第20話 祈りは届く?

 夢を見ているかのようだった。


 サヴァシュとナーヒドが並んで立って、普通に会話をしている。


 ユングヴィは、卓を挟んで二人とは反対側の床、座布団の上に座って、膝掛けで腹まで覆った状態でその様子を眺めていた。

 ただただ微笑んで二人を見守っていた。

 嬉しくてたまらない。

 みんなに仲良くしてほしいというユングヴィの心の奥底から出た祈りが太陽に聞き届けられたのだ。


 ナーヒドが丸めて筒状にした大きな紙を持ってきた。

 卓の上に広げる。サヴァシュと二人で覗き込む。

 二人で、だ。

 これで戦争は勝ったも同然だ。ユングヴィはもう何にも心配しなくてよくなった。

 もう、何にも、怖くない。


「――何だこれは」


 サヴァシュもナーヒドも眉間にしわを寄せた。ユングヴィも腰を浮かせて紙面を見てみた。


 絵図が描かれている。おそらくタウリスの地図だろう。ユングヴィから見て右端にある四角形で表現されたものがタウリス城で、真ん中から左側に広がっている部分が市街地だ。

 朱墨の線があちこちに引かれている。その線に沿って文字も細かく書き込まれている。


「ラームの字だ。いつ書き込んだのだろう」

「先回りしやがったのかあのガキ」

「ふむ……、話し合うべきことはもうほぼすべて書いてあるように見受けられるな」

「道理でおとなしく引き下がったわけだ」


 夕食のあと、エルナーズが心配だと言ってしおらしい顔で自ら離れていったラームテインの姿を思い出した。あの時にはすでにこの図は完成していたとみた。


「他にこの版の地図はない」


 代わりのない紙に消せない墨で直接書き込むとは――あの美しい少年は時として手段を選ばない。


「ここまでされては無視できん」


 サヴァシュの顔を見つつ、「だが俺もこの作戦は有用であるように思う」と言う。


「黒軍が、ここから、こうだ。こうして――」


 ナーヒドの長い指の先が朱墨の線をなぞった。


「蒼軍と空軍がこことここで、黒軍がここに来た時に、こう――と動かしたいらしい」

「まあ……、タウリスの地理を考えたら、アリだな」

「先月までに赤軍が工作したことやタウリスの一般市民がすでにほとんど避難していることを考えても、実行可能な、すでにほぼ準備ができている作戦であると言える」


 村を焼いて回った日々を思い出す。ラームテインはあの頃にはもうこの作戦を考えていたのだろうか。末恐ろしい少年だ。


「でもこの作戦、黒軍が蒼軍にとって都合よく立ち回ることが大前提になっていないか? まあ、今となってはむしろそうしたいところだが――あのガキこれをいつ考えたんだ」


 ナーヒドが地図を裏返す。そこにも朱墨で伝言が書かれている。


「『黒将軍サヴァシュ殿。心より信頼し申し上げます。紫将軍ラームテイン』。……なぜサヴァシュであって俺ではない?」

「くそったれ。覚えてろよ。あのガキいつか絶対泣かせてやるからな」


 ユングヴィは思わず笑ってしまった。


 その時ふと、何か違和感のようなものを覚えた。

 両手で腹部を押さえる。

 また、だ。

 ここ数日、腹の中で、何かが跳ねている。ぷくぷくと、ぽこぽこと、泡が立っては割れるような何かを感じる。

 ひょっとして、もしかしたら、いやおそらく、きっと――


「今お腹の中で赤ちゃん動いた」


 サヴァシュもナーヒドも「えっ」と言って動きを止めた。


 サヴァシュが小走りで卓を回って歩み寄ってくる。ユングヴィの目の前にしゃがみ込む。ユングヴィの腹を押さえるように撫でる。ユングヴィは「いやまだ私にも分かるか分からないかくらいだから」と苦笑した。


