第3話 空将軍エルナーズ

 フェイフューは息を飲んだ。

 何度会っても慣れない。エルナーズだけは、何度見ても圧倒されてしまう。

 そんなフェイフューの心情を知ってか知らずか、エルナーズはゆったりとした足取りで歩み寄ってきた。そして穏やかに「お久しゅうございます」と告げた。彼は昔陰間かげまだったと聞いたがそんなことは想像させないくらい上品に感じる。

御機嫌ようサラーム、エル。到着したのですね。長旅お疲れ様です、わざわざ王都まで来てくれて嬉しいです。ありがとうございます」

 できる限り平静を装ってそんな挨拶をした。

 エルナーズが小さく笑って「こちらこそ」と言った。

「呼んでくれはっておおきに」

 背中を興奮が駆け上がった。エルナーズは時々こうして古都タウリスの方言を話す。それが何とも言えず情緒があってたまらないのだ。

「わーんエル会いたかったよーう! 正月ノウルーズ会えるのめちゃくちゃ楽しみにしてたー!」

 カノがエルナーズに抱きつく。エルナーズが笑って抱き留める。

「やだ、俺もよ。嬉しい。カノちゃんてば年々美人になっていくんだもん、いつまでこうしてべたべたしてられるのかちょっと心配してるのよ。まだ会いたいって言ってくれてるのがほんと嬉しいわ」

「やだ、やだー! ずっとべたべたするぅ! エル大好きー!」

 カノとエルナーズの距離が近い。密着している。

 不思議なことに、フェイフューはそんな二人をふしだらだとは思わなかった。エルナーズが男性に分類できないからだろう。少女であるカノと異性という感じがしない。カノとユングヴィが戯れているのとそう変わらないのだ。触れ合っていても汚いと思えない。エルナーズのすべてが淫猥という単語のふさわしい空気であるにもかかわらず、本当に不思議だ。

 眺めていると、エルナーズの視線がこちらを向いた。

「殿下もいらっしゃいます?」

 カノを右腕に抱えたまま、左手を伸ばしてきた。

 フェイフューは顔が熱くなるのを感じた。

「結構です」

 断ったが、別によかったのではないか。男同士で抱擁などよくある挨拶だ。フェイフューは特にラームテインとはしょっちゅうくっついていた。

 けれどはたしてエルナーズは男性なのだろうか。エルナーズはどう扱うのが正解なのだろうか。分からない。ぐるぐるする。

 いい匂いがする。

「機嫌直った?」

 カノから少しだけ身を離して、エルナーズがカノの顔を覗き込む。カノがきょとんとした顔で「何が?」と問い掛ける。

「なんだか泣いてたみたいだから、俺でよかったらお話聞いてあげようかなと思って声を掛けたんだけどさ。ちょっとは元気になったのかな?」

 カノが「バレた?」と上目遣いをした。その声は軽く明るく機嫌が悪そうには思えない。エルナーズに会えてすっかり良くなったと見える。

 エルナーズがフェイフューの方を見た。

 フェイフューは身構えた。カノを泣かせた罪に問われるのではないかと思ったのだ。

 しかし、

「殿下も。何か、ご機嫌斜めになることがございまして? 俺でよろしかったらですけれど、お話、お伺いいたしますわ。カノちゃんが何か失礼なことでも?」

 その声はとても穏やかだ。フェイフューをとがめる色合いはない。

 ほっとして息を吐いた。

「女を泣かせてと責められたらどうしようかと思いました」

 エルナーズが「ふふ」と小さく声を上げて笑った。

「色男の発言ですわね」

 フェイフューは慌てた。「そういう意味で言ったのではありません」と否定した。だがエルナーズはのんびりとした雰囲気で「知らない間にずいぶんとおとなになったのではございませんこと」などと言う。

「違います、強い人間が弱い人間を泣かせるのはどうかとなじられるのではないかと――」

「分かっておりますよ。冗談です、たいへん失礼いたしました」

 口先では謝りながらも表情は楽しそうだ。

「まあでも、よろしいんでなくて? 男でも女でも面白くないことはあるでしょうよ、相手が男だろうが女だろうがご自分のお気持ちを否定することはございません。ただ、お気持ちのすべてを包み隠さず本人におっしゃってしまうのはまだまだお若い証拠かと。まあ、カノちゃんもどちらかと言えばはっきり言ってしまうコですので、何か殿下のお気に障ることを申し上げたんでございませんの? たまにはそういうこともございます」

