第9話 初めての買い食い

 エスファーナの中心、中央市場の飲食店や軽食の屋台が並ぶ大通りを、ユングヴィと並んで歩く。そうと分からないよう私服の白軍兵士も数人ついてきているはずだが、表向きはユングヴィと二人きりだ。


 隣のユングヴィを見る。

 今日のユングヴィは女物の服を着ていた。くるぶしまで隠す丈の長い服に、つる草の模様の刺繍が入った長袖の上着を合わせている。頭全体を覆い顎の真下でちょうちょ結びをするマグナエの巻き方は田舎風で、化粧もさほどうまくはない。地方の主婦としてならよくいる感じの女性だ。


 フェイフューも今日は地味な服装をしていた。蒼い色を避け、白い筒袴に朱色の胴着ベストを着た。目立つ金の髪に珍しくターバンを巻いている。かかとのある長靴ブーツをはいたら意図せずユングヴィより背が高くなった。


 あえてお忍びにしたいわけではない。王子と将軍であることが知れてもさほど大ごとにはならないはずだ。フェイフューは日ごろ大学と宮殿を行き来するために街角で顔を晒しているし、ユングヴィも日常的に中央市場をうろついているらしい。


 だが何となく嫌だ。できれば誰にも自分が第二王子フェイフューであると知られぬまま宮殿に帰りたいと思っていた。


 そんなフェイフューに反して、ユングヴィは楽しそうだ。笑顔で屋台を物色している。


「なぁに食べよっかなあ。お店に入る前にちょっと胃に入れておくかなあ、フェイフュー殿下はお年頃の男の子でたくさん召し上がるんですものね」


 事実だが、彼女に指摘されると恥ずかしい。


「ユングヴィはいいのですか」

「何がですか?」

「こんなところで、こんな、ぶらぶらして。おうちの方は大丈夫です?」


 時刻は正午、一般家庭なら女たちが集って一家全員分の食事を並べている頃である。男たちが昼食を食べに一斉に一時帰宅する、一日で一番忙しい時間帯だ。普通の主婦なら出歩かない。ユングヴィも普段は格闘術の稽古の時間を昼食後に設定している。


「だーいじょーぶですよー」


 ユングヴィは微笑んだ。


「今日はうちのひとに百回くらい王子様と逢引きですって言って出てきたので!」

「いやそれは大丈夫ではないのでは?」

「いいじゃないですか、女の子の憧れですよ、王子様との逢引き! 私の夢を叶えてくださってもいいじゃないですかあ」

「いや絶対大丈夫ではないでしょう」

「やだな、冗談ですよ。いくら美男子でもソウェイルと同い年の男の子はちょっとねー」


 そもそもそういう視点で見られることが不快だ。

 そうとうまく表現する言葉を探しているうちに、ユングヴィが手を伸ばしてきて、フェイフューの手をつかんだ。一瞬頭の中が真っ白になった。


「迷子になっちゃう。離れないでくださいね」


 ソウェイルにもこういうことをしているのだろうか。さすがに来月十五歳になる男にすべきことではない。

 けれど振り払うのもためらわれて、フェイフューは黙って引っ張られた。


 ユングヴィの手は硬く力強くて女性と手を握っているという感じではなかった。戦う人間の手だ。ソウェイルの手の方がよほど綺麗な気がする。


 そのうちひとつの屋台の前で立ち止まった。香ばしい肉の香りが漂う。炭焼き肉キャバーブの串の店だ。


「おっちゃん、いつものふたつちょうだい」

「おっ、黒将軍夫人」


 体格のいい中年男性の店主が明るい声で言った。


「今日はご主人と一緒じゃないんですかい」

「うちのひとは子供たちと留守番。私はちょっと逢引き」

「なーに言ってんですか、こんな若い子と不倫なんてあんた――」


 店主がフェイフューの顔を二度見した。フェイフューの瞳が蒼いことに気づいたのだろう。網の上であぶられている肉団子の串から焦げた臭いが漂ってきた。


「いいから、いいから。たれは一個甘いやつで一個辛いやつにして」

「いやだって、将軍――」

「余計なこと言わない。つべこべ言わずに出しな」


 すごむ声は、フェイフューには投げかけられたことのない、都のごろつき集団の女頭領の声だった。彼女も彼女なりに気を使っていることを察した。


 店主は、焦げた肉団子を火ばさみでつまんで捨てると、無言で新しい肉団子を焼き始めた。

 石焼きパンナンを手に取る。火ばさみを置き、どこからともなく香草を取り出してきて、折りたたんだ石焼きパンナンに挟む。

 火の通った肉団子を串から外し、香草の上に置く形で石焼きパンナンに詰め込む。

 最後にたれをかけると、黙ってユングヴィに差し出した。


「どっちがいいですか?」


 ユングヴィが笑って両方ともをフェイフューに向かって突き出した。

 フェイフューは戸惑った。

 外で出されたものを食べていいのだろうか。目の前で調理する過程を見ているので毒物が混入している可能性は低いが、皆無というわけではない。


 ユングヴィは笑顔で待っている。

 逃げられない気がする。


「では……、辛い方で」

「はい!」


 フェイフューに辛いたれのかかっている方を持たせると、ユングヴィは肩にかけていた小さなかばんから硬貨を取り出して店主に手渡した。店主が「毎度あり」と言うのを聞いたと同時に甘いたれのかかっている方にかぶりついた。


「おいしー! やっぱり焼きたての炭焼き肉キャバーブはサイコーですよねえ!」


 彼女がこんなふうに食べているということは、きっと安全なのだろう。

 しかしそれでもためらっているフェイフューを見て、ユングヴィが、「あ」と呟いた。


「こんなところで立って食べるの、ちょっとお行儀悪いですね」


 そういうことを気にしていたわけではない。けれどユングヴィには分からないらしい。


「こっち、こっち座りましょ」


 手に食べ物を持ったまま、小走りで小路こみちの方へ向かう。

 角に石の長椅子が設置されていて、ユングヴィはそこに腰掛けた。


「はい。隣、座ってください」


 そうではない。そうではないのだが――


「……はい」


 手の中の肉からは甘辛い香りがしてとてもおいしそうで、自分は今、空腹だ。

 食べてしまいたい。


 食欲にはあらがえなかった。


 フェイフューはユングヴィの隣に腰を下ろした。

 そして、炭焼き肉キャバーブにかじりついた。

 肉汁が溢れ出しておいしい。


「たまにはこういう庶民の軽食もいいでしょ?」


 悔しいが、肯定するしかない。

 口の中いっぱいに何の汁か分からぬ甘辛いたれの味が広がる。


「はい」


 半分ほど食べた辺りで、ユングヴィが先ほどまでかじっていた甘い方が差し出された。


「こっちもあげます。食べてください」


 ユングヴィの食べかけだ。

 自分の食べかけを与えるのか。他人に――それも王族に、と思うと、あまりの非常識さに震える。

 でも、おいしそうなのである。


「……いただきます」


 きっとソウェイルは日常的にこうしているのだろう。ソウェイルがすることを自分がしてもおかしくはないはずだ。きっとそうだ。

 自分に言い聞かせつつ、フェイフューはユングヴィの手からそれを取った。


「おいしいですか」

「おいしいです」


 フェイフューはしばらく無言で食べ続けた。これでは自分が宮殿で食事を与えられていないみたいではないか、あさましく下品で見苦しくはないか――そうと思っているというのに、どうしても、やめられないのだった。


「よかった、よかった」


 ユングヴィが満足げに呟いた。






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