第5話 ソウェイルにだって面白くないこともある

 ウードをつま弾きながら歌詞を考える。心に浮かんだとりとめのない言葉を並べて節をつけてみる。

 これが案外難しい。

 アルヤ語は長母音と短母音を区別する言語だ。伸ばしただけで意味の違う単語になってしまうこともあるし、そうでなくとも何となく格好悪い。また、詩なのでそこまで厳密に考える必要はないと分かっていても、フェイフューは文法を守りたかった。できれば韻も踏みたい。

 こだわればこだわるほど完成は遠のいていく。


「フェイフュー」


 ソウェイルに名を呼ばれた。フェイフューは弦を見たまま顔を向けることもせず応じた。


「何ですか」

「ずっと、いつ言おうか、悩んでいたんだけどな」

「はい」

「お前、うるさい」


 手を止めた。

 ソウェイルの顔を見た。

 右手に葦筆ペンを持った状態で、ソウェイルがこちらに冷たい目を向けていた。


「お前、カノのことをうるさいとか何とか言うけど、お前の方が何百倍もうるさいからな」

「はあ」

「基本的に俺の勉強を妨害しているのはお前だ。音を鳴らすなら自分の部屋に帰れ」

「嫌ですよ。女官たちに聞かれたくないのでここでやります」

「ほら」


 こたつの天板に葦筆ペンを置く。


「俺が勇気を振り絞って主張したところでだいたい聞いてもらえないんだ」


 カノが「相手がフェイフューだから悪いんじゃ?」と呟いたがソウェイルもフェイフューも無視した。


「言い方や時や場合にもよります、兄上はそう言い訳をしてやり方を変える試みをしないから成長しないのです」

「そう言うお前はうまくいかない時にやり方を変えているのか? 自分は間違ってないとか言ってごり押しするだろ」

「そもそも僕はうまくいかないということがあまりないのですね」

「嫌味か」


 カノがまた、「ソウェイルがフェイフューに話し掛けるから盛り上がっちゃうってところはあるよね、ほっときゃいいのに」と呟いたが、それも双子は無視した。


「お前は俺がどんだけ譲ってやっているか知らないでそういうことを言う。お前はいったい俺がどうしたら満足するんだ」

「兄上がやらなかったりできなかったりするから僕がやっているのです、自主的にきちんとしてくださっていたら何も申し上げません。あと兄上、僕も前々から気になっていたのですが今いい機会なので申し上げます、兄上の言葉には訛りがありますね、あの夫婦の汚い言葉遣いがうつっているようです、矯正なさったらどうですか」

「きちんと? きちんとって何だ。それからお前とはユングヴィとサヴァシュの話はしないって言っただろ、いちいちいちゃもんをつけてきやがって――」

「こりゃきりがないわ」


 カノが笑った。


「まー、あんたたちが仲良さそうで何よりよ」


 ソウェイルとフェイフューの「どこが」と怒鳴る声が重なった。


「あたし、知ってんだから。ソウェイルはね、フェイフューが相手だから文句を言うの。フェイフューにだけは何言ったっていいと思ってんのよ。可愛いじゃん?」


 ソウェイルが「何だと」を眉を吊り上げる。カノはそれを無視する。


「あたしのことはどうだっていいから文句を言わないの」

「それは、そうだけど」

「ちょっと、そこだけ肯定すんのやめてよ」


 ソウェイルが唇を引き結んでうつむく。そんなソウェイルに気づいていないのかあるいは無視したのか、カノがフェイフューの方を向く。


「気にしなくていいんだよーフェイフュー、ソウェイルはフェイフューのことが大好きなんだから。もちろんあたしもね。だからここにいていいんだよー」


 その笑顔に胡散臭さや腹黒さを感じて、フェイフューも機嫌を損ねて黙った。

 ある意味でカノはすごい。ソウェイルとフェイフューを口先だけで黙らせることができる。女とは往々にして無理解なことを言うものだが、カノは極まっている。


 カノが王都エスファーナに戻ってきたのは、今から三年前のことである。


 彼女は神剣に軍神として選ばれた十人の神官団――通称十神剣の一員で、南方守護隊であるだいだい軍の代表者、だいだい将軍だ。父親が先代の橙将軍であり、その父親が死んだ六歳の時に橙将軍となって南部州の州都に移住した。


 軍隊は軍隊である。もとから女性しか入隊できないさくら軍以外は、基本的には男性で構成された組織だ。

 橙軍の皆はカノを持て余した。

 ただでさえ子供のいるところではないのに、彼女は女児であった。女の子を育てることに限界を感じた。


 橙軍の幹部と王都にいる十神剣が協議した結果、彼女はしかるべき時にエスファーナに連れ戻すことになった。そして軍人としてではなく貴族女性としての教育を施すことに決まった。それまで州都の城に半ば軟禁するようにして育てていたらしいが、時が来たら王都で女学校に通わせると定めたのである。


 女子に高等教育を施す学校は王都にある王立女学院だけだ。アルヤ王国どころか、周辺諸国を含めてもその一校しかない。


 十二歳になった時、彼女は王都に帰ってきた。そして桜軍の寮で暮らし始めた。ベルカナが手元に引き取り、ベルカナの監督下で女学校に通い始めた。


 それとほぼ同時にこの勉強部屋にも通い出した。


 理由は単純だ。ソウェイルが『蒼き太陽』でありカノが橙将軍だからである。経典が太陽と十神剣を血よりも強く結びついた関係としてともにあることを推奨しているのだ。まして同い年ならなおのこと近しい存在であるべき、らしい。


「この部屋はカノの部屋ではないのですが、ね」


 フェイフューはウードを掻き鳴らした。ソウェイルはもう何も言わなかった。


 いつだったかカノ自身が語ったことだが、十神剣は一時カノとこの部屋を巡って論争になったらしい。太陽と十神剣であることと、男と女であること、どちらを優先すべきか、で紛糾したそうなのである。


 本来なら、年頃の少年少女を一室で一緒にすべきではない。フェイフューも心からそう思うし、そう主張した人間の代表であるナーヒドを支持する。ソウェイルが『蒼き太陽』でカノが橙将軍だから議論の余地があるのであり、そうでなかったら話題にもすべきでないほど言語道断のことだ。


 相対したのはテイムルとベルカナだ。

 テイムルは『蒼き太陽』を盲目的に信じているところがあり、男女の別は神意の前では些事としたのである。

 ベルカナはなぜかカノの教育に熱心で、性別や身分にとらわれない考え方を身につけてほしいと言う。フェイフューには何となく根拠が薄いように思うが、カノの教育に関してはどうしてかベルカナが絶対的な発言権をもつ。ベルカナがよく分からない。女だからだろうか。


 最終的にナーヒドを退けたのはユングヴィの「失敗すると私みたいになるからね」という一言だったらしい。これは強かった。ユングヴィは誰にも疑いようのない立派な失敗例だ。


 結局今のところ大きな問題は発生していない。

 まず、ソウェイルがカノを拒まない――『蒼き太陽』がよしとしていることに異議を唱えるアルヤ人はいない。

 ソウェイルとカノが二人きりになることはない――必ず白軍兵士が複数つくし、フェイフューもいる。

 何より、ソウェイルもフェイフューもカノを女性として意識したことがないのであやまちの起こりようがない。


 カノはだいたい学校の宿題の算術をやっている。絶望的にできないらしい。フェイフューはそもそも女子に算術が必要なのか疑問だが、女学校では夫をたすけ家計を守るこれからの女性は数字が読めねばならないと教えているようだ。


 ソウェイルはそれに付き合って一緒にそろばんを弾いたり数式を書いたりしている。これがまたどうしてかなかなかできない。


 算術に限らず、ソウェイルはいったい何ならできるのか分からない。彼は一切宮殿から出ず午前中いっぱい家庭教師に勉学させられているようだが、フェイフューは具体的にどんなことをしているか把握していない。知ったらがっかりしそうだ。


 気を使ってウードの音を出すのを避けたところ、手持ち無沙汰になってしまった。


「退屈です」

「外に出ていっていいんだぞ」


 一瞬むっとしたフェイフューだったが、考える。それはそれでいいかもしれない。ここにいても、ソウェイルとカノの学力の程度に合わせていたら何の学びもないのだ。


「体を動かしてすっきりしたいです。最近なんだかもやもやと考えてしまうことが多いので運動をしましょう」

「好きにしてくれ、俺の許可を取る必要はない」

「そうですね、新しい武芸でも習いましょうか。どなたか武術の師範を手配してください」

「誰に向かって言ってんの」

「土間に控えている白軍兵士のお二方に」


 それまで完全に沈黙して職務に徹していた白軍兵士二人が、扉の向こうで短く「はっ」と返事をした。ソウェイルとカノが顔を見合わせた。


「どうせ毎日ここを閉鎖したあと日報を書いてテイムルに報告しているのでしょう? そこに僕が武術の師範を欲しがっていると書いておいてください」

「御意」


 ソウェイルが「自分で言え」と言ってきた。フェイフューは「テイムルを呼び出して手間をかけるのは心苦しいので」と答えた。


「呼び出すんじゃなくてお前から行け」


 無視した。


「何をやりましょうかね」

「剣術はどうしたんだ」

「週に二回ナーヒドに習っています」

「それは辞めていいのか?」

「辞めないですよ、追加で別にやるのです」

「よく体力もつねえ! ソウェイルがそんなことしたら死んじゃうよ!」

「兄上とは基礎からつくりが違うのですよ!」

「俺、本当にお前らのことが嫌いだ」





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