第14話 もうここにはいられない

 ユングヴィの体を引き寄せようとした。

 そこで第三者に手首をつかまれた。


「そこまでに致しましょう」


 見るとテイムルだった。彼はすべてお見通しだったのかのような落ち着いた表情でフェイフューを見つめていた。


「女性相手に――ましてや身重の女性に対する振る舞いではありません」


 諭されてかっとなった。


 けれど手首をつかむテイムルの手の力はフェイフューよりも圧倒的に強く振り払うことができない。ユングヴィにつかまれた時よりもずっと強くて痛い。これが鍛えている成人男性の力だということを思い知らされる。


 テイムルより弱いことを認めたくなくてあがいた。もう片方の手でテイムルの手をつかんだ。しかし何の効果もない。結局テイムルに引っ張られるがままユングヴィから手を離した。


「ユングヴィの味方をするのですか」

「当然でしょう。アルヤ紳士たる者、より弱い者の味方です」


 暗に弱者へ怒りをあらわにしているお前は紳士ではないと言われたような気がした。


「解せません」


 何もかもが否定された気持ちだ。

 怒りが噴き出す。


「ユングヴィ、立てる? ちょっと下がって」


 テイムルが言う。ユングヴィが指示どおりに立ち上がって二、三歩後ろに下がる。

 これではまるでフェイフューが距離を取らねばならない危険な者であるかのようだ。


「その女が悪いのではありませんか……!」


 唇の端を引きつらせる。


「いえ今に始まったことではないのですが」


 我慢できない。


「その女を信用した僕が馬鹿でした! そもそも最初から未婚の身で男に股を開くような女であるということを忘れていましたよ、そんな不道徳で汚らわしい女となど話すことはありませんでした!」


 テイムルは「殿下」と呆れた声を出した。たしなめようとしたようだ。だが他ならぬユングヴィが「いいんです」と苦笑した。


「殿下の言うとおりですよ。全部事実です」


 余計に燃え上がった。発狂しかけた。叫びそうになった。

 肯定されているのに、否定されたように聞こえる。


 ユングヴィは怒りすらしないのだ。

 自分は彼女にとってその程度の存在だったのだ。


「私が考えなしでした。ごめんなさい」


 次の時だ。

 突然横から左頬を殴られた。

 強い衝撃に押されてフェイフューは床に転がった。


 顔を上げた。

 ソウェイルが拳を握り締めていた。

 ソウェイルに殴られた。


 テイムルの「ソウェイル殿下!?」と呼ぶ声とユングヴィの「ソウェイル!?」と叫ぶ声が重なった。


 いきなりどうしたのだろう。


 あまりにも急なことで対応できずにいると第二撃が来た。

 腹を蹴られた。

 思いの外強い力だった。華奢なソウェイルの体のどこからそんな力が出るのかと思うほど激しく大きな力をぶつけられた。

 フェイフューは吹っ飛んで壁に背中を叩きつけた。

 痛い。


「やめなさい!」


 ユングヴィが叫んだ。


「なんであんたたちそんな――」


 身を乗り出そうとしたユングヴィをテイムルが止める。ユングヴィと双子の間に立ち、ユングヴィを押さえつけるように腕を伸ばす。


「危ない、下がっていなさい」

「でも――」

「大丈夫何とかする」


 ユングヴィの手がテイムルの腕を握り締めた。

 フェイフューはまた怒りが込み上げてくるのを感じた。

 ユングヴィの手が、テイムルに触れている。

 この女は誰にでも触れるのだ。夫だけではなく、ソウェイルだけでもなく、ましてやフェイフューだけなどではけしてなかったのだ。

 汚らしい。


 そう思った次の時だ。


 上から髪をつかまれた。

 髪を引っ張られた。

 頭皮が引きつる痛みを感じながら顔を上げた。

 ソウェイルが怒りを剥き出しにした顔でフェイフューを見下ろしていた。


「二度とそういうことを言うな」


 声にも怒りが滲んでいる。


 なぜソウェイルに怒られているのか分からない。


「ユングヴィを侮辱するようなこと。言うな」


 フェイフューは笑った。


「侮辱?」


 ソウェイルが怒っていることが滑稽に思えてきた。


「事実でしょう。その女も認めていることですよ」

「その女、じゃない。ユングヴィだ。名前がある」

「女などみんな一緒です。みだらで強欲であさましくて汚らしい、頭の悪い生き物です。男とは違います」

「お前は勘違いしている」


 髪をつかんで振られた。


「アルヤ王国はどうして戦争が強いんだと思う?」


 突然話が飛んだ気がした。なぜそんなことを問われたのか分からず、フェイフューは反応が遅れた。


「アルヤの女が強くて賢いからだ」


 ソウェイルの蒼い瞳が、怒っている。


「男がいくら強くて賢くても一代限りのことだ。女は子供を産む。兵士の子供を産んで兵士を育てる。アルヤ王国で生まれた子供はみんな丈夫でよく育つ、たくさんの子供が強く賢い兵士に育てられる――アルヤ王国は人口がとても多い。すべて女のおかげだ。男だけでは人間は殖えない」


 彼は断言した。


「戦争だけじゃない。農作業も商いも女が子供を産まなければ成り立たない。女に子供を産ませてやれない男の国は滅びる」


 迫力に押された。ソウェイルがこんなふうにすらすらと述べること自体が珍しく、恐ろしく感じられた。


「いや、子供を産まなくてもいい。女に働いてもらえば労働力が増える。国の力は倍になる」


 次にこんなことを訊かれた。


「ユングヴィがお前の相手をしている間にテイムルや護衛の白軍兵士の仕事がどれほどはかどったと思う?」


 答えられなかった。


「そもそも単純に、世界の半分は女だ。お前は世界の半分の支持を捨てるのか」

「そんなの――」

「女を尊重できない男は国を滅ぼす。女をないがしろにする男は俺の国にはいらない」


 ソウェイルの言葉が止まった。

 一瞬みんな沈黙した。


 フェイフューは大きく呼吸をした。


 ソウェイルの手を振り払った。髪がちぎれるように抜けて痛かったが無視した。ソウェイルの力はフェイフューほどには強くない。手はすぐに離れた。


 言いたいことが分からないわけではないのだ。同意はしないが理解はできる。納得はしないがそれがソウェイルなりの理屈であるというのを認識することはできる。

 でも、ソウェイルのくせに理屈で言って聞かせようとしている、というのに、腹が立つ。


 フェイフューは自らソウェイルの土俵に降りてやるつもりで言った。


「兄上は気持ちが悪いと思わないのですか」


 ソウェイルはすぐ「何が」と応じた。


「澄ました顔をして夜になれば男に股を開いていると思ったら不愉快ではありませんか」


 次の時ソウェイルは笑った。


「お前子供だな」


 頬が熱くなった。


「あれか。分かったぞ」

「何がです」

「お母さんがお父さんや赤ちゃんにとられると思うからそういうことを言うんじゃないのか? 俺はお兄ちゃんだからお母さんがいくらきょうだいを妊娠してもそんなふうには思わないな」


 侮辱された。

 我慢できない。

 立ち上がり、腕を振り上げた。


 その腕をまたテイムルにつかまれた。


 今度こそテイムルは何も言わなかった。無言でフェイフューの腹を抱えるように腕を回して、フェイフューの体を持ち上げた。テイムルの力は圧倒的に強くフェイフューにはろくな抵抗はできなかった。

 引きずられるようにして、戸の向こう側に追い出された。


「ソウェイル殿下やユングヴィと少し距離を置きましょう」


 テイムルはそれだけ告げると自分は部屋の中に戻ってフェイフューの目の前で戸を閉ざした。

 土間の真ん中に立ったまま、呆然と戸を眺めた。


 戸の向こう側から声がする。


「殿下も言い過ぎでは? 冷静に話し合おうとするならまだしも、率先してあおるようなことをおっしゃるとは」

「そうだよソウェイルってば、急にひとを殴ったりして! 私あんたのことそんなふうに育てた覚えはないよ!」

「フェイフューが悪いんだ、あいつはちょっとキツく言ってやらなきゃ分からないんだ」

「だからと言ってあんなとどめを刺すような言い方は良くありません」

「私はぜんぜんいいんだから、仲良くしてよ」

「あんなやつ仲良くなんかできない」

「こら、もう!」


 三人は仲が良さそうだ。

 みじめな気持ちになってきた。


 土間に白軍兵士が二人控えているが、彼らは何も言わなかった。フェイフューと目を合わせようとすらしなかった。


 ここはフェイフューのいるべき場所ではない。


 フェイフューはきびすを返して外側の戸を開けた。

 もう、ここにはいられない。






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