第6話 新しい先生

 テイムルに声を掛けられたのは、翌日、昼食が終わるか終わらないかの頃のことだった。朝いつものように大学へ行き、昼食をとるため宮殿に戻ってきて、ソウェイルと二人で食事をした、その終盤のことである。

 ソウェイルは食べるのが遅い。量はフェイフューの半分くらいだというのに、時間をかけてだらだらと食べる。

 一方フェイフューはいつもすぐ平らげて時間を持て余した。

 かといって途中で立ち去るのも品がない。一般家庭での昼食は家族全員が集合してのんびりとるものだと聞く。双子は他に血縁がおらず二人きりなのでこんな感じだが、本来はここでもっと団欒をすべきだ。フェイフューは根気強くソウェイルに付き合っていた。

 そんな折、テイムルが食堂に現れた。

「フェイフュー殿下、今少しよろしいですか」

 内心暇つぶしになると喜んだが、フェイフューは澄ました顔で「どうぞ、何でしょう」と応じた。

 フェイフューの隣にひざまずき、耳打ちするようなかっこうで告げる。

「殿下の昨日ご依頼の件、先ほどめどが立ちました。さっそくですが、講師の者とお引き合わせしたく存じます」

 想定外のことだった。フェイフューは思わず「へえ」とすっとんきょうな声を上げてしまった。

「昨日の依頼といいますと、勉強部屋で話していた武術の件ですか」

「さようにございます」

「早いですね、まさかこんなにすぐ話が進むとは思っていませんでした。昨日の今日で、本当に大丈夫です?」

「協議した時間こそ短いですが、人選には慎重を期しております、ご心配なく」

 テイムルも澄ました顔をしている。

 一瞬、いろんなことが頭の中を駆け巡った。

 所要時間が短いのに、慎重を期している、とは、いったいどういうことだろう。

 ひょっとして、テイムルはフェイフューがこう言い出す前からフェイフューに何か新しいことをやらせたくて水面下で支度を進めていたのではないか。フェイフューが自分からやりたいと言い出したことをこれ幸いと利用する気ではないか。昨日の発言はきっかけに過ぎず、実はずっと前からテイムルはフェイフューに誰かをあてがう予定でいて、フェイフューが何か言い出すのを待っていた――のかもしれない。

 その予想があっていたら、待っている講師とやらは武術の師範というわけではないかもしれない。武術を教えられるが、本来は武術以外のことを教える予定でいた、高位の武官か何かかもしれない。

 そこまで考えて、フェイフューは、それでもいい、と思った。

 フェイフューは本気で新しい武術をやりたいわけではない。剣術、棒術、弓術とひととおり習って、一番好きな剣術だけ別枠で続けているところだ。正直なところ剣術ひとつできれば他の武術を極める必要はないと思っていた。大事なのは体を動かしてもやもやを発散することだ。ついでに体を鍛えられればいいという程度の気持ちだ。

 それに、フェイフューは、なんだかんだ言ってテイムルを信頼していた。

 彼は上品な男だ、王子であるフェイフューを陥れて恨みを買うような真似はするまい。周りの人が言うより計算高いところはあるが、そうであるからこそ逆に、何か考えがあっての行動だろうと思える。何より、彼はかなりあからさまにフェイフューとソウェイルを差別する。ここぞという時は必ずソウェイルの側に立つのだ。それを、フェイフューは、むしろ、潔し、と思うのであった。一本筋が通っている。

 きっと何か含むところがあるのだろう。けれどそこまで身構えなくてもフェイフューが極端に不利益をこうむることはあるまい。

 何も気づかなかったふりをして、フェイフューは「分かりました」と答えた。

「今すぐですか」

「殿下のご都合さえよろしければ、今、食堂の外に待たせておりますので。あるいは、この後しばらく白将軍の執務室にとどめ置く予定ですので、殿下のご都合のよろしい時にお越しいただくというのでも結構です」

「では今すぐ会いましょう」

「お食事は終わられましたか」

 ソウェイルが「俺の三倍は食べた後だ」と言った。暗に大喰らいだと言われた気がしてむっとした。テイムルが「ご満足いただけましたか」と訊いてくるのでなおさらだ。

「さすがにもう充分です」

 言いながら腰を上げた。

「行きましょう。兄上はまだ召し上がられるようですので、僕たちは外に出ましょう」

 テイムルが「かしこまりました」と言い、軽く頭を下げてから立ち上がった。


 食堂は中庭に面している。扉を出るとすぐに回廊があって、回廊の屋根の下から出たところに低木が植えられており、その低木の茂みを越えた向こう側にフェイフューの歩幅ほどの水路が流れていた。蒼宮殿は水と緑の溢れる楽園なのだ。

