第14話 独立と対立の違い

 部屋でひとりウードを奏でていた時だ。

「フェイフュー」

 扉を叩く小さな音と、か細い声が聞こえてきた。カノだ。

 フェイフューは舌打ちをした。エルナーズに教わった曲を弾いてぼんやりあの夜のことを思うのは今のフェイフューにとって一番甘美で心地よい時間なのだ。それがカノのせいで現実に引き戻されてしまった。しかも、カノである。面倒臭い。

「ねえ、フェイフュー。ちょっと話をしたいんだけど」

 いまさら居留守を使うのも難しい。何せウードを弾いていたのだ、音漏れしていたに決まっている。

 溜息をついてウードを寝台の上に置いた。

 仕方なく、扉を開ける。

 どうやらカノ一人のようだった。フェイフューの部屋を守る護衛の白軍兵士二人に囲まれて縮こまっている。その表情は浮かない。放っておいたらまた泣くのではないかと思った。

「入りなさい」

 外で泣かれたら面倒だと思ったからそう言ったのだが、カノはちょっと笑って「いいの!? やった!」と言った。フェイフューを押し退けるようにして部屋の中に入っていく。

 扉を閉めようとして、兵士のうちの一人と目が合った。

 いくらカノとはいえ一応女である。十神剣だが、女なのだ。部屋の中に二人きり、というのは、あまり紳士的でないかもしれない。

 悩んだ末、扉を開け放したまま部屋の中に戻った。

 カノは図々しいことに部屋の真ん中に座って座布団を抱き締めていた。

「フェイフューの部屋すごい久しぶり!」

「そもそも僕も夜しかこの部屋にいませんでしたからね」

 夕飯までずっとカノとソウェイルとあの勉強部屋で過ごしていたのだ。カノがわざわざこの部屋に来る必要はなかった。

「なんかすごい片づいた? こんなにさっぱりしてたっけ」

「最近片づけたのです、この部屋で過ごす時間が増えたので、いろいろと目についてしまって」

 座布団を握るカノの手が、力がこもったのか白くなった。

「――あの部屋においでよ」

 声が、震える。

「あたしとソウェイルは、ずっと、いつもどおりだよ。最近は正月ノウルーズだからソウェイルも忙しくてなかなか時間が取れないけど、きっと正月ノウルーズ明けからいつもどおりに戻る」

「僕にはもう関係のないことですね」

 「そんなこと言わないで」と言う声にはすでに涙が滲んでいる。けれどフェイフューが泣く女を嫌っていることを知っているカノはそれを必死にこらえるのだ。

「また一緒に、おしゃべりしたり、本読んだり、お菓子分け合ったり。そういうこと、しようよ。ソウェイルと、三人で」

 だが、フェイフューはもう付き合っていられない。無駄話をしている時間はもったいないし、カノやソウェイルの読む本は程度が低すぎるし、満腹になるまで食べ物を詰め込みたいフェイフューにとって菓子を分け合うことは譲歩でしかない。

「聞いたよ。最近ご飯も別々に食べてるんだって?」

 宮殿の食事こそカノには関係がないのに、彼女は「寂しいよ」と言う。

「ソウェイル、きっと待ってると思うよ」

「裏切られてきました」

 「何度も」と、強く言った。

「何度も、何度も。兄上には裏切られてきました。僕がどれほど兄上に期待しても、兄上がそれに応えてくださることはないのです。もはや僕は兄上から独立しなければなりません」

「独立することと対立することは違うんじゃない?」

「そうですね、そのとおりです。ですが分かりましたよ、国じゅうが僕らの対立を望んでいるという――」

「そんなことない!」

 彼女は「そんなことない」と繰り返しながら目元を押さえた。

「今日……、あたしにとって初めての十神剣会議で」

 確かカノも十五歳になるまでこどもとみなされて会議への出席を許されなかったのだ。十五の誕生日自体はすでに去年の秋に過ぎていたが、正月ノウルーズになり、十五の春を迎えたことで、ようやく正式におとなとして参加を許されたのだろう。

「去年までは、難しい話は初めのちょっとだけであとはユングヴィとベルカナとテイムルが適当に育児の話をしてる、って聞いてて、そんなのんびりした雰囲気なら大丈夫かなって思ってたんだけどさ。今日はもうめちゃくちゃ。ずっと喧嘩してるみたいな雰囲気。特に誰と誰がやり合ってるってわけじゃないんだけどね、ぜんぜんお菓子食べてられる感じじゃない」

