第11話 たおられた花のその後

 どうやら緘口令かんこうれいが敷かれたらしい。議会が仕事を始めるのは正月ノウルーズの二週間が終わってからだ。その二週間が明けた最初の議会で改めて採択してから世間一般に公表されることになったようである。したがって表向きは粛々と例年どおりの行事が執り行なわれる。

 もちろん噂は流れている。あの時大講堂には千人弱の人間、それも外国人の来賓から官職のない貴族の子弟までいたのだ、完全に全員の口を封じることはできない。

 フェイフューは行く先々でひとに囲まれた。ゆっくり考える暇などなかった。

 しかし――ひとつだけ分かったことがある。

「アルヤ王国は古い因習を打破すべき時が来たのです。同じ腹から出た兄弟に生まれつきの優劣があるのはおかしいです」

「西洋列強に立ち向かうためには強い指導者が必要です。我々の間で一番論述にも剣術にも強い殿下はソウェイル殿下よりお強いのでは」

「政治と宗教を分離しましょう。神の力をあてにするのはやめにしましょう。殿下が政治をやりましょう」

 フェイフューには案外味方がいるということだ。

 そう熱弁を奮うのはだいたい議員を父ないし祖父にもつ貴族の子弟だった。当人はほとんどが下級文官か父や祖父の秘書で政治的地位はないも同然だったが、中には白軍兵士もいる。

 彼らが十神剣に直接影響を及ぼすことはないだろう。だがアルヤ王国の若い貴族の青年たちはフェイフューを支持している――その事実はフェイフューを大いに勇気づけた。

 ――そういう政治を御自らの手でなさりたいとお思いになったことはござらぬか。

 いつかのナーヒドの言葉が浮かぶ。

 そういう政治をフェイフューの手でやってほしい人間がアルヤ王国には確かに存在する。

 ナーヒドに相談したいと思った。けれどナーヒドこそ、十神剣であり、蒼軍の長であり、武門の名家の当主だ。正月ノウルーズは多忙を極めている。フェイフューはそれでも会いたいと言えるほど図々しくはなかった。

 他の十神剣とも話をしていない。儀式の場に同席することはあっても会話はしなかった。テイムルだけは一日に二度三度と様子を見に来たが多数決については「早まったことはしないように」としか言わず具体的なことは言わない。フェイフューもテイムルには何も期待していない――彼は必ずソウェイルをとる。

 七日目の、七つの縁起物を民衆に振る舞う儀式が終わると手が空く者が現れ始める。十神剣でも家庭を持たない者は自由時間が増えてくるはずだ。身一つでタウリスから出てくるエルナーズや独身で実家との交流もないラームテインはそろそろ時間を持て余し始める。

 七日目の儀式が終わった後の話だ。

 フェイフューはラームテインかエルナーズのうちのどちらかと会話できないかと思い二人の姿を探していた。頭のいい彼らなら状況を把握して情報の整理を手伝ってくれそうな気がしたのだ。ましてはっきり味方であることを表明してくれるラームテインは信頼できるし、態度を決めかねている様子のエルナーズと会話をして好感を持たせるのは良いことだと思った。

 宮殿前広場での群衆と離れて宮殿に戻ろうとした時、ラームテインの姿が見えた――ラームテインも目立つので人混みでも見つけやすい。

 後を追い掛けた。

 彼は宮殿の南へ歩いていった。宮殿の前庭をやや東方面に抜け、南の大講堂の裏辺りを目指していた。おそらく軍の施設に帰るのだろう。

 そう思っていた。

 不意に大講堂の後ろへまわった。

 不審に思って、フェイフューは庭の木陰に身をひそめながら塔と塔の間の暗がりを覗くように見た。

 狭い空間、壁と壁の間に、二人の人物が立っている。一人はもちろんラームテインである。

 もう一人は――フォルザーニー卿だった。

 フォルザーニー卿も今日の儀式に参加していた。宮殿にいてもおかしくはない。しかしなぜこんな暗がりで、しかもラームテインと二人きりに――不思議に思って様子を窺う。

 二人は何やら話し込んでいる。話し声までは聞こえないので何の話題かは分からない。

 フォルザーニー卿はいつもの悠々とした態度だ。少し慇懃無礼にも思える鷹揚な態度で、ゆったりと微笑んでラームテインを見つめていた。

 ラームテインはあまり楽しそうではない。口元は笑っているように見えるが目がまったく笑っていない。

 フォルザーニー卿がラームテインにとって何か面白くないことを話し掛けているように見える。

 もう少し窺う。いくら成人したとはいえ――むしろ成人したからこそ、二人のおとなが真剣に話をしているところに第三者として割って入るのは賢明ではない。だが自分もラームテインと話をしたい、話が終わるのを待つ。

