第22話 戦場のド真ん中で接吻《キス》
荒廃した街に太陽の光が差す。
打ち捨てられた住宅の二階、窓からはみ出た布が山へ吹き上げる風と戯れながら蒼い空を舞い踊る。
タウリスは三重の城壁で守られている。第一の城壁はタウリス城の周囲を、第二の城壁はタウリスの古い市街地を、第三の城壁は農耕地を含めたタウリスという行政区画の外側を覆っている。
タウリス城の正門、第一の城壁と第二の城壁をつなぐ城下最大の通りに立つ。
平時は大陸の東西から来た商人たちが埋め尽くしている通りだ。
今はアルヤ軍の兵士たちが埋め尽くしている。
揃いの黒い革鎧をまとったチュルカ人騎兵たちが、城から見て向こう側に並んでいる。
手前側には、腕に揃いの赤い布を巻いた青年たちが並んでいる。
赤軍兵士側にいるのは、赤軍の指揮官として残るバハル、非戦闘員として留守番をするエルナーズ、ラームテイン、ベルカナ、そしてユングヴィだ。
対する黒軍兵士側では、これから旅立つサヴァシュとナーヒドが見送りを受けている。
荒れ果てた城下町の通りを眺めて、エルナーズが、呟いた。
「この都はあと何回こういう目に遭えばいいのかしらね」
彼はこの前ウルミーヤで放り出されて以来何事に対しても悲観的だ。
「また、灰になる」
隣にいたベルカナが、「大丈夫、大丈夫よ」と苦笑しながら彼の腰を抱いた。
「今度こそナーヒドとサヴァシュが守ってくれるわよ。ねえ、そうでしょう?」
「当たり前だ」
そう答えたのはナーヒドだ。
「タウリスが陥落すれば次はエスファーナだ、もう二度とエスファーナを蹂躙させない」
エルナーズが顔をしかめる。普段は何を言われても涼しげに振る舞う彼には似つかわしくない。今は負の感情を素直に出してしまうほど余裕がないらしい。
「あんたがエスファーナ生まれエスファーナ育ちなのと同じように、タウリス生まれタウリス育ちの人間もいるのよ」
「何を言いたいのか分からん。はっきり言え」
「あんたがエスファーナを焼かれたくないのと同じくらい俺もタウリスを焼かれたくない」
「馬鹿が」
ナーヒドも顔をしかめた。少し大袈裟なくらい大きく息を吐いた。
「タウリスはいにしえのアルヤ帝国の都だ。由緒正しき、歴史と伝統のある、エスファーナよりも古い街だぞ。タウリスの歴史はアルヤ民族の誇りだ。その街を焼いたり焼かれたりして本当に平気だと思っているのか」
エルナーズが顔をくしゃくしゃにした。すぐさま隠すようにうつむいた。その頭を、ベルカナが撫でた。
「肉を切らせて骨を断つ。――これが、最後だ」
そこで、ユングヴィは一歩前に出た。
笑顔を作った。
見送られるひとびとが後方を心配しないように、何の憂いもなく戦えるように――今のユングヴィにできる最大限のことだ。
「待ってるね」
視線が集中した。けれどユングヴィはもう恐ろしいとは思わなかった。注目されることを恐れ縮こまりうつむいていた日々は遠い過去になった。今のユングヴィは、赤軍兵士たちの女神で、黒将軍サヴァシュの妻で、十神剣の一人なのだ。
「こっちのことは任せて。タウリス城は、大丈夫。私たちが守る」
「たち、って言ったわね」
ベルカナが笑った。
「そう、あたしたちが守るわ。タウリス城に残るみんなで、お互いに庇い合う――みんながみんなを守るから。だからあんたたちは、現時点でやるって決まってることだけに専念なさい」
サヴァシュとナーヒドが頷いた。
「待ってろ」
サヴァシュの言葉に、ユングヴィも頷いた。
恐れることは、何もない。笑って、胸を張っていればいい。
「行くぞ」
ナーヒドがきびすを返した。サヴァシュもそんなナーヒドを目で追って、一度は後ろを向いた。
すぐまたこちらを向き直った。
「おい、ちょっとこっち来い」
サヴァシュは具体的に誰とは言わなかったが目が合ったので、ユングヴィは「私?」と呟きながらさらに一歩前に出た。
二の腕をつかまれた。
強引にサヴァシュの方へ引かれた。
顔と顔とが近づいた。
唇と唇が、重なった。
場が静まり返った。誰もが黙ってこちらを見つめていた。
ユングヴィは何もしなかった。抵抗せずに応えた。ただし頭が真っ白になって抵抗するということが思いつかないだけだ。受け入れようと思って受け入れているわけではない。
みんなが、見ている。
考えたくない。
だがサヴァシュは遠慮なくユングヴィの唇を貪って、下唇を軽くひと舐めして、ふと笑いに伴って吐き出された息を吹きかけた。
「エスファーナ帰ったら子供が生まれるまでの間に俺とやること一覧表でも作っておけ」
「――ん、ん?」
「いろいろとあるだろ、引っ越しするとか、寺に誓約書出しに行くとか。この国ではどうやるんだ?」
誰かが指笛を吹いた。
それを皮切りに歓声が上がった。
ユングヴィは頬が熱くなるのを感じた。
アルヤ軍のみんなが見ている前なのだ。
突き飛ばしてやろうかと思った。だが、彼はこれから戦争に行くのである。万全の状態で臨んでもらわないとならない。おだてて、調子に乗らせて、うまく働かせるのが妻の役目だ――そう自分に言い聞かせて、ユングヴィは何とか文句を呑み込んだ。
むしろ――みんなの前で口づけをしたことが、何かの儀式のようにも思われた。
「縁起でもないことしないでよ。これじゃあお別れの挨拶みたいじゃないか」
なじると、彼は平然とした顔で答えた。
「俺の留守中に誰か他の奴がちょっかい出さないようにみんなに見せつけてやったんだろ。こいつに何かしたら、帰ってきてから酷い目に遭わせてやる、の意」
耳まで熱くなった。
なるほど、と思った。全員が揃っている今こそ、みんなに自分たちの関係を知らしめなければならないのだ。
それに――前回の戦闘のあと、怪我をして帰ってきたサヴァシュが、口づけを欲しがっていたのを思い出した。
勇気を振り絞った。
今度はユングヴィがサヴァシュの腕をつかんだ。
サヴァシュの唇に、唇を押しつけた。
あまりにも照れ臭かったので、本当にわずかな間だけの、触れるだけの口づけだったが――
「めちゃくちゃやる気出た」
サヴァシュがそう言ったので、ユングヴィは心の中で自分を褒めた。
「よし、いってらっしゃい」
「おう、いってきます」
手が、離れる。
けれど怖くはない。
「帰ってきたら、続きをす――」
突然サヴァシュが「いってぇな」と呟いてうつむいた。見るとナーヒドが後ろからサヴァシュの後頭部をはたいていた。
「馬鹿が」
「相変わらず人情の分からない奴だな」
「引っ越しや婚姻誓約書の前に結婚式、が常識だ」
それだけ言い捨てて馬にまたがったナーヒドを、サヴァシュは笑いながら「そうだ、それだ」と言って追い掛けた。
「じゃ、またあとでな」
ユングヴィも笑って手を振った。
「うん、またあとで!」
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