 想像して、溜息をついた。

「ずっと僕らの話題ですか」

「そうだよ。ずっとソウェイルとフェイフューのどちらを選ぶかの話だよ」

 フェイフューが訊ねる前に、カノが「大変なことになっちゃった」と自分から説明を始める。

「エル、フェイフューにつくって」

 予想どおりだった。

「会議にユングヴィとサヴァシュが来なかったから、ラーム、ナーヒド、エルの三人で、圧倒的にフェイフューの空気になってたよ」

 小さく拳を握り締めて喜びを表出させたフェイフューに、カノが「止めてよ」と訴える。

「フェイフューが何か言ってくれなきゃヤバいと思った」

 だがそうであることをフェイフューが望んでいるのだ。

「ラーム、ナーヒド、エル以外の面子メンツは? 他に動きはありましたか」

「アフサリーとベルカナはまだどっちって言ってない。あたしも……、ベルカナに、カノも今どっちかって決めるのはやめなさい、って言われてる」

 うつむきつつ、「まあ、言われなくてもあたしには決められないけどさ」と言う。

「どうぞ、好きな方を選んでください」

 カノは目を丸くした。

「フェイフュー側についてって言わないんだ」

「言いません。あとであの時ついてくれと言われたからついたのだと言われたら困ります。カノの意思をもって選択してください」

 小さな声で「分かった」と呟いた。その姿はさすがに哀れで冷たくし過ぎたかと思ってしまったが、カノの場合はあとで責任転嫁をする様子が目に浮かぶので仕方がない。

 それに――カノはソウェイルとずっと一緒にいる。

 フェイフューを選んでソウェイルに背くのは、カノにとってつらいことではないのか。

「別に、僕は、それでカノを恨んだりはしませんよ。兄上は『蒼き太陽』ですからね。普通に考えたら、たいていの人間は兄上につくでしょう。わざわざ僕を選ぶ人間にはきっと相当な覚悟を求められるはずです。女のカノにそこまで強要しませんよ」

 苦笑して、「そこで女の子扱いかあ」と漏らす。

「うん、でも、分かった。あたしもちゃんと考えるね。頑張るよ」

 そして「ただ」と続ける。

「ソウェイルを選ぶことはフェイフューを選ばないことなのかな」

「どういうことです?」

「あたしにはどっちかを選ぶなんてできない。どっちとも仲良くしてたい、ずっと今までみたいに三人でやっていきたい。だから――考える」

 顔の角度こそうつむいていたが、カノの潤んだ瞳はどこかをちゃんと見ているように見えた。

「ソウェイルとも話をするね。正月ノウルーズが終わって、『蒼き太陽』が必要な儀式がひととおり終わったら、あの部屋でソウェイルとゆっくりいろいろ話して考える。で、その上でまたここに――フェイフューのところに来るから、フェイフューもちゃんと話をしてね」

 瞳も声もどこか澄んでいるように感じて、そのまっすぐさに圧倒され、フェイフューは、頷いた。

「はい」

 カノは、馬鹿ではないのだ。

「待ちます」

 自分には待つ時間などないはずなのに――

 と思ったところで、ふたたび扉が叩かれた。

 顔を上げると、出入り口付近にラームテインが立っていた。そう言えば先ほど扉を開け放ったままにしていた。

「僕も殿下とお話ししたいのですが」

 カノが顔を上げてラームテインを睨む。

「なんで邪魔すんのよ。今カノがフェイフューと喋ってんの」

「では僕も交ぜて三人でにしましょう」

「勝手に決めないでよ」

「ですって。どうです? 殿下」

 問われて、フェイフューは「ラームも入ってどうぞ」と答えた。むしろカノと二人きりよりラームテインもいた方が気が楽だ。

 ラームテインが笑った。その笑顔は彼に似つかわしくなく邪悪で、どこかカノを見下していた。

 カノが顔をしかめた。

「ラームさ、ちょっと顔が綺麗だからって調子乗ってない?」

「顔は関係ないでしょう、僕と殿下の信頼関係です。カノこそ殿下の何なんです?」

「正妻づらしないでよね」

「カノは正妻でも愛人でも何でもないのでは?」

 カノはあからさまに舌打ちをしながら立ち上がった。

「まあいいけど、きりのいいところだから譲ってあげるよ」

「それはどうも」

「ふん!」

 華奢な背中が出ていく。

 勢いよく扉を閉められた。大きな音がした。

 カノが何に怒ったのかさっぱり分からない。

 ラームテインと目が合ったところで、フェイフューは肩をすくめた。

「よろしかったんです?」

「カノの言うとおりきりのいいところでしたよ。ちょうどよかったです、僕としては」

「それならいいのですが。僕が殿下を独占していると思われたらかないません」

「僕は別に構いませんよ、僕もラームを独占していますから」

「あの、殿下? そういうことはあまりさらっとおおせにならぬよう、誤解する者がたくさん出ますので」

 「十神剣会議があったそうですね」と問い掛けると、ラームテインは「はい」と頷いた。

「そこでまた少し風向きが変わったので、殿下と打ち合わせをしようかと」

「打ち合わせ、ですか」

「殿下にとって何が一番ご都合がよろしいのか聞き取りをしてから行動をとろうと思いましてね」

 そう言うラームテインの表情は冷静で頼もしい。

「殿下にとっての最良を。僕が一緒にお考えいたします。必要なら僕が殿下を王にしましょう」

 フェイフューは、笑って頷いた。

「頼もしいです」

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