 黙って頷いた。エルナーズの言うことは道理だと思ったのだ。感情的になることはみやびではない。それに、喧嘩両成敗、と言われたような気がして、一方的に責められるわけではないことに安心する――実際には、カノとフェイフューが、ではなく、ソウェイルとフェイフューが揉めているのだ、ということはエルナーズには伏せておく。

 話を逸らすことにした。

「エルは北の塔に何か用事だったのですか? 会えるのは嬉しいですが、ここでとなると珍しいですね」

 エルナーズが右の前髪を右耳にかけた。そのしぐさもどこか官能的だ。

「北の塔に、でなくて、フェイフュー殿下にご挨拶し申し上げに参上いたしましたの。たまたま殿下がこちらにいらっしゃるとお聞きしただけですわ」

「僕に、ですか」

「テイムルに、王子お二人とも――両方ともに別々にお会いしてお話しさせていただくように、と言われまして。ソウェイル殿下にはお会いできたので、フェイフュー殿下にもお会いしなければと思っておりました」

 思わず顔をしかめた。

「先に兄上にお会いしたのですか。兄上、何かおっしゃいませんでしたか」

 エルナーズがまた「ふふっ」と笑った。

「ひょっとしてソウェイル殿下と喧嘩なすったんです?」

 せっかく隠そうとしていたところを結局あばかれてしまった。

 どうやってごまかそうか考えているうちに、カノが「そうなの、仲直りしてくれなくてカノ悲しいの」と訴えた。エルナーズが「あらあら」とさほど深刻でなさそうな顔で応えた。

「ご安心なすって。ソウェイル殿下、フェイフュー殿下の悪口はおおせではございませんでした」

 安堵して息を吐いたフェイフューをよそに、「というかそもそもソウェイル殿下ってあまりお話しくださらないわよね、寡黙な方」と呟く。カノが「もー、ソウェイルもソウェイルでしっかりしてよね」と言いながら肩を落とす。

「喋る時は喋るんだけどね。エルとはふだんあんまり接点がないからじゃん? 人見知りだよ人見知り」

「あらやだ、もっとまめにエスファーナへ遊びにこようかな」

「えっ、それはそれであたしが嬉しい! そうしてよ!」

 いまさらかもしれないが、フェイフューは一応「別に喧嘩ではないのですけれど」と告げた。何となく後ろめたさがあって小声になってしまったが、エルナーズには届いたらしい。

「喧嘩でもよろしくてよ」

 エルナーズが微笑む。

「お兄様に負けないでくださいまし。俺、強い男が好きですの」

 また、頬が熱くなった。何となく、エルナーズに好きだと言われたように感じてしまったのだ。

 ごまかすために、言葉を続けた。

「自分の気持ちを包み隠さずに言って衝突するのは若い証拠だと、今、エルが、言いませんでした?」

「頭のいいコね」

 彼が言うとそれもなぜか上からの圧力のようには感じない。

「反対されても自分の気持ちを表明することはいいことですのよ。ただ、言い方の問題。相手を泣かさずにうまく言いくるめることができるようになれればおとなね」

 そして微笑む。

「優雅であれ、それが美しいということなのですから」

 「ではこの辺で」と言い、彼は軽く頭を下げた。

「とても残念ですけれど、地方将軍として王都にいなかった間の情報を収集しなければなりませんの。テイムルのところに戻りますわ」

 カノが「カノも行く!」と言い出した。エルナーズは「いいわよ、一緒に行こ」と答えた。エルナーズと別れなければならないのはフェイフューとしても残念だが、カノを連れていってくれるのはありがたい。

「また話す機会を設けてくださいませんか」

 勇気を振り絞って言うと、エルナーズは「喜んで」と応じた。

「光栄です。正月ノウルーズ期間中、二週間まるまるエスファーナにおりますので、殿下のご都合のよろしい時に」

 そして、フェイフューの手元を指した。

「その時には、ぜひとも、ウード、お持ちになって。俺も十代の時少し音楽をやっておりましたの」

 フェイフューは頷いた。

 心が弾んだ。

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