第4話 くるみ饅頭と蒼き太陽 2

 ソウェイルが湯呑みに手を伸ばす。

「白軍のひとたちは、テイムルのこと、無条件ですごく好きってわけじゃないもんな」

 知らなかった。「えっ」と驚いたカノへと、兵士二人が「お恥ずかしながら」「実は」と告白する。

「いえ、将軍にあえて反発しようなどとは思っておりません。上官として尊敬はしています。けれど、白軍特有のことで――」

「白軍兵士は軍学校で、護衛対象の王族に危機が迫っていると感じた場合、現場の判断で、将軍の命に背いてでも最善だと思われる行動をとるように、という教育を受けます。自分で考えて自分で動いていいんです。白軍兵士にとって将軍は絶対ではございません」

「だからもし、フェイフュー殿下をお守りするためには将軍に背く必要があるかもしれないという状況になった時――」

「ためらわない奴は出てくるでしょうね」

 白軍ならではの事情だった。白軍がテイムルを頂点とした機構だからこそ、また、白軍兵士たち個人個人が優秀だからこその危険性を抱えている。

 橙軍ならこんなことは起こらない。橙軍にとっての橙将軍が巫女だからだ。将軍の言葉を神託とみなして盲目的に従う兵士がたくさんいる。軍を主導する幹部たちも神託をもとに協議して切り盛りしていく。カノをお姫様として大事にすることで一体感を演出する体制を作り上げているのだ。カノもそういう仕組みを分かっているのでおとなの男がやる軍の運営を邪魔しないようあまり突っ込んだことは言わないようにしている。

 どちらがいいのかはカノには分からない。どちらであっても平時なら問題はないと思うからだ。悪いのは対立している今の状況であって軍の組織ではない――はずだ。

「テイムルも大変だなあ」

 ソウェイルが言った。その声にはどこか開け放したような能天気さがあって、言うなれば他人事のようだった。

「ちょっと、ソウェイル。あんた分かってる? あんたのことなんだけどさ」

 言うと、ソウェイルは蒼い瞳を丸くして「何をそんなに怒っているんだ」と応じた。

 周りがこんなにもソウェイルを心配しているというのに、ソウェイル本人ばかりが悠長に饅頭クルチェを焼いていて腹が立つ。

 カノは「あのね」と言いながら卓を叩いた。

 カノに言わせる前に、ソウェイルが口を開いた。

「あのなあ、カノ。俺までわたわたしてたら、みんなもっと不安だと思うぞ」

 言われてはっとした。

「別にいいんじゃないのか。今日は二人がこういう話をしてくれた。もしかしたらテイムルは俺が不安になるかもしれないことを俺には言うなと言うかもしれない、でも正直に家や白軍兵士のことを教えてくれた。かといって別にぎすぎすはしていなくて、饅頭クルチェ食ってお茶飲んで落ち着き中だ。悪くないと思う」

 ソウェイルだから、言ってもいい気がするのだ。安心して、落ち着いて、飲み食いしながら、気安く話し掛けることができるのだ。

 もしもフェイフューだったら、周りの人間はもっと委縮するだろう。十神剣であるカノでさえもフェイフューを怒らせまいと余計なことは言わないようにしている。フェイフューが同じ立場になった時、彼らが素直に同じ話をするかといったら、きっとそうではない。

「でも、それって、ソウェイルがナメられてるということなんじゃ……?」

 兵士二人が「そんなつもりでは」と言ったので、カノはまたやらかしてしまったことに気がついてうつむき「すみませんそういう意味じゃないです」と呟いた。

「まあでも、ちょっと困ったなあ」

 さほど困ってなさそうな声で、ふだんと変わらぬ無表情で言う。

「俺、宮殿の外に出るのが好きくない。宮殿の外に出るのが、というか、宮殿の外の人に『蒼き太陽』だって騒がれるのが。だからフェイフューみたいに顔を出して外を練り歩くというのがだめなんだなあ……」

