第4話 宮殿にこども部屋ができました

 蒼宮殿の南東のすみ、あえて無造作に木々を植えている辺りに、小さな平屋建ての家がある。素朴な土壁でできていて、中は二間と土間しかない。


 ここにかつてひとりの少女が住んでいた。先の王が親きょうだいのない哀れな少女のために急ごしらえで作った家だった。


 彼女――ユングヴィが伴侶を得てまともな邸宅に引っ越したあと、この家は一度取り壊されることになった。宮殿の景観を損ねる、という理由で、議会が解体を発議し、満場一致で採択したのだ。

 ユングヴィは王都の武家屋敷街に買った新居で赤ん坊と夫と暮らし始めたところで、おかしな立地の小さな家には未練がなかった。誰一人損することなくその年のうちに解体されるはずだった。


 差し止めさせたのはソウェイルだ。彼は取り壊される寸前のこの家に潜り込み、立てこもり、作業員の立ち入りを拒否した。


 周囲の人間はソウェイルのこの行動に驚いた。

 ソウェイルが自分ひとりのためだけに何かを要求するなどめったにない。普段は何を見たいとも何を食べたいとも言わないのである。それが突然強硬手段に出た。

 みんな彼にはこの家によほどの愛着があるのだと察した。最終的にはテイムルが代表して議会に異議申し立てをして、そう間を置かずに保存が可決された。


 フェイフューは当時これがたいへん面白くなかった。


 蒼宮殿は水と緑の楽園エスファーナそのものだ。ひいてはアルヤ王国の富と繁栄の象徴であるとも考えられる。宮殿の景観は王国の威信にかかわるのだ。蒼と金の石片タイルで埋め尽くされた美しい宮殿、その中にある土壁のがらくたのような家――住民がいるならまだしも、用途がないのなら早急に撤去すべきだ。


 繰り返しになるが、ユングヴィ当人はいらないと言っている。この家にここにあってほしいのはこの世でただ一人ソウェイルだけだ。そしてソウェイルの住まいは宮殿北にちゃんとあり、この家がなくなっても日常生活に支障はない。

 ソウェイルの無益で幼稚な愛着は、王国の象徴を侵害できるほど大事なものか。


 逆に、そうならそうともっと早く言えばいいとも思った。決議の翌日に作業が始まったわけではない。そうと知ってすぐ誰かに訴えればここまでの騒ぎにはならなかったのではないか。


 ソウェイルは本当に何も主張しない。周りの人間の様子を見て、事の成り行きに身を任せがちだ。

 黙っていてもユングヴィやテイムルが察してくれると思っているのかもしれない。分かってもらえると、許してもらえると思っているのかもしれない。


 それでも大人たちはソウェイルを認める。

 『蒼き太陽』だからだ。

 『蒼き太陽』はどんなわがままでもいいのだ。

 面白くない。


 大学から宮殿北の自分の部屋に戻ると、まず、ウードをひっつかんだ。ウードを携えてその家に向かった。


 その家は、今、子供たちの勉強部屋として再利用されている。表に――玄関先に二人、窓の近くに一人と、合計三人の白軍兵士を常時配置しており、ソウェイルとフェイフューが自由に出入りできるようにしてある。ソウェイルがいる時は加えてさらに二人土間で待機することになっている。そして許可のない人間は入室できない。治安の面では保障されていると思われる。


 今だからこその話だが、実はフェイフューもこの家を密かに気に入っている。

 中は、夏は日が当たらないので涼しく、冬は熱がこもるので暖かいつくりになっている。ユングヴィが家具をすべて置いていったため本気になれば生活もできる。難点は狭いことだけだ。居心地はいい。

 何より――自分でもおそろしく思うほど幼稚でばかばかしいことだが、きっと少年には秘密基地が要るのだろう。

 この一、二年ほど、フェイフューもこの家に隠れてウードを弾くことを趣味としていた。


 外側の戸を開けると、若い白軍兵士が左右に一人ずつ控えていた。彼らはフェイフューに対して黙って礼をした。


 内側の戸を開けようとした時だ。


「だからさあ、絶対違うって言ってんじゃん!」


 中から少女の声が響いてきた。


「もー諦めて白軍のひとたちに教わろ!」


 戸を開けた。


 部屋の真ん中に置いたこたつで、少女と少年が身を寄せ合って一冊の筆記帳ノートを睨んでいた。


 手前にいるのは、フェイフューと同い年の少女だ。肌は浅黒いが滑らかである。柔らかそうな黒髪は顎の下で断髪にされており、本当にかぶっている気なのかそれとも首に巻いているだけなのか申し訳程度にマグナエをつけていた。胴着ベストは臙脂の地に金刺繍で、ちまたの流行りだがフェイフューの目には派手に見えて仕方がない。はっきりとした眉に厚い唇――顔立ちは年齢のわりにはおとなびている。


「カノ、声が外まで聞こえていますよ」


 名を呼んでやると、少女――カノが振り向き、花のかんばせに笑みを浮かべた。


「わーっ、フェイフュー、お帰りなさーい! フェイフューが帰ってくるの待っ――」

「うるさいです。品がないですね」


 カノが眉間にしわを寄せて肩をすくめた。


 彼女が動いたことにより、奥にいる少年の姿が見えた。


 日の光に当たっていないのではないかと思うほど白くあばたもそばかすもない肌、大きな蒼い瞳を守るのは長く濃く密集した睫毛――華奢な肩からすらりと伸びた細い腕、匙より重いものなど持ったことはなさそうに見える繊細な手――女性のように羽織っている肩掛けは蒼地で黄金の太陽の紋章が刺繍されていた。


 フェイフューは溜息をついた。


 ラクータ帝国の皇帝には魔性と呼ばれ、西洋の使者には邪悪なほどの美少年と謳われた美貌の――往時のラームテインに匹敵するかそれ以上かもしれないほどに整った造作、そして――

 長く伸ばされ、一本の三つ編みにまとめられて床に垂れているその髪は、それだけでアルヤ王国を示す、蒼だ。


「――何とかおっしゃったらどうですか」


 蒼い瞳が、伏せられた。そんな仕草のひとつひとつまで、自分が美しく神聖であることを知っているかのようだ。


「兄上」


 アルヤ王国第一王子ソウェイルは、今日もこの小さな部屋に自分自身を監禁している。


 やっと声が出た。


「……おかえり」


 変声期もだいぶ経ってかなり低くなったフェイフューの声とは違う、まだ高い少年の声が響いた。


「そういうことではありません」


 フェイフューは無遠慮に靴を脱いで絨毯に上がった。


 遠慮をするだけ無駄だ。顔立ちは表情のひとつひとつまで意味深長に見えるが、フェイフューはこの蒼い頭の中身が大して使われていないことを知っている。


「毎日毎日カノにぎゃあぎゃあと騒がれて、文句をつけるどころか、どうせ今日も押されてはいはいとおっしゃっていたのでしょう。『蒼き太陽』ともあろうお方が十神剣とはいえたかが家臣の小娘ひとり相手に情けないです。たまには一喝して黙らせてみたらどうです?」


 ソウェイルも、溜息をついた。


「怒鳴ってどうにかなることなんてそうそうない。結果が出ないと分かっていても大きな声を出せるほど俺は余力があるわけじゃないんでな」

「やらない言い訳ですね。兄上のそれは平和主義ではなく日和見主義です」

「もー、喧嘩しなーい!」


 カノがこたつの天板を叩いた。ソウェイルの「お前のことだ」という言葉とフェイフューの「あなたのことです」という言葉が重なった。


「何の話をしていたのですか」


 ソウェイルとカノの間に割って入る。筆記帳ノートを覗き込む。

 書かれていたのは数式だった。周りにソウェイルとカノの字で何やらごちゃごちゃと書き込みがある。


 フェイフューは近くにあった墨壺に手を伸ばした。

 小さな硝子ガラスの壺には葦筆ペンが刺さっている。無断でそれを手に取る。そして筆記帳ノートに解法を書き込む。


「はい」


 ソウェイルとカノが目を丸くした。


「一瞬だったな」


 ソウェイルが顔をしかめる。その表情を見てフェイフューも顔をしかめる。


「まさかとは思いますが、この程度の単純な問題も解けないなどとはおっしゃいませんよね」


 ソウェイルもカノも何も答えなかった。


「そんなにぐちゃぐちゃと引っ掻き回して帳面を汚しているところから窺い知れるものもありますけれどね」


 フェイフューもそれ以上は言わなかった。窓際に座ってウードを構えた。弦をつま弾く。切ない音が出た。







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