「おい、こちらを放り出すな、仕事をしろ」

「すまん、今何もかもが吹っ飛んだ。今日はもう終わりにする、今日のこれからの時間は子供の名前を考えるために使うことにする」

「貴様いい加減にしろ! 何もかも俺が決めて後から命令するぞ!?」

「それでいい、ラームの図で大雑把なことはもう分かった、異存なし、あとの細かいところは決まったら教えてくれ」

「ふざけるな! これだから貴様は嫌なんだ!」


 ユングヴィは呆れながらサヴァシュの耳元で囁いた。


「ちょっと、サヴァシュ、仕事して」


 ナーヒドが「貴様のせいだぞユングヴィ」と怒鳴った。


「貴様が赤子がどうとか言い出すから! 邪魔をするなら出ていけ!」

「ひええ、すみません! 失礼しました! 退出します!」

「いや待て行くな、赤軍への指示も書いてある、貴様にも作戦を把握させておかねばならん」

「どっち!? 私どうしたらいい!?」


 サヴァシュが地図に戻る。


「赤軍を動かすのにこいつを使うのか」


 ナーヒドがサヴァシュを見つめる。


「このまま奴に預けておくわけにはいかんだろう。表向きは奴の指示に従うよう言っておいて、いざという時の号令をユングヴィにやらせる。そうすれば俺と貴様は戦場でのことに専念できる」

「こいつを長時間外に立たせておけない」

「そこはラームも考慮しているようだな。赤軍は、基本的には、ここで、こうで、こういう仕事だ。ユングヴィが城から動く必要はない。副長など赤軍の幹部にだけ命令が伝わるようあらかじめ合図を決めておけばよかろう」


 ユングヴィも立ち上がった。地図を覗き込み、ナーヒドの指先を見た。


「おお……読める……私にも読めるぞ……! 本当に赤軍に関係がある、赤軍で普段使ってる用語が書かれている……!」

「まあ、そういうことだ」


 ナーヒドに「できるか」と問われた。


「身体に負担がかかる行動をとることはなかろうが、作戦に直接影響の及ぶことだ、緊張は強いられるだろう。それでも貴様が自分でやるか? ベルカナやラーム、あるいはエルでもいい、誰かに代理をさせることも可能だぞ」


 ユングヴィは自信をもって大きく頷いた。


「こういうことなら大丈夫、ばっちりだよ! 赤軍のことは私に任せて!」





 戸を開けると、卓に突っ伏している肩が見えた。卓の上にいくつもの酒瓶が転がっている。


 ベルカナは苦笑した。

 自分の肩掛けをとった。無言で彼の肩にかけた。


 肩掛けが体に触れてからようやくベルカナに気がついたらしい、バハルが顔を上げた。


「ちょっと飲み過ぎなんでないの。体を壊すわよ」


 バハルは「はは」とわざとらしく笑った。


「エルは?」

「ちょっとずつ口数が増えてきたからきっと大丈夫。それにあのコはひとりの時間も必要な子だから。念のために続きの間にラームを置いてきたけど、ラームは空気の読める子だからあえて話し掛けることはしないでしょうね」

「そっか」


 大きく伸びをする。

 その隣に、ベルカナが腰を下ろす。


「あんたもいろいろ溜め込んでそうね。おねーさんでよければ何でも聞いてあげるわよ」


 目を細めて、厚くて官能的な唇を尖らせる。


「今なら二人きり。ナイショ話にしたげる」


 バハルは首を横に振った。


「まーでも、俺も分かってんのよ」

「何がよ」

「十神剣ってやつはさ、なんだかんだ言ってみんなお人よしなんだわ。ベルカナとユングヴィはもちろん、エルやサヴァシュも、あのナーヒドやラームだって、みんなの反応を見て動いてる。すれ違ったり言い合ったり、まあ過去には殴り合ったりなんかもしたけど、みんなみんな、誰かを傷つけてやりたくて行動することはないんだよなあ」


 ベルカナは「そーね」と頷いた。


「こんなんでさあ、誰を恨めってんだよ。誰を切り捨てて、誰をやっつけて、誰を懲らしめろ、ってんだ。とか、俺は思っちゃうわけ」


 そして、遠くを見る。


「俺、そういう自分の感覚、間違ってないんじゃないか、って思う。そんでもって、間違ってるって思えたら、きっともっと楽だったんだろうな、とかさ」


 ベルカナの白い手が伸びた。


「そのとおりよ。あんたの言うとおり。十神剣はみんないいコよ、あたしが保証する。でも――」


 バハルの乱れた髪を撫でた。


「一番の気ぃ使いはあんたよ。一番気が優しくて、一番自分をすり減らして四方八方の顔色窺ってんのはあんた。だからあたしは今一番あんたの