 初めてソウェイルが不安を吐露したように感じた。ようやくソウェイルが今後の方針について考えていることが見えた。

「あの、ソウェイル――」

 何かできることがあったら手伝う、と言おうとした。

 カノが全部言う前に、ソウェイルがひとりで「まいっか」と言ってしまった。

「なるようになる。十ヶ月もあれば何かは起こるだろ、その時に考えるか」

 目の前にあった饅頭クルチェをひっつかんだ。

 ソウェイルの顔面に向かって投げつけた。

 刺繍や音楽は苦手なくせに、こういう体の運動の制御は得意で、カノが投げた饅頭クルチェは見事ソウェイルの額にぶつかった。

「食べ物を粗末に扱うなよ……」

「そう言って三年間も何にも起こらずただユングヴィと暮らしてたという自覚はまったくないんだというのはよーく分かった」

 「なんだ機嫌が悪いな」と言い、床に落ちた饅頭クルチェを拾って食べ始める。

「学校で何かあったのか? 聞くぞ」

 はぐらかされた。自分の真剣な心配を無視されたようで腹立たしい。これではまるでカノが一方的に理不尽な怒りをぶつけているかのようではないか。

 しかし――そもそもこの部屋に来た時のことを考える。

「そう、学校にちょっと腹の立つ女がいて」

 教室でのことを思い返して、カノは溜息をついた。

「シャフラっていう、ちょっと顔が綺麗だからって調子に乗ってる女なんだけどさ」

 ソウェイルは冷静に「お前顔のいい人間嫌いだな」と呟いたが、脇で饅頭クルチェを食べていた兵士二人の方が驚いた反応を見せた。

「ひょっとしてシャフルナーズィア姫のことでは」

「知ってるんですか?」

「シャフルナーズィア・フォルザーニー様といえば、独身の白軍兵士の間ではものすごい人気ですよ!」

 本当にもてるのだ。

 不愉快だ。

「あのフォルザーニー議長の孫娘で秘蔵っ子として有名ではありませんか! 容姿端麗の才媛、長く豊かな黒髪の糸杉の美少女と名高く――」

 語り始めた青年に、ソウェイルが「狙ってるのか?」と問い掛ける。彼は両手で顔を覆って「金と地位が足りないです」と答えた。

「できることなら、それは、考えてしまいますよ。賢く美しく立派な家の女性ですよ、最高ではありませんか。でもフォルザーニー卿に認められる男でなければ結婚できないんです。自分ではとてもとても……」

「元気を出してくれ。饅頭クルチェあげる」

 青年の肩を叩きつつ、「その派手な名前のお姫様が何だって?」と問うてくる。カノはすでに語る気が失せていたが、ここまで言っておいて引き下がるのもどうかと思い、仕方なく口を開いた。

「あたしのこと、将軍だから結婚できなくて可哀想、って。学校の成績も悪いし、貰い手がないんじゃないか、みたいなことを言うのね」

 意外なことに、ソウェイルは大きな蒼い瞳を丸くして彼自身のことよりも真剣に「ほんとうか?」と言ってきた。それが真面目に聞いてくれているように感じられたので、カノは話す気力を取り戻した。少し力を入れて続きを話し始めた。

「自分はたくさん求婚の申し込みがあるから男を選ぶ立場にある、というのを自慢してくるのよ。あとイラッときたのが、お嫁に行ける条件? 家の格式、教養の有無、顔、だってさ。さもあたしにその三つが欠けているかのようじゃない? 本当に感じの悪い女だわ」

 「へえ」と言ってから身を乗り出す。

「面白い」

「何が?」

「女って学校でそういうことを喋るのか。もっと聞きたい」

 蒼い瞳が真剣に輝いている。

「そのシャフラというひと、ここに呼べないか? 俺も話をしてみたい。そのお嫁に行ける条件という話、もっと掘り下げたい」

 珍しいことだった。ソウェイルがひとと会話したいと言い出すことなどめったにない。よほど惹かれたに違いない。悪口を言ったはずなのに複雑な心境だ。

「なりません、殿下」

 先ほどシャフラを嫁に欲しがった方がたしなめる。

「カノ将軍は将軍で十神剣だからこちらにお越しになるんです。普通は、女性を王子の名の下で宮殿に呼び出すなど、どのような醜聞になるかしれません」

 しかしもう片方の兵士は「いや、分からないな」と笑った。

「フォルザーニー一門の次期当主の姫ですから王妃になってもおかしくありません。フォルザーニー卿ならこれを機にソウェイル王の正室にと考えるかもしれませんよ、案外すんなり来させたりして」

 ソウェイルが「王妃」と呟いてうつむいた。

「ええ……そんな大変なことになるんならいい……」

 カノも一人腕組みをして考えた。

 王妃――その地位にはいろいろ思うところがあるのだ。

 けれどそれをこの場で語るのは気が引ける。ソウェイルと二人きりだったら話せたかもしれないが他にも男性がいるのである。ソウェイルと二人きりでも多少は気を使ったかもしれない。

「とにかく、あたしは取り次がないからね。シャフラにあたしの憩いの場に立ち入ってほしくない!」

「よっぽど嫌いなんだなあ」

 ソウェイルがまた「饅頭クルチェあげる、元気出してくれ」と言ってきた。カノは素直に次の饅頭クルチェを手に取り、食べるために二つに割った。

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