第4話 友達はいいな

 そして正月ノウルーズが来た。

 闇の力の強かった冬に別れを告げ、太陽の季節である夏に向かって世界が加速し始める、そのまさに最初の日だ。昼と夜が等しい長さとなって光と闇の力が拮抗する、一年でもっとも神聖な日――アルヤ暦における第一の月ファルヴァルディーン一日、またの名を春分の日という。

 フェイフューは心が弾むのを感じた。

 春爛漫だ。

 王都の至るところに薔薇が咲き乱れている。民は朝から酒を飲んで愉快に過ごしている。アルヤ王国のすべてが今日という日を楽しく美しい日だと思っている。

 誰もが誰かに会うたび言祝ことほぐ――そこかしこから「おめでとうございます」という言葉が聞こえてくる。

 それがフェイフューには自分が祝われているように聞こえるのだ。

 十五年前の本日、自分と兄はこの世に生を受けた。

 満十五歳の日――今日から自分たちは成人したものとみなされておとなと同じ扱いを受ける。

 まるで世界じゅうのひとがフェイフューの成人を祝っているように感じる。

 実際に王子たちの成人を祝う式典も午後に用意されている。午前中は僧侶たちが取り仕切る正月ノウルーズの儀式があるが、昼餐会のあとは総督イブラヒムの名のもとで双子の成人式が行なわれる手筈になっていた。

 とりあえず午前の儀式に参加するため、宮殿の南、庭の中心にある礼拝堂へ向かった。

 移動する途中に庭の端で呼び止められた。

「フェイフュー殿下ー!」

 振り向くと懐かしい顔がこちらを見ていた。手習い所で一緒だったミールザー卿の三男だ。

「おめでとーございますー!」

 フェイフューは笑って歩み寄った。彼は人懐こい顔で笑って「お久しゅうございます」と会釈をした。

「来ていたのですね」

「儀式には参加しませんけれどね、父の付き添いで昼餐会と午後の式典には出られることになりまして」

 「行事が始まったら、殿下、お忙しくなるでしょう?」と少しいたずらそうな顔で言う。

「仲間内で一番に僕がお祝い申し上げたいと思いましてね。そうしたら殿下は僕を一番の忠義者だと思ってくださるはずです」

 フェイフューは思わず声を上げて笑った。

 この少年は、年齢はフェイフューよりひとつ上だったが、手習い所ではフェイフューの一番の子分だったと言っても過言ではない。昔からこんな感じで調子がよくひょうきんなところがあり、フェイフューは彼のその巧みなおしゃべりを一種の外交術と見て重宝していた。

 フェイフューとこの少年が通っていた寺院の手習い所では、七歳から十三歳までの少年がごちゃ混ぜに机を並べていて、年長者が年少者に学問や社会常識を教える形式をとっていた。同じ教室の中にいた者は年齢にかかわらず親しくなる。上から順番に卒業するが、出ていったあとも密に連絡を取り合うことで協力し合いながら宮中で地位を築いていくのがならわしとなっていた。

 ミールザー卿の三男も掟どおりフェイフューより早く手習い所を出ていった。そしてなんと白軍の軍学校に入った。

「学校はどうですか? ついていけていますか?」

「いやあ、もう、大変ですよ! 見てください、この痣!」

 襟を大きく開けて肩を見せようとする。棒状のもので叩かれたあとが残っているのが見えた。フェイフューは「屋外で肌を出すのはやめなさい」と彼をたしなめた。彼は「はいすみません」と言いながら前ボタンを閉めた。

「剣術がいまだにまったくだめです。毎日しごかれてくたくたです、家に帰ったら食事をして寝るだけです。そういうわけで、手紙が書けず不義理で申し訳ありませんが、もう登用試験に合格するまで無理だと思って諦めていただきたい」

 思わず「白軍とはそんなに厳しいところなのですか」と呟いてしまった。白軍兵士はみんなそういう厳しい訓練に耐え抜いた上に難関の登用試験をくぐり抜けているのだ、きっと優秀な者が揃っているに違いない――そうと頭では分かっているのだが身近すぎてなかなかありがたみが感じられない。

「あなたの場合勉学は得意なのですがね」

「そうなのです、座学と礼法は及第点なのですが、体力がちょっと追いつかなくて」

 フェイフューは正直なところ彼がそこまで無理をする必要はないと思っていた。ミールザー家は文官系の大貴族で、当主である彼の父は財政大臣をしており、兄たちも関税の徴収に関わる官吏をしている。彼だけが武官として苦労をする外的な理由はなかった。あくまで彼自身が白軍兵士になる夢を抱いた、ただそれだけの内的な理由である。他人の志を折るのは本意ではないので口には出さずにおいているが、葦筆ペンとそろばんを携えて関所に勤める方が彼に向いている気がする。