 回廊の端、低木の手前に立ち、こちら側に背を向けて水路を眺めている者があった。

 白地に金糸の刺繍のマグナエを巻き、足首まで覆う丈の臙脂色の服を着ている。したがって、女性――だと思う。女性にしては背が高い。フェイフューやテイムルとさほど変わらない気がする。

 嫌な予感がした。

 テイムルが扉を閉めると、テイムルとフェイフューに気がついたらしい、彼女がこちらに振り返った。

 少し垂れぎみの黒い目、日焼けした肌に白粉おしろいをはたいた頬――マグナエから出た燃えるような赤い前髪は、

「ユングヴィ?」

 声を掛けると、彼女――ユングヴィは、ひとのよさそうな、愛想のいい笑みを浮かべた。地味だが愛嬌のある、人好きしそうな笑顔だ。

こんにちはサラーム

 しかしフェイフューはたじろいだ。その場で硬直して、まじまじとユングヴィを眺めてしまった。

「……こんにちはサラーム

 テイムルがフェイフューとユングヴィの間に立った。

「まあ、いまさら紹介するまでもないかと存じますが。明日からフェイフュー殿下に格闘術を教える先生として呼びました、あか将軍ユングヴィです」

 ユングヴィが軽く頭を下げ、「どうぞよろしくお願い申し上げます」と言う。

「ユングヴィは、何か、武術をやっているのですか」

 我ながら阿呆なことを訊いてしまった。彼女は将軍というより兵士であり、仕事ができる期間は部下たちと現場に出ている。あか軍兵士として活動するということは、王都に巣食う密貿易者や暗殺集団と戦うということだ。基本的に荒事である。ソウェイルや侍従官たちからもさんざんユングヴィは強いと聞かされている。何らかの武術ができるに決まっている。

 だが、こうして対面していると――確かに女性にしては非常に大柄で肩もしっかりしているように見えるが、髪をまとめてマグナエを巻き、眉を整えて紅をひいているのだ。その笑顔は温和で、とてもではないがひとを攻撃する人間に見えない。

「ええ、まあ、一応。何となく、それっぽいことはできますけど」

 彼女特有のはっきりしない返事だ。フェイフューはこの女のこういうところが苦手だ。

「えーっと、赤軍でやるやつです。特にこう、流派とか、ちゃんとした名前があるわけじゃないんですけど。東洋の何とかという武術の影響を受けている――えーっと、えーっと、何だろ。喧嘩殺法みたいなやつです」

 テイムルが「え、本当に大丈夫?」と突っ込んだ。聞いていると不安になってくるフェイフューの感覚が間違っているわけではないらしい。ユングヴィが握り拳を振って「だいじょーぶ! だいじょーぶだよ!」と答えた。

「いやだいじょーぶじゃないかも? 私王子様に喧嘩の仕方教えるとかほんとにいいのかな……」

 そこははっきりしてから来てほしかったが、直接ユングヴィをとがめるような言動をとるのはためらわれる。

「喧嘩の仕方、ですか」

 それとなく、それはいったい何なのかと問い掛けたつもりだ。

 ユングヴィは文脈は読める女だ。

「素手で、骨を砕いたり、関節を破壊したりする技をお教えします」

「素手でですか」

「素手ででーす!」

 唖然としているフェイフューに気づいているのかいないのか、あっけらかんとした顔と声で続ける。

「力の使い方の問題ですので、コツさえつかめば素手で人間を殺せます」

 あっけらかんとした、陽気ともとれる朗らかな声で、だ。

 本当に、大丈夫なのだろうか。

「明日の午後からやりましょうー! 今日これから赤軍の副長とうちのひとと話をつけてきますので、明日のこの時間から、しろ軍の訓練場をお借りしてやりましょうか」

 不承不承ながらも、フェイフューは「はい」と頷いた。とりあえず明日少しやってみて、何らかの理由をこじつけてなかったことにしよう――この時は、フェイフューはそんなふうに思っていた。

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