第2話 花嫁養成所

御機嫌ようサラーム

御機嫌ようサラーム

 少女たちの挨拶の声が交わされる。

 夏の太陽は早朝ながらすでに少女たちの肌を焦がそうと張り切って照っていた。だが彼女たちは皆チャードルと呼ばれる外套をかぶっている。やわく滑らかな肌が外気へ無防備に晒されることはない。分厚い布は少女の繊細な心と体を守ってくれるよろいだ。日差しも乾燥も遮るとなれば彼女たちはかなりの重量にも耐えることができた。見た目だけならまるでチャードルが軽くて涼しいものであるかのようだ。

 しかしそれも学校の門をくぐるまで――扉の向こう側、青い大地に赤い花の咲く美しい石片タイルの壁の内側へ入るまでのことである。

 日光から解き放たれ、外部の人間の目からも隔離されると、彼女たちは皆黒一色で面白みのないチャードルを脱ぎ捨てた。

 チャードルの中から色とりどりの衣装を着た姫君たちが現れる。

 くるぶしまで覆う丈の長いは白地や黒地に小花柄の刺繍だ。金や桜色の帯は流行りの細めで強めにしっかり結う。やはり今風のゆったりとした胴着ベストは臙脂を基調としていて、縁取りは思い思いの色の糸でなされていた。靴も、形状だけは平らでかかとのないものと統一されているが、模様はひとそれぞればらばらになっている。

 中でも一番の個性の発揮しどころはマグナエと呼ばれる頭布だ。各人がとびきりお気に入りの色の布をその小さな頭に巻いてくる。ただ、巻き方には流行りの型がある。今の主流では前髪はすべて布の外に出す。頭頂部をマグナエの下に隠した留め金で留めるのがコツだ。

 やれ誰某だれそれが新しいマグナエを巻いてきただの、はたまた宿題ができなかったから写させてほしいだの、少女たちのかしましい笑い声が響く教室の中、カノもまたチャードルを脱いだ。教室の一番後ろのすみ、外套掛けにチャードルを引っ掛けた。

 手鏡でマグナエの外に出した前髪を確認する。乱れていない。今日も上出来だ。唇をきゅっと引き結び、口角を上げ、自分で可愛いと思える笑顔を作ってから机の傍に座った。

 教室では横に二人並んで座れる長机を使っている。それが縦五列、横三列に並んでいて、全員で三十人収容できる。座席順は一応決まっていて、カノは少女たちの間では比較的背が高いので最後列に座っている。ちなみに直接絨毯に腰を下ろす形だ。尻の下に敷く座布団の意匠もまた個性の主張のしどころだ。

 隣の相方がいない。ふだんはカノより早く登校するのに珍しい。

 前に座る級友の背中を叩いた。

「ね、今日サミラどうしたか知ってる?」

 前の席の二人が振り向く。

「あら嫌だわ、カノさまったらご存知ないの? サミラさんと一番の仲良しだと思っていたのに」

「えっ、何も聞いてないけど。何かあったの?」

 少女たちが擦り寄ってきて、カノの机に肘をつきながら耳打ちした。

「結納ですって」

 カノは頭を殴られたかのような衝撃を受けた。

「しばらく婚儀の準備でお休みが増えると言っていたわ」

 だが女学生の結婚は珍しいことではない。結婚を機に学校を辞める級友はいくらでもいる。むしろ規定の課程をすべて修めて卒業する者の方が少数派だ。ほとんどが花嫁になって中退するのだ。

 王立女学校は、今からおよそ半世紀ほど前、ソウェイルとフェイフューの祖父に当たる『蒼き太陽』の手で設立された学校だ。女子教育を行なう公的機関としては大陸で唯一の施設である。明確に何歳から何歳までとは定められていないが、今在籍しているのは十二歳から十八歳、一番多いのは十四歳から十五歳にかけてだ。すべての課程を修めようとすると全部で五年かかる。しかしほとんどの少女は二、三年のきりがいいところで結婚をして辞めていく。

 毎年正月ノウルーズ明け最初の授業で行なわれるこの学校の沿革史の授業によると、時の『蒼き太陽』は、設立当初、この学校を寡婦のための教育施設として考えていたようだ。離縁されたり夫が戦争などで死んでしまったりすると、ひとりになった妻はたいてい食うに困って売春婦になる。『蒼き太陽』はそういう境遇の女性たちを憐れみ、絨毯織りや刺繍など女性でもできる手工業を教えて、自ら生計を立てさせることを考えた。それがそのうち、再婚するための礼儀作法を教える場になり、歴史や算術を教える場になり、いつの頃からか未婚の少女の花嫁修業の場に変わっていった。かつて貧しい女たちの最後のよりどころだった作業訓練所は、今や貴族の令嬢たちの花園になってしまったのだ。