 雲行きが怪しい気がする。

 フォルザーニー卿が一歩前に出た。

 ラームテインが一歩後ろに下がった。

 ラームテインの背中が壁につく。

 フォルザーニー卿が何か言いながら手を伸ばした。

 その手がラームテインの頬を包むように触れた。

 ラームテインは一瞬顔をしかめたが、視線を斜め下、地面に落として、何も言わなかった。無言で耐えているように見えた。

 怪しい、というか、おかしい。

 気持ちの悪い現場に居合わせた。

 フェイフューは木陰を出た。

「何をしているのですか」

 二人が振り向いた。珍しくフォルザーニー卿も驚いた顔をしている。ラームテインはあからさまに傷ついた顔をした――つまり彼にとってこれは楽しいことではない。

 何か道徳的でないことが行なわれようとしていたのだ。間に入るのが正解だ。

「殿下」

 フォルザーニー卿はすぐにいつもの優雅な笑みを取り戻した。ゆっくりとした足取りで二歩三歩と歩み出て、フェイフューの前に立った。

「覗き見はあまり上品ではありませんね」

「臣下の者が不当な扱いを受けているのなら守るのがあるじたる者の務めです」

「創りたまいし神のみわざ

 土くれの手のいつくしみ

 美しきかな咲くかんばせ

 君よこの世の春をともに」

「不愉快です」

 にやける口元を服の袖で隠しつつ、楽しげな声で「ああ恐ろしや」と呟く。

 美しいものは善なるものだ。神の創造した美を愛でる、これはむしろ正義であってけしてとがめられるものではない。しかしだからといって人格のあるものまで気軽に辱めていいわけではないのだ。

 まして春をともに分かち合う――つまり彼はそもそもフェイフューとラームテインが男色の関係にあるのを前提にして一緒にたのしみたいと言ってきたのである。

 はらわたが煮えくり返るとはこのことだ。

「今日という今日は我慢なりません。何もかもあなたの都合よく話が進むとは思わないことです。他の誰が何と言おうとも僕は認めませんよ」

 そこで「殿下」とたしなめようとしたのはラームテインだ。

「卿は貴族院議長です。そのようなことをおおせになるのは――」

「お黙りなさい」

 「不誠実な人間の支持はいりません」と断言した。

「僕は違います」

 フォルザーニー卿は目を細めてフェイフューを眺めていた。その様子は満足げですらある。馬鹿にされているようでなおのこと腹が立つ。

「殿下は高潔な魂の持ち主でいらっしゃる」

 ややして、彼は大きく頷いた。

「日輪の 強き光まなこにまぶしく

 土くれの 浅き思いまことにいやしく

 しかれども この世は春 濁り湯の

 ぬるき影 浸かりてひとは 安らかなり」

「あなたのようなひとから権力を取り上げられるのなら王もやりがいがありそうです」

「いい。実にいいね。殿下のお心もまた、美しい。愛するに足るものだ」

 「そうこなくては」と笑いながら彼は歩き出した。

「いやはや、高嶺の花は簡単に手に入るものではないのだなあ。反省、反省……」

 すでに六十近い高齢の男性とは思えぬほどたくましい背を見せ、ゆっくりと遠ざかっていく。

 その背中が完全に見えなくなってから、フェイフューはラームテインの顔を見た。

 彼はばつの悪そうな顔でうつむいていた。

 フェイフューはそれも気に食わなかった。

「堂々となさい。つけ入る隙など与えぬように」

「申し訳ございません、汚らしいところをお見せしてしまいました」

「こういう場面で自分のせいだと思うところはあなたの悪いところです。あの男は前から妻たち以外にも大勢の美男美女を囲って享楽的な生活をしている人物ですよ、誰にでもどちらがより不道徳か分かります」

 「今日は何という話題で言い寄られたのですか」と問い詰めると、ラームテインは口ごもった。

「殿下にお聞かせするようなことでは……」

「はっきり言いなさい。言うまで許しません」

「話したくありません」

「ここでどうにかしないと何度でも同じことを繰り返しますよ。僕には分かるのですからね、もうこどもではありませんから」

 観念したらしい。

「関係をもてば議会にフェイフュー殿下に有利になるようはたらきかけると言われました」

 思わずラームテインの服の胸倉をつかんだ。引き寄せ、至近距離で怒鳴った。

「それで僕が喜ぶとでも思ったのですか!?」

「いいえ」

 けして目を合わせず、「だから言いたくなかったのに」と答える。

「でも僕にしかできないと思いました。いまさら一人や二人くわえ込んだところで――」

「二度とそういうことを言うのではありません!」

 二、三度揺さぶってから離した。大きく深呼吸をした。

「別に、女ではないんだし……嫁に行けなくなるわけでも子供ができるわけでもなく……」

 言いながら彼は自分で自分を傷つけている。

 怒りはおさまらなかったが、フェイフューはラームテインを抱き締めた。いつの間にかフェイフューの方が背が高くなっていて、平均的な成人男性より少し背の低いラームテインはフェイフューの腕に収まった。

 ふだんは誰よりも誇り高く近寄りがたい空気を放っているのに、なぜか色事になると急に弱くなってしまう。ラームテインにとって自身のからだの価値は低い。

 これが三年間酒姫サーキイをやらされた結果なのだろう。

 その制度を叩き壊してしまいたい。

「嫌なことには嫌だと言わねば」

「すみません。やっぱり嫌でした」

「それでいいのです。僕はあなたを犠牲にしてまで王になりたくはありませんよ」

 だが彼を守るためには政治をやらねばと思う。

 ラームテインは一度フェイフューを強く抱き締め返した。だがすぐに身を起こし、ともすれば冷たくも見えるような無表情で「今日はもう紫軍の宿舎に帰ります」と言った。

「その方がよさそうですね。送りましょう」

「ありがとうございます」

 連れ立って歩いた。そう長い道のりではなく、沈黙もさほど苦痛ではなかったが、もやもやは晴れなかった。

 ラームテインにいろいろと相談したいことがあったのを思い出したのは紫軍の宿舎の玄関で別れてからだった。だがああいう状態のラームテインは頭が働かない。今日はもう仕方がない。フェイフューも北の塔の自分の部屋に戻った。

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