第28話 そしてまた春が来た

 びょうの中で一人ぼんやりしていたところに声を掛けられた。


「アフサリー」


 振り向くと、美しい少年が立っていた。日の光に当たっていないのではないかと思うほど白く滑らかな肌、大きなあんず型の二重まぶたに納まる蒼玉サファイヤのような瞳、こじんまりとしてはいるが通った鼻筋に薄紅色の唇――そして何より、長く伸ばされ緩くひとつに編まれた蒼い髪は至上の太陽のものだ。


 アフサリーはその場にひざまずいた。こうべを垂れ、「お久しゅうございます」と述べた。


「ソウェイル殿下」


 ソウェイルは黙ってアフサリーを見下ろした。

 その少しの間の沈黙、テイムルやユングヴィは「人見知りをなさる」「照れてるだけだよ」などと説明するが、もとはエスファーナのしがない職人であったアフサリーはどうも太陽に見定められている気持ちになる。善なる太陽の神ははたしてアフサリーを善なる者と見てくれるであろうか。


「顔を、上げてくれ」


 言葉がどことなくぎこちないのは、彼がまだひとに命令し慣れていない証拠らしい。


 顔を上げる。ソウェイルの顔をまっすぐ見る。


 こうして見るとずいぶん大きくなった。もうアフサリーの胸くらいまでは育ったのではなかろうか。太陽を大きくなっただの成長しただのというのは不敬なことのように思うが、彼が手足を伸ばして身体を変化させているのは事実だ。それはそれでアルヤ民族にとってはありがたいことだ。


「来ていたのか」

「ご挨拶が遅くなりまことに申し訳ございません。まずは殿下にご拝謁願うべきところだったのでしょうが――」


 ソウェイルが首を横に振る。


「俺には、いつでも、会える。――でも。命日は、一年に一度、今日しかない」


 そう言われると、彼の健気な気質が見える気がしていじらしくなってくる。テイムルが夢中になってしまうのも頷ける。


「俺は、アフサリーが――十神剣のみんなが今日を気にしてくれることがうれしい」


 後ろの方から「ソウェイル?」と呼ぶ声が聞こえてきた。

 声のした方に目をやると、ユングヴィとサヴァシュがこちらへ歩み寄ってきているところだった。

 考えてみれば当然だ、ソウェイルが一人で出歩くことを許されるわけがない。護衛の白軍兵士の代わりにこの二人がソウェイルの傍についている――アルヤ王国最強の夫婦だ。


 サヴァシュが赤子を抱えている。ひとりで座れるようになったくらいの大きさの赤子だ。左手でサヴァシュの上着デールの襟をつかみ、右手は特に意味なく振っている。柔らかそうな赤毛はユングヴィと一緒だ。


 サヴァシュは昔から変わらぬチュルカ人の民族衣装だったが、ユングヴィは赤毛の上にマグナエを引っ掛け、丈の長い女性服を着ていた。最近はこちらの方が基本の服装らしい。アフサリーの中ではユングヴィはまだ男装して王都の地下を駆けずり回っている少女の頃のままなので違和感がある。だが言わないのがアルヤ紳士だ。女性が女性らしく振る舞おうとしているところに余計なことを言ってはいけない。


「おや、ホスロー」


 言いながら腕を伸ばした。


「抱かせてもらえますか」


 サヴァシュが赤子を差し出した。


「だいぶ重くなったぞ」


 受け取り、しっかりと抱き締める。赤毛に頬を寄せる。


「本当だ。大きくなりましたね」


 赤子は泣いたりせず大きな目でじっとアフサリーの顔を見つめている。まだ人見知りをしないらしい。もしかしたら人見知りをしない子かもしれない。何せユングヴィの子だ、誰にでも懐いてしまうのかもしれなかった。顔立ちも母親そっくりだ。


 終戦から数ヶ月後、ユングヴィは元気な男の子を出産した。

 どうしてもエスファーナで産みたいと言って大きなお腹を抱えてタウリスを出てきた時は誰もが心配して気が気でなかったが、当人はなんのこともなく産み月を迎え、初産のわりにはすんなりと赤子を産み落とした。赤子も五体満足の健康児で、今のところ何事もなく成長している。


 今、ユングヴィは、エスファーナの高級住宅街に買った邸宅で、この赤子とサヴァシュと三人で生活している。日中はほぼ毎日手伝いとして雇い入れた寡婦が、月に二、三日は泊まりがけでソウェイルが出入りしているそうだが、基本的には赤子を挟んでサヴァシュと二人向き合って暮らしているようだ。サヴァシュが「不動産を持ちたくねえ」と言って家を買うことに難色を示した騒動も今となっては昔の話である。


 問題はたくさんあった。けれど今振り返ると、これでよかったのかもしれない。彼女は自宅で赤子と過ごす日々を心から楽しんでいるように思う。同じ年頃の娘を持つ父親のアフサリーとしては、ユングヴィも人並みの女の幸せというものを手に入れられたような気がして、とても嬉しく思う。


 ちなみにホスローという名はソウェイルがつけたのだそうだ。サヴァシュもユングヴィもさんざん悩んだ末に一周回ってしまったそうで、生まれてからもしばらく名付けずに坊だのチビだのと呼んでいたのだ。それを見聞きしたソウェイルが一念発起したらしい。

 ホスローとはいにしえのアルヤ帝国の皇帝の名である。数々の叙事詩に謳われる伝説的な名君だ。曰く、「そこまで立派にならなくてもいいけど、みんなにしたわれるひとになってほしい」――誰よりソウェイルが一番真剣に赤子の将来を考えているように思われる。


「ぜんぜん泣きませんね。強い子ですねえ」

「まー、サヴァシュの子だからね。どんな怪物に育つのか今から楽しみだよね」


 ユングヴィがホスローと同じ顔で笑う。彼女に似てもそれなりの怪物に育つと思うが、アフサリーは紳士としてそこまでは言わなかった。


「君も大きくなったらチュルカの戦士になるのかな?」

「なってもいいようにいろいろ教えてやるつもりではいるが、別にならなくてもいい。半分はアルヤ人だし、王国生まれだからな」


 真面目に答えたサヴァシュに、アフサリーはちょっと笑った。彼が真面目に子育てをしているのがなんだか面白いのだ。しかしそれも言わない。一生懸命な若者を萎えさせるのは本意ではない。






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