「試験、また落ちるかもしれません。今年で二回目だというのに」

「まあ、白軍は厳しいところですから、一年や二年留年してもそうおかしなことではないでしょう。僕の周りにいる新兵たちも年齢はばらばらです」

 「でも早く働きたい」と彼にしては珍しく険しい表情で言った。

「何を焦っているのですか、あなただってまだ十六でしょう? あと三年くらいは嫁を貰わずに好きなことをやれますよ」

「そうではないのです」

 彼は「そうではないのです」と苦しげな声で繰り返した。

「登用試験に合格したら、僕は殿下のお傍付きに志願したいのです」

 フェイフューは目を丸くした。

「『蒼き太陽』の御世にわざわざそうでない王子を選ぶなど酔狂だと言われますが、僕はその酔狂を貫いて殿下をお守りするために生きたいのです」

 三、四年前まで、戯作を貸し借りしては登場人物を批判して遊んでいた仲間が、

「そうこうしているうちに殿下が十五になられてしまうなんて! 殿下が外交などなさるようになっても僕が外へついていくことはないのだと思うと、僕は本当に悔しい!」

「そんなことを――」

「すみません、本当は合格するまで内緒にするつもりだったのですが、今日がその十五歳になる日なのだと思ったら我慢できなくて、つい」

 彼は笑って「言ったらすっきりしました!」と言ったが、フェイフューは言葉が出なかった。

 この世界には、あえてソウェイルではなくフェイフューを選んでくれる人間がいる。

 口を開いたら泣いてしまいそうで――でもそんな弱い姿は見せたくなくてただ歯を食いしばる。

 自分はそんな彼に報いられる男だろうか。

「殿下の方はどうです? 大学は楽しいですか? 何を研究していらっしゃるのでしたっけ、西洋哲学でしたっけ」

「あ、ああ……、僕は――」

 その時だ。

 不意にざわめきが聞こえてきた。

 顔を向けると、ある人物が宮殿の南の建物を出て礼拝堂の方へ歩み寄ってきているところだった。その者を見た周りの貴族たちが騒然としている。

 すべての視線が集中している。

 ただ歩くだけですべての人間の目を奪ってしまうのだ。

 日の光を受けて輝く濃い色の髪は艶やかだ。長く伸びた毛先を肩の下で切り揃え緩く束ねた様はどこか優雅である。前髪は少し短くしてその顔を外の空気に晒していた。

 しみのひとつもない、整えられた眉の他には毛が一切生えていないのではないかと思うほど滑らかで真っ白の肌は、北部の山岳地帯にあるという雪原を連想させられる。半月状の唇は清らかな花のつぼみを思わせた。あんず型の目、長く濃い睫毛に守られた瞳は星空を思わせる深く爽やかな夜色をしている。すっと通った鼻梁に主張のおとなしい小鼻も小さな輪郭にうまく配置されていた。

 華奢なその身にまとうのは単純だがどこか粋な濃い紫の絹に縁だけ銀の刺繍を施している民族衣装である。足元もかかとのある革の靴で余計な飾りはついていない。指輪も耳飾りもない、何の飾り気もないその姿は、しかし誰よりも輝いている。

 存在するだけで空気を塗り替えてしまうその姿は、例えるなら清冽せいれつ。一点の曇りもない、高潔で清純な天使だ。

 ミールザー卿の三男が、自分の口元を押さえて「本物を見てしまった!」と言った。なんと、見ることができただけで価値のある生き物だと思われているらしい。彼のことを自分たちより少し年上の同じアルヤ人男性であるとは思っていないのだ。確かに性別のなさそうな外見をしてはいるが、フェイフューにとってはそんなにかしこまらなければならない生き物ではない。

 せっかくなので、ミールザー卿の三男のために呼び止めることにした。

「ラームテイン!」

 名を呼ぶと、振り向いた。

 夜色の瞳に捕らえられる。

 歴史に名を刻むと言われるほどの絶世の美貌の、

「フェイフュー殿下」

 しかしラームテインは微笑んでフェイフューとミールザー卿の三男の方へ近づいてきた。

 ミールザー卿の三男は「鼻血出そう」と呟いたが、フェイフューは、まずい、と思った。

「お友達ですか?」

「はい、手習い所時代に一緒だった、ミールザー卿の息子です」

「そうですか。殿下はお友達が多いのですね」

 そして何でもないような声で言うのだ。

「お友達がたくさんいる方はいいですね。この正月ノウルーズにもつるんで過ごせる人はいくらでもいるんですものね、僕などいなくても」

 この美しい笑顔は仕事用の愛想笑いで本当は怒っている時の顔なのだ。

「初めまして、将軍ラームテインです」

「あっ、ぞ、存じ上げております、将軍、あの――」

「光栄です。では」

 あっと言う間にきびすを返して歩き出してしまった。

「ラームの機嫌を取ります。また式典の後にでも話しませんか」

 ミールザー卿の三男は惚けた顔で「はーい」と答えた。フェイフューは溜息をつきながらラームテインを追い掛けた。

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