 現在王立女学校に在籍している少女は全員高額納税者の娘だ。血筋も申し分ない上、女学校で徹底的に教養を仕込まれている。花嫁を探している男たちは女学校にいる娘を保証書付きとしてありがたがる。結果だいたい皆十五、六で買い取られてしまう。

「聞いてないんですけど!?」

 片方が「どうしてかしら、みんなが知っている秘密よ」と囁くような声で言う。もう片方が「言いにくかったんじゃございませんの?」と答える。

「最近カノさま大変そうですもの。お父様から聞きましたわよ、次の夏至祭りにまた例のことをさせられるんでしょう?」

 例のこと、とは総督イブラヒムの言い出した十神剣による多数決のことだ。少女たちは政治のことばをはっきり口にすることは好まない。ましてアルヤ人にとって面白くない不吉な事件事故の名称ならなおさらだ。だがどんなにぼやかしても伝わるものは伝わる。

「わたしたち、カノさまの邪魔になるのは嫌だもの。カノさまは選ばれた特別な方ですものね。だから余計なことは申し上げませんのよ」

 ひとりがそう言うと、もうひとりもすぐ「そうね」と頷いた。

「どうぞ、わたしたちのことはお気になさらず」

 その言葉がちくりちくりと刺さる。けれどその不快感の正体がよく分からなくてカノはいつも何も言えないのだった。

 不機嫌を隠すことなく、後ろに手をついて「あーあ」と息を吐いた。

「もー嫌になっちゃう、サミラまで結婚しちゃうなんてさ。ついこの間ナスリーンが結婚したばっかりなのに――ミナもフィラもレイリもお嫁に行っちゃった。あたしそのうち友達いなくなりそう」

 「サミラさんはまだもう少し学校にいるそうよ」と言って慰めてくれたが気は収まらない。

 さてどうして愚痴をこぼそうかと、考えていた時だった。

「そうですわね、お可哀想に」

 後ろから投げ掛けられた楽しそうな声を聞き、カノは顔をしかめた。

 振り向くと、案の定、嫌な女が立っていた。

「カノさんは将軍様でございますものね。お嫁に行けなくてお可哀想ですわ」

 うりざね顔は整った輪郭をしていて、眉も形がはっきりとしている。大きな黒曜石の瞳を守るのは二重まぶたに濃く密集した睫毛だ。紅をひかずとも赤い唇は邪悪に微笑んでいる。白地に金糸の派手な刺繍は彼女が大貴族の令嬢であることを表している。

 大きな曲線を描く黒髪がマグナエから出ている。腰まで届くほど長くて量が多い。豊かで長い波打つ黒髪は古い時代のアルヤ美女の象徴だ。自由を尊ぶ今時の活動的な女性として断髪を維持しているカノからしたら古臭い髪形だった。

「残念ですわね、この学校に入学できるだけで普通の娘は引く手あまたですのに――貴女あなたの成績では本当に正面玄関から入学できたのかも怪しいですけれども」

 かちんと来た。しかしカノが言い返す前に彼女はひとりで「あら嫌ですわわたくしったら」と言い出した。

「本当のことでも言っていいことといけないことがございましたわね。ごめんなさいね」

 そして高笑いをするのだ。

「ご安心なさって、わたくしもまだ嫁ぎ先が決まりませんの。あまりにも候補者が多すぎて選ぶのが大変なのでございますわ」

「……シャフラ……」

 シャフラ――正式な名をシャフルナーズィアというこの女は、カノの同い年の級友にして、最強の敵だ。将軍であるカノを微塵も敬わない、おそろしく無礼な女なのだ。

「あんたその性格で本当にまともなところにお嫁に行けると思ってるの?」

 シャフラはすぐに返した。

「殿方が花嫁を選ぶ基準は性格ではございませんもの。家の格式、教養の有無、顔。この三つでございましょう」

 彼女の言うとおりだ。そして大貴族の姫君であり学業が優秀であり教室で一番の美少女であるシャフラがもてないはずがない。

 自分を振り返ってしまった。

 将軍は本来世襲制ではないのでカノの子供が将軍になるとは限らない。歴史と算術の試験の結果はさんざんだ。顔だけは何とかなると信じたいが、カノを可愛いと褒めそやしてきたのはほとんどが橙軍の人間で、自分たちの将軍であるというひいき目が言わせている可能性は高い。

「いや、あたしが結婚できないのは将軍だからだし、あたしに問題があるわけじゃないし。あと別に将軍だからって結婚しちゃいけないわけじゃないんだから、そのうち将軍でもお嫁に欲しいって言ってくれる男性が現れるかもしれないし」

 上半身を起こして、「て言うかね」と反論する。

「これからの時代は女性が男性を選ぶべきだと思う。求婚してくる男の数を自慢するなんておばさんのすることだよ」

 シャフラは鼻で笑った。

「大勢求婚してくる中からわたくしが選ぶのでございますわ」

 カノは完敗した。

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