第27話 和平交渉
ラームテインは心から嬉しかった。有頂天だ。高揚感を抑えるのに必死だった。うまくごまかしきれている気がしない。今頃きっと見送った女たちはラームテインの幼さを笑っていることだろう。
今はそれでもいい。この歴史的瞬間に立ち会えるのなら少しくらい嘲笑われてもいい。
かばんを強く抱き締める。中には、紙と石板、
ナーヒドの小姓のふりをして、書記の真似事をしながら黙っておとなしく控えている――ナーヒドが出した停戦交渉の場への同席を許可する条件だ。
ラームテインは一も二もなく承諾した。連れていってもらえるのなら何をさせられてもいい。歴史の動く瞬間を、この目で見て、この耳で聞くことができるのであれば、自分はどんなことでもするだろう。
ナーヒドはそんなラームテインの覚悟を汲んでくれた。言いつけどおり無言で後ろをついてくるラームテインを、振り向きもしなかったが、けして拒まずにここまで連れてきてくれた。
城の正門が開いて、今回のアルヤ征伐の総責任者だというサータム人の将軍とその供回り四人が入城する。
五人とも武装らしい武装はしていない。一応腰に
アルヤ軍側も彼らを素直に迎え入れた。城主が謁見するための大広間に招いた。
サータム軍の一同と、アルヤ軍の一同が、相対した。
「座られよ」
ナーヒドが言うと、サータム人の一同が
由緒ある誇り高きアルヤ文化がサータム帝国に認められている。
アルヤ人の一同も向かいに座った。そして同様に首を垂れた。
顔を上げ、互いの顔を見る。
アルヤ人の幹部たちが、抱えていたもの二つを、サータム人たちに向かって差し出した。
布に包まれているそれは両方とも首であった。
サータム人の将軍が、手を伸ばした。
顔を見た。
ハシムとバハルだ。
「まだまだあるが、まずご覧に入れたい大物のふたつのみこちらにご持参した。お納めくだされ」
サータム人の将軍が唸った。
「――
流暢なアルヤ語だ。
「正直に申し上げて、将軍が十人揃った時のアルヤ国を見誤り申した。蒼将軍ナーヒド、黒将軍サヴァシュ――そして紫将軍ラームテイン」
名前を呼ばれて、肩を震わせた。
サータム人の将軍と目が合った。
彼はラームテインの正体を知っているのだ。
「話には聞き及んでおり申した。これほどまで美しくあどけない少年であるとは思わなんだ。かようなことになるならば帝国はもっと早く貴殿を買い取っておくべきでござったな」
慌ててナーヒドの後ろに隠れた。ナーヒドは何も言わなかった。
「いかにしてこれほどまでの軍備を揃えたのかは存ぜぬが――」
アルヤ人たちが知らん顔をする。実は、東南の隣国ラクータ帝国の差し入れだ。ラクータ帝国はサータム帝国の覇が面白くないのだ。ナーヒドが言うなと言うのだからラームテインも同じように知らないふりをする。
「我々の側としてはこれ以上の戦闘の続行は不可能であると判断し申した。そちらの側としてもタウリスの住人を抱えての冬越えの籠城は難儀でござったろう。ここは平らかであった方が互いのためでござらぬか」
ナーヒドはその秀麗な顔で表情一つ変えずに「
「アルヤ兵の下々は
これははったりだ。見抜かれているとおりで、アルヤ軍もこれ以上続けるのは難しい。タウリス城に詰めている人間は疲弊しており、とうとう飢え死ぬ者も出てきた。山々の雪が解ければ帝国軍は援軍を送り込めるかもしれない。今日ここで決めなければ危ないのはむしろアルヤ軍側なのである。
それでも隙を見せてはならない。あくまで、サータム軍側が和平を求めてきた、という格好をとらなければならない。足元を見られて気取られてはならないのだ。
ラームテインは息を飲んだ。
斜め後ろからナーヒドの横顔を見つめた。その表情には変化がない。堂々としている。まるで何十年も軍の高官をやっているかのようだ。
どれほど時が経ったことだろうか。
「条件は」
サータム人の将軍が、折れた。
「単刀直入にお訊ねし申す。いかな状況をご用意すればアルヤ軍は武装を解除する?」
