第15話 ぬかりなく

 分厚い窓掛けが開け放たれ、鋭い陽の光が床の絨毯を照らしている。甘く幻想的な夜は去り、暑く厳しい朝が来たのだ。

 ラームテインは、からになった貴賓室の扉にもたれて、「大変ですね」と言った。しかしその表情は涼しげで、誰が見ても本当に大変だとは思っていないことが分かる。

「本当よ、やんなっちゃう」

 旅装である外套に身を包み、ターバンの上からさらに女性ものの頭布をかぶった状態で、エルナーズが言う。

「これから半月かけてえっちらおっちらタウリスに帰ってさ、次は夏至に来いって、ねえ? エスファーナの夏至祭りなんて過去一回も出たことないのに」

「いっそこの一年エスファーナに住んでみてもいいのでは? フェイフュー殿下に構ってさしあげてください。ついでにソウェイル殿下も観察するいい機会でしょう」

「やめとくわ。西部州の人間からしたら空将軍の口から状況を説明してほしいと思うのよ、うまくできるかはちょっと自信がないけど。俺も事の中心から離れていろいろと身の振りようを考えたいし」

「あのエルが空将軍エルナーズとして活動する気になるとは、アルヤ王国は今よほどの危機を迎えているようですね」

「紫将軍様はいいわよね、紫軍の皆さんが空気を読んでくれるから。空軍は空将軍に夢を抱きすぎていまだに俺じゃあご不満みたい、はてさてどうしたものか」

「紫軍の皆さんは僕のことを自分の孫だと思っているようでしてね、ついこの間までひっきりなしに縁談の話をしていましたが、この一年間はきっと自重してくれることでしょう」

 ふと、二人とも黙った。

 顔を見合わせて笑った。

「ありがとうございます」

「何がよ」

「フェイフュー殿下の味方をしてくださって」

「あんたにお礼を言われることじゃないわ」

「でも助かります」

 苦々しく口元を歪めて、「僕も不安がないわけではありませんから」とこぼす。

「フェイフュー殿下は政治をやりたいそうです。そして『蒼き太陽』が生きた時代に自然死した『蒼き太陽』の男きょうだいはいません。となれば、味方を集めて王になるか、ない前例を――『蒼き太陽』の力を縮小させ髪の蒼くない王子も政治に参画できる仕組みを作るか。まだ三百四十日考える余地がありますが、今のところ現実的なのは前者です。後者は十神剣の政治的な立場まで変えていく必要がある。十神剣内部の対立者、議会、官僚、軍、そして総督――何もかも併呑して合意させるには時間がまったく足りない」

「それでもできれば後者にしたいわね」

 エルナーズのそんな言葉に、ラームテインは少し驚いた顔をした。

「エルは殿下を王にしたいのではないんですか」

 エルナーズもまた苦笑する。

「争うって醜いことだわ。引くことは時として潔くて美しいのよ」

 「でもね」と付け足す。

「孤独な十五歳の若者を見殺しにするのもかっこいいことじゃない」

 ラームテインは、頷いた。

「といっても、僕ができる限りお傍にいるつもりなのでそこまで孤独ではないと思いますけど」

「はいはい」

 そこで、手袋をした左手の人差し指で自分の唇を押さえる。

「それに、俺、ちょっと、余計なこと言っちゃったし。本当にフェイフュー殿下が王になっちゃったら俺の立場がまずいかもしれないわ」

 ラームテインが「ええ」と顔をしかめた。

「誰に何を言ったんですか」

「フェイフュー殿下に……、まあ、ちょっと、あれなことを」

「殿下ご本人に? 何を」

 目を逸らした。

「お味方するので王位についたら童貞くださいって言っちゃった」

 ラームテインの手がエルナーズの胸倉をつかんだ。エルナーズが珍しく慌てた様子で「まだ何もしてない、まだ何も」と叫んだ。

「まだとは何ですかまだとは! 時が来たらするんですか!?」

「しないわよ! いくら俺でも八つだか九つだか年下の子に本気で手を出すわけないじゃない!」

「エルの場合はふだんの行ないが良すぎて信用できないんですよ!」

「落ち着きなさいよ、なんであんたがそんなに興奮するの、狙ってたの?」

「そんなわけないでしょうが! 変な病気をうつされたり性癖が歪んだりしないか心配なんです!」

「し、失礼ねえ!?」

 手を離して、顔面蒼白で「そうだったのか」と呟く。

「道理で……最近殿下の挙動がおかしいと……なぜこんな急にご機嫌が回復されたのかと不審に思っていたら、そんな……」

「え、機嫌良さそう? やっだ、脈アリ? それなら本気で考えようかな」

「エル?」

「嘘よ、冗談冗談。そんなのナーヒドにバレたら俺首を刎ねられて河原に晒されかねないじゃない」

「そうだ、ナーヒド」

 思い出した顔をして一人腕組みをした。

「ナーヒドとも連携をとらなければ。ナーヒドとフェイフュー殿下の仲もぎくしゃくしているように思います。おそらく成人式のナーヒドの反応の鈍さが原因だと思うので話せば解決すると思うのですが――」

「ナーヒドって不器用だからね」

「そうなんですよ。何とか僕が間に入って取り持ちます」

 エルナーズが「苦労するわね」と笑った。ラームテインは「本当にね」と溜息をついた。

「少なくとも僕らは一枚岩でなければ。エルにもまめに手紙を送ります、返事はしなくても結構ですが都の状況を把握しておいてください」

「分かったわ。俺もできる限りタウリスの状況を連絡できるようにする」

 目を合わせて、頷き合う。

「あとは、アフサリー、ベルカナ、カノかな」

「カノはともかく、アフサリーとベルカナは何を考えているか分かりませんね」

「なまじ善良なのが厄介よね、単純にソウェイル殿下を『蒼き太陽』だからという理由で支持しそうな気もするし、フェイフュー殿下の方が出来がいいと思ったらなびいてくれそうな気もする。まったく予測がつかないわ」

「アフサリーは結局どちらがいいとは言わずに北部へ帰ってしまいましたし……、今度来る時――夏至以降に対応を考えましょう。ベルカナは何とか僕が調略しようと思います。カノは――」

 「ううん」と唸るラームテインをエルナーズが笑う。

「難しいでしょ、あの年頃の女の子」

「そう、なんですよ……。僕は本当に女性や子供との接点がなくて、ベルカナとでさえそんなに親しくはないので……」

「カノちゃんこそ双子と交流があるんだし様子見でいいんじゃない? 本人たちと直接話をして考えさせましょ」

「そうですね、そうしましょう。それに最終的には実力行使で屈服させることも可能そうですしね」

 「十五の女の子にまであんたは鬼か」と言ったエルナーズに、ラームテインは「鬼にもなります」と答えた。

「僕は時間が足りなくなったら最短距離を選びます。時間があるなら最適解のために回り道をすることも検討しますが、最終的には兵は拙速を尊ぶということを覚えておいてください。僕は、多少の犠牲を払ってでも目的を遂げます」

 ラームテインの言葉にはためらいがない。エルナーズはカノについてはそれ以上何も言わなかった。

「あとはユングヴィとサヴァシュが夫婦喧嘩でもしてくれればいいんですけどね。離婚騒動になってくれれば内部分裂を狙えるんですけど」

「その策は期待しない方がよさそうね。テイムルとあの夫婦が喧嘩する方がよっぽどありえるわよ」

「おっしゃるとおり。テイムルもこの状況でソウェイル殿下の味方を減らしたいとは思わないでしょうし、あの三人は固定だと考えた方がいい。やはりベルカナとアフサリーの調略に重点を置きます」

 遠くから「エルナーズ将軍」と呼ぶ声が聞こえてきた。廊下の奥から叫んでいるのはエルナーズの護衛としてタウリスからついてきた空軍兵士の青年だ。

 エルナーズが「行かなくちゃ」と呟いて視線を遠く護衛の兵士の方へやった。

「じゃ、頼むわよ、紫将軍。ぬかりなくね」

「言われずとも」

 二人はそれぞれ別の方向へ歩き始めた。だが二人ともその足取りには迷いがなく、視線はまっすぐ前の方を見ていた。

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