第7話 ユングヴィに何を教わるのか

 宮殿の北、大雑把に言うと城壁と北の塔の間くらいに位置する、白軍の訓練場の端に連れていかれた。ちょうど建物の陰に入るため日焼けはせずに済みそうだが、この季節は少し寒い。


 フェイフューは緊張していた。ユングヴィと二人きりになるのが初めてだからだ。正確に言えば周りに白軍兵士たちがいるのでこの空間に二人だけというわけではないのだが、ユングヴィと一対一でやり取りをしなければならない。初めてのことだった。


 ユングヴィが苦手だ。

 どう接したらいいのか分からない。


 フェイフューは今まで出会ったすべての人間を敵と味方に分類してきた。敵にせよ味方にせよ互いの立場がはっきりすれば対処のしようがある。相手とどんな関係になりたいか、相手が自分とどういう関係になりたいと思っていそうか、が分かれば、あとはどうにでもなった。


 ユングヴィはこの世で唯一の敵か味方か分からない相手だ。


 彼女は今日も愛想よくにこにこしている。へらへらしている、ともいう。

 笑顔の意図が読めない。何を考えているのかまったく予想がつかない。


 ユングヴィと会話をしていると不安になる。


 何度かソウェイルに相談したことがある。ソウェイルはいつも「たぶん何も考えてないと思う」と答える。そんなことがあるわけがない。彼女は十神剣でありソウェイルの後見人だ。ソウェイルの双子の弟であり王子である自分と接して何にも思わないはずがない。


 それでも今までやり過ごしてこれたのは彼女が踏み込んでこなかったからだ。

 彼女からフェイフューに近寄ってくることはなかった。フェイフューは何となく避けられているように感じていたがそれはそれでいいと思った。邪魔をしてこないのなら、すぐに排除せねばならない敵というわけではないのだろう――そう自分の中で結論付けて放置してきた。


 なぜ、今になって急に踏み込んできたのか。テイムルの差し金だろうか。テイムルは何を企んでいるのだろう。彼女と自分に何をさせたいのか。


 かといって逃げるわけにはいかない。攻撃を受けているわけではないのにこちらから避けるのはおかしいし、攻撃されるのなら真正面から打ち倒すべきだ。

 相手の出方を窺う。


 ユングヴィは、今日は男物の服を着ていた。丈の短い胴着ベストに、裾を絞った筒袴、チュルカ風の革の長靴ブーツをはいている。長い赤毛は後頭部でひとつの団子にまとめていて、マグナエや髪飾りなどはつけていなかった。


「さて、何からしましょうかねえ」


 笑顔のまま、胸の前で両手を合わせて首を傾げる。その手と手を合わせる動作には特に意味がないらしい。彼女は無駄な動きが多い。これもフェイフューを困惑させる原因のひとつだ。


「私、口で説明するの苦手なんですよねえ。あんまり言葉を知らないから――順序だてて話すとか苦手で」

「はあ」


 ひとにものを教える以上は何からどういう順番で教えるべきか計画を立ててくるべきではないのか。


 我慢だ、と自分に言い聞かせた。ユングヴィを叩いても何の得もしない。それどころか、ソウェイルの機嫌を損ねることになる。

 ユングヴィの批判は厳禁だ。『蒼き太陽』が嫌な顔をするからだ。

 それも彼女が苦手な原因のひとつかもしれない。


 ユングヴィに何かあったら『蒼き太陽』が怒る。


 『蒼き太陽』の一番近くにいる人間として、アルヤ王国で圧倒的な存在感、絶対的な発言権を持ちながら、ユングヴィは何もしない。


 おさまりが悪い。


「えーっと……、じゃあ、実践で――実戦でいきましょうか。簡単なところから」


 彼女は言う。


「とりあえずやって見せるので、真似してもらえますか」

「何をですか」

「護身術、というか――何というか、襲われた時にやり返して相手を制圧する方法を練習しましょう。何かちゃんとした名前はなくて、赤軍では格闘術っていうぼやっとした感じで呼ばれているものなんですけど――とりあえず、やってみましょうね」


 ユングヴィが両手を下ろし、胸を開いた。


「襟をつかんでもらえますか」

「襟、ですか」

「ていうか、胸倉をつかんでみてくれますか。胸倉をつかまれた時にどう対応するかやってみせます」


 どう対応するつもりなのだろうと思いつつ、腕を伸ばした。


 ユングヴィは女性だ。自分より背が高く、男物の服を着ていても違和感はないが、中身は子供を二人も産んでいる女である。いくら強いと言ってもさすがに腕力ならもう勝てるだろう。フェイフューは剣術に自信があり、握力もそれなりにあった。


 触れる瞬間、相手は女だ、というのが頭の中をよぎった。女に触れるのか。自分からか。明らかに自分より弱い相手に何をするのか。


 振り切った。

 女といえど、十神剣だ。カノと一緒だ。女として扱うべきではない。


 だいたい、彼女がやれと言ったのだ。


 右手でユングヴィの胴着ベストをつかんだ。


 ユングヴィの両手が素早くフェイフューの右手を包み込んだ。

 温かい。

 そう思った次の瞬間、ユングヴィの両手はフェイフューの右の手首をつかんで縦に押し下げた。

 フェイフューは思わず手を離した。離れようとした。

 けれどユングヴィの両手はフェイフューの右手首を離さない。

 フェイフューは動けなかった。

 右手が動かない。


 直後横に倒された。

 肘がひねられた。

 腕全体に鋭い痛みが走った。


 ユングヴィは右手を離した。ただし左手はなおもフェイフューの手首をつかんだままだ。


 ユングヴィの右手がフェイフューの左肩の後ろの方をつかむ。肩が押さえられたことで腕全体が動かなくなる。


 右に押された。


 やられるがまま倒れるしかなかった。そうでないと右肘がおかしくなる気がした。

 天地がひっくり返った。

 地面に転がされた。


 叩きつけられることはなかった。ユングヴィの長靴ブーツの爪先がフェイフューの右腕の下に入って緩衝材になったからだ。


 しかしそれにしても、捻り上げられた右腕が痛い。

 だからといって女性にやられて痛いなどと喚けるわけがない。


「分かりました?」


 言いつつ、ユングヴィが手を離した。

 痛みが消えた。解放された。

 ほっと息を吐いた。


「……だいじょぶですか?」


 我に返って顔を上げた。

 ユングヴィがすぐ傍にしゃがみ込んでいた。


 自分は地面に転がっていて、ユングヴィは涼しい顔で自分を見下ろしている。

 しかも自分はユングヴィに何をされたのかすらもいまいち分からない。

 完全なる敗北だった。


「な……にを、した、のですか」


 体を起こした。ユングヴィの正面に座った状態で問い掛けた。

 ユングヴィが両手を伸ばした。

 フェイフューは目を丸くした。

 ユングヴィの両手が、フェイフューの右手を握り締めた。


「あのですね」


 手を握られてしまった。


 しかしユングヴィは気にせず続けた。

 手を、胸の前まで持ってくる。

 左手でフェイフューの右手首をつかむ。右手でフェイフューの指の根元をもつ。


「手首って、こう、はよく動くんですよ」


 手首を横に振らされた。指先がひらひらと動いた。


「こう、はここまでしか動かないんですよ」


 手首を縦に押さえられた。確かにあまり動かない。


「だから、こうして――」


 また、両手で手首をつかまれた。そして上から縦に押さえつけられた。


「こうされると、手のひらを返せないから、下に動くしかないでしょ」

「……確かに」


 ユングヴィが微笑む。


「関節です」

「関節?」

「人間の関節がどう動くか分かれば大抵の攻撃をあしらえます。関節を押さえれば、動きを押さえられるんです。で、関節を破壊すれば、何もできなくなります」


 そこで初めて、フェイフューは悟った。


「あとは、瞬発力。何も考えずに、反射的に、関節を破壊するのに最短の行動を取ります」


 ユングヴィが教えようとしている技は、人体の構造に関する知識に基づいている。理論的で、科学的だ。


「コツです。でもって、慣れです」


 フェイフューは、頷いた。

 確かに、彼女の言うことを覚えれば、さらに強くなれるかもしれない。

 フェイフューはようやく彼女の話をまともに聞く気になった。






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