ナーヒドが息を吐いたのが分かった。それを見て、ひょっとしたら彼も緊張しているのかもしれない、と思った。だがそれは胸にしまっておく。
「我々は何も帝国からの完全離脱、独立を望んでいるわけではない」
これも本音を言えば嘘になる。アルヤ軍の中はこれを機にと独立の気運が高まっている。十神剣としてもできることならという思いはある。
だが、あくまで、できることなら、の話だ。
悔しいけれど、今ではない。
「最終的にはエスファーナの中央政府と調整していただくことになるが――今ここで我々が事前にお話しできることとして。三つ、お聞き届けくださらぬか」
サータム人の将軍が答えた。
「お聞きする」
ナーヒドの声はよく通る。
「ひとつ。議会の召集を認めること。帝国からの要請を審議し採択の可否を論ずる、アルヤ人のみで構成された議会の開会を許可すること」
サータム人の供回りが、真剣な顔でそれを紙に書き取っている。
「ふたつ。アルヤ王国の国号の復活を認めること。アルヤ属州はアルヤ王国に戻る。アルヤ王国の主権はアルヤ王にある。アルヤ王国が帝国に背くことはなく、アルヤ王は皇帝に臣従するが、アルヤ王国はアルヤ王のものであることを認可すること」
そこで、ラームテインは拳を握り締めた。
「みっつ。――ウマル総督は、アルヤ王家の二人の王子を争わせ、生き残った方をアルヤ王として認める、と約した。これを撤回して、王子たちが並び立つこともあり得ることを認め、後援していただきたい」
しばらくの間、沈黙で空気が滞った。場を緊張が支配した。誰もが硬直し、互いに次の反応を待ち続けた。
サータム人の将軍が、口を開いた。
「即答はできかね申す」
一瞬緊張はさらに高まったが――
「しかし、神は無益な争いを望まぬであろう」
次の時、アルヤ人側に安堵が広がった。
「必ずや皇帝陛下に奏上する。それでアルヤ人の皆が平らかになるとおおせならばきっとむげにはせぬであろう。議会と国号についてはおそらくお認めになる」
「さようか」
「アルヤ王国はかつて大陸に名だたる大国であった、皇帝陛下は何としてでも手離しとうないとおおせだ。それで
今の自分たちが収めるべき勝利に手が届いた。
拳を握り締めた。
ところが、「ただ」と続いた。
「王子の件に関しては。アルヤ王国のためにならぬ」
ラームテインは、目を、丸くした。
「皇帝陛下がまことのアルヤの友であればこそ」
アルヤ人たちは何も言えなかった。
「サータム帝国は皇子たちが殺し合うところを見てき申した。幾度も、幾度も。必ず争いの火種になり申す。かつて殺すのは忍びないと言った皇帝もあり申した。その皇帝は皇帝にならぬ者を幽閉し外界と隔絶させることで何とか争いを収め申した。しかし幽閉された皇子は精神を病み、酒色に溺れ、惨めに死んでいき申した」
唾を、飲む。
「さように無様な苦しみを味わうくらいであれば、ひと思いに死なせてやるのが優しさである、と今の皇帝陛下はおおせにござる」
ここにいるのはいずれも蒼軍の幹部たちだ。つまりエスファーナ陥落以来三年フェイフューを見守ってきた者たちである。
誰もが頭の中で宮中のいずこかに監禁され自我を失っていくフェイフューを思い描いたことだろう。
そんな空気を察してか、サータム人の将軍は「強制せぬとお約束することは叶うと存ずるが」と続けた。
「王子たちご本人がたがいかなる将来をご選択なさるか次第だ」
ナーヒドが答えた。
「ご本人がたが決められたとおりになると言っていただくのであれば」
信じるしか、ない。
「王子たちご自身らの、御心のままに、選ばれることを。ただ、見守っていただけるので、あれば。あとは、我々アルヤ人が、自ら、お二人の行く末を考えさせていただくゆえ」
ラームテインは、頷いた。
「アルヤ王の未来は、アルヤ王国で決める。――それを、ただ、受け入れていただけるのであれば。恐悦至極に存ずる」
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