第13話 浪漫の夜の約束 2

「タウリスの遊女は音楽をやりますか」


 エルナーズがフェイフューにウードを差し出す。


「遊女と一言で申しましても、いろいろな種類がございまして。辻に立って身を売る者にはそのような余裕はございませんが、俺は大きな娼館で芸妓たちからちゃんとしたしつけを受けましたのでね」


 ウードを受け取った。エルナーズが先ほどまで弾いていたウードだと思うと、特別なもののように感じられた。


「先ほどの詩も、娼館で?」

「ええ、そうでございます。本物の高級遊女は教養がないといけません」


 愚かな、股を開くだけの女なのだと、思い込んでいた。


「一夜の夢を売る仕事ですから、お客様にご不快な思いをさせてはなりませんのよ。お客様に話を合わせられるような頭がなければなりません。最低限のことは身につけておかなければ」

「なるほど……」

「中には無知な若い女が好きなお客様もいらっしゃいますけど、大金を積んで本物の夢を買うなら、第一夫人に迎えても遜色のないような賢い女を望まれるのです。自分を大店おおだなの主人だと思わせてくれるような女を――貴族や武官なら家のために迎えた望まぬ妻とは違う自ら望みたくなるような女を」


 右の前髪を、右耳にかける。


陰間かげまだってそうです。連れ帰って小姓として育てたくなるような賢くて美しい少年でなくちゃ」


 煌びやかな火の燈る遊郭が脳裏に浮かんだ。


「何も色を売るだけではございませんしね。会話を楽しみながら、おいしいものを食べ、いい曲を聞き、激しい踊りを見て、泊まらずに帰るお客様も大勢おりました」

「そうなのですか。そう聞くと、行ってみたくなりますね」

「行ってみてはいかがです? いい社会勉強でございます。広い世界を見聞するという意味ではようございますね」


 想像するだけで楽しくて溜息をついた。だが誰に頼めば連れていってもらえるのだろう。フェイフューが娼館という言葉を口にしただけでテイムルもナーヒドも混乱しそうだ。あの辺の潔癖な連中は良くない。できればエルナーズに手引きをしてほしいが、彼はあと一週間でタウリスに帰ってしまう人間で、王都の遊び場には詳しくないかもしれない。


「まあ王子様があまりお外でせっせと種蒔きをされては問題もございましょうが――芸妓というのはだいたい流行り歌に強いのでございます。むしろ彼女たちが発信源という歌もありましょう。音楽をやるなら、ぜひ」


 夢がひとつ増えた。


 そこで、自然な流れで陰間の話になったことに気づいた。これは質問しやすい雰囲気だ。

 一度深呼吸をしてから、ゆっくり言葉を口にした。


「エルにとって、陰間という仕事は、悪いものではなかったのですか?」


 エルナーズが微笑んだ。


「実際に活動していたのは、二年か、三年にもならない期間でしたけど。俺は楽しくやっておりましたね」


 古都の甘い香りが立ちのぼってきそうだ。


「そりゃあもう、来るお客様がみんなひざまずいて俺を褒めそやすんですもの。どんどん値が釣り上がっていって、俺は買いたいものが何でも買えた。いえ、お金や物よりも。俺は自分が売れっ子だというのが何よりもの誇りでした」

「でも、からだに触られるのでしょう? それは嫌ではなかったのですか?」

「俺は気持ちいいことが大好きなんです」


 胸の奥が震える。


「それに、お客様を選べる立場でしたからね。どうしてもこいつは嫌というお客様は拒めましたもの」


 とうとうと語る。


「世の中にはいろんな人間がおりますの。誰にでも触れる人、誰にも触りたくない人、誰かひとりの人間とならいくらでも触れ合いたいけど他の人は受け付けない人、浅く広くいろんなひとと関係を持ちたい人――みんな違ってみんないい。自分のからだなんですもの、好きに使う権利があるのでございます。そうして納得した上で触れ合えば、それはそれはこの世のものとは思えぬ気持ち良さ」


 つい訊ねてしまった。


「エルナーズはどうですか」


 エルナーズはちょっと笑って答えた。


「そういうことを他人に訊くのはお行儀の良くないことでございますね。ひとのからだのことでございますから」


 慌てて「すみません」と言うと、「いいえ」と微笑まれる。


「仕方がありませんわ、そういうのは誰かが言わないと分からないことでございます。そろそろ誰かが殿下にお教えしてさしあげねばならなかったこと。それが今俺の前で回ってきたということでしょう。光栄ですわ」


 ほっと胸を撫で下ろした。


「ちなみにお教えしますと、俺は特定多数の人間と関係をもちます。タウリスに帰ればたくさんの恋人が待っておりますの」

「特定多数……なんだか不思議なアルヤ語を聞きました」

「俺はずっとそういう世界で生きてきたし気にしないから構いませんけど、あまりよその人間とこういう話をしちゃだめ。真面目な人はたいがい嫌がりますわ」

「はい……ありがとうございます」


 そして何となく、ナーヒドとはしてはいけない話なのだろう、というのを察した。それからラームテインとも――と思って、ようやく最初の話題を思い出す。


酒姫サーキイのことはどう思いますか」

酒姫サーキイ?」


 エルナーズは瞬きながら訊ね返してきた。


「ラームを見ていて、面白い仕事ではないのだと思いまして。同じ色を売る仕事なのに、どうしてこうも違うのかと。エルの話を聞いていると、必ずしも悪いことのようには思えないのですが――でもラームにとっては封印したい過去のようです」


 彼はしばし「ふむ」と考えた。


「昔は、俺からしたら憧れの仕事だったんですけれどね、酒姫サーキイ

「憧れの?」

「そう。綺麗な服を着て、いいものを食べて、ご主人様に可愛がられているだけで日々が過ぎていく――ご主人様の気前が良ければ勉強もさせてもらえて宮殿にも上がれる。なんとまあ貴族みたいな仕事だわと思っていた――のですけれども」


 ふと、息を吐いた。


「ラームの場合は親に売り払われてしまったのでしょう? それって性奴隷ではございません?」


 言われて初めて気づいた。


「お客様を選べるか、自分の好きな時に休めるか、仕事に必要なものは何か判断させてもらえるか。そういう自由がなければ一方的にからだをほじくり返されるだけになって気分が悪いでしょ」


 彼が続ける。


「さっきも申し上げましたが、快楽とは納得の上にございますのよ。自分のからだを自分の好きに使っているという、自分自身と相手に対する信頼感と安心感。そういうものがない行為は、からだが危ない目に遭うとかどうとかよりまず、自分に生きる権利がないかのように感じるでしょうね」


 フェイフューはやっといろんなことに合点がいって大きく頷いた。


「嫌だと思った時に嫌であると表明できないのは、つらいことですね」


 そう言ったフェイフューを、エルナーズは「そういうことですわね」と肯定した。


「僕は、生きる理由をひとに強要されることがどういうことかは知っています」


 エルナーズが、初めて顔から笑みを消した。


「ある程度は仕方のないことと思います。人間社会で生きるためには、ひとには果たすべき役割があるのです。しかし承服できないことにまで生き死にを賭けるのは僕は違うと思いました。自らおのれの役割を悟って、納得してその務めを受け入れる必要があると思うのです。ひとは自らおのれの生きる理由を見つけ出さねばなりません」


 語りながら、フェイフューは自分自身を振り返っていた。

 頭では分かっていても、他の誰でもなく自分にそれが欠けている気がした。

 ソウェイルにすべての理由を託して、納得しているかどうか自分に問うことなく生きてきた。自分が果たすべき務めについて何も考えてこなかった――だから正解が見えないのかもしれない。


 ソウェイルの政治に納得できないのに、黙って受け入れるのか。


 ――そういう政治を御自らの手でなさりたいとお思いになったことはござらぬか。


「エルナーズ」


 エルナーズが、姿勢を正して「はい」と答えた。


「僕にはどうやら表には見えない社会の仕組みを教えてくれる大人がついていないようです」

「さようのご様子ですわね」

「僕は政治をやりたいと思っています。だからきっとそういうことも含めてもっとたくさんのことを勉強しなければなりません」


 間を置かず言った。


「あなたが教えてくれませんか」


 はっきり告げた。


「僕についてきてくれませんか。僕はあなたが欲しい」


 エルナーズは一度目を丸くした。まじまじとフェイフューを眺めて、しばらくの間沈黙した。


 フェイフューがそんなにおかしなことを言っただろうかと不安になった頃になってから、エルナーズは、微笑んだ。


「承知いたしましたわ」


 そして、頷いた。


「かしこまりました。俺はフェイフュー殿下についていきましょう」


 フェイフューは自分の顔に笑みが広がっていくのを感じた。


「ただし」


 言われて硬直する。

 でも、エルナーズはいたずらそうに、楽しそうに笑っている。


「俺はタダでは動きませんのよ。俺を動かしたいならそれなりの対価をいただかなくちゃ。俺は高いんですからね」

「えっ、対価、とは――何です、金銭ですか?」

「いいえ、もっと価値のあるもの」


 膝を擦り寄らせた。

 二人の距離が極端に近くなった。

 エルナーズの、夜の花の香りが、した。


「殿下の童貞を俺にくださいまし」


 頭の中が、真っ白になった。

 エルナーズの白い右手がフェイフューの左頬を撫でる。


「殿下の、ハジメテ。すごく、欲しいわあ」


 頬が熱くなった。

 さすがに何を言われているのか分からないほど子供ではなかった。


 美しくしなやかなエルナーズを、抱く。

 どんな夢の世界が広がっているのだろう。


「嫌ならいいんですのよ。自分のからだのことですもの、自分で決めなくちゃ」


 その笑顔が、至近距離にある。


「い……、今ですか」

「いいえ。まあ……今すごくいい雰囲気だけど、まだ十五になったばかりの子なんて、なんだか本当に食べちゃうみたいで心苦しいじゃない? そうねえ、殿下がもうちょっと大人になってから――きっとじきにいい男になるから、あと五年――いえ三年。ううん」


 それはそれは楽しそうに、言うのだ。


「王になって、王妃を迎え入れることが決まったら、その直前にいただくとしましょうか」


 フェイフューは、頷いた。

 頷いてしまった。


「分かりました」


 王になったら、この美しい男を抱くのだ。


「約束します」






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