどソウェイルと向き合う形だ。

 卓の上に盛られている饅頭クルチェは、カノの手の平より少し大きいくらいの円形で、表面に渦巻き模様の焼き型が押されている。まだ焼き立てなのだろうか、小豆蒄カルダモンの爽やかな香りが漂う。

 ひとつ、手に取った。

 まずは半分、二つに割る。片方を卓の上に置く。さらに残った方を一口大にちぎって口に入れる。

 くるみの歯ごたえと肉桂シナモンの味がおいしい。

「好きだろ?」

 ソウェイルがいつになく自信に満ちた力強い声で言った。

 悔しいが、認めざるを得なかった。

「好きだよ……好きだけど……!」

「いっぱい食え。まだまだあるぞ」

「なんか違う……違うんだよソウェイル……!」

 白軍兵士が「もうひとついただきます」と言って手を伸ばした。ソウェイルが「もっと食え」と答えた。

「分量をちゃんと測らなかったから予定の三倍くらいの数になってしまって……」

「分量をちゃんと測らなくてもこの味にできるあんたはすごいよ……」

「フェイフューがいればあっと言う間になくなるんだけどな。フェイフューがいないと食べ物が減らないな」

 それを聞いた瞬間、カノは急に饅頭クルチェがしょっぱく感じられるようになってしまった。

 フェイフューがこの部屋に現れなくなってから、すでに三ヶ月も過ぎてしまった。双子は互いに口を利くことすらなくなったと聞く。

 ソウェイルも寂しいのだろうか。最近の彼は何も言わず最初からフェイフューなどいなかったかのように振る舞っているが、内心ではフェイフューがここにいないことをずっと気にしているのではないか。

 ソウェイルはフェイフューをどう思っているのだろう。

 カノには分からなかった。

 カノには、ソウェイルが何を考えているのか、分からないのだ。

 それでも、ソウェイルは争いなど望んでいないのは確かだ。彼は温厚で、平和主義で、菓子でも本でも何であっても衝突するくらいならと弟のフェイフューに譲ってきたのだ。

 カノが言葉を探しているうちに、白軍兵士のうちの片方が口を開いた。

「フェイフュー殿下の件、芳しくございませんね」

 ぼかした言い方だったので、彼が何を言いたいのか、カノには分からなかった。

 ソウェイルにも伝わらなかったらしく、ソウェイルが子猫のように愛らしく小首を傾げて「フェイフューの件って?」と問い掛けた。兵士が「いえ」と少し言いにくそうにしながら答える。

「昨日うちの実家にいらっしゃったそうですよ。どうやら貴族院議員の家を一軒一軒まわっていらっしゃるようですね」

 驚いたカノは「貴族院議員のおうちだったんですか?」と訊ねた。兵士が「ええ、父が」と応じた。

 もう一人の兵士が説明し始めた。

「白軍兵士はほとんどが貴族なんですよ。三男四男で親から相続するものがない貴族の息子が独力で生計を立てるために軍学校に入るんです。自分もそうです」

 なるほどと思い、頷いた。彼らは生まれた時点ですでにある程度進路が決まっていたのだ。白軍兵士といえば文武両道、品行方正だが、ほぼ生まれつきみたいなものなのである。道理で他の部隊の兵士とは出来が違うわけだ。

「兄が――一番上の兄、父の跡取りがですね、フェイフュー殿下に惚れ込んで、父にフェイフュー殿下を推薦するよう言っています」

 片方も「うちも似たような状況ですね」と言う。

「どこの家も似たり寄ったりかと存じます。祖父や父は先の『蒼き太陽』の偉業を知っているのでソウェイル殿下に多大な期待を寄せていますが、自分らの世代は生まれた時点ですでに殿下がたのお父上の時代でしたから、上の世代と下の世代とでだいぶ認識の違いがございまして」

「フェイフュー殿下の通っていた手習い所、あそこがまた厄介で、あそこを卒業した人間はみんな無条件でつるみたがります。つまり宮廷で派閥を作るんです。エスファーナ大学で一緒だという者もたいていはフェイフュー殿下を支持しています」

 ソウェイルは饅頭クルチェをかじり続けている。

「――実のところ、」

 そう語る二人の姿は、鉄の防御力を誇る近衛兵士ではなく、食い詰めて軍服を着ている若い貴族の青年のものだった。

「白軍にも。先ほども申しましたとおり、自分たちは、生まれつき兄たちに親の財産を奪われて育ったものですから。正直なところ、フェイフュー殿下に共感するところがあります。ただ我々は近すぎて、フェイフュー殿下のご気性の激しさを存じ上げていますから、手放しで支持するとまでは申しませんけれど」

「そう、自分たちはこうして定期的にソウェイル殿下とお会いしてお話ししているのでまた違います。ですが、ここや北の塔の護衛の任務に就いたことのない若い兵士は、まあ、いろいろと含むところがあるでしょうね。まして幹部たちが口を酸っぱくして先の『蒼き太陽』の時代はうんぬんと言うのを煙たく思う経歴の浅い兵士もいるわけで――」

 ソウェイルが「ふうん」と呟いた。

「ということは、『蒼き太陽』大好きのテイムルが何も考えずに俺って言ってしまったら、白軍は分裂するってことなんだな」

 二人がぎこちなく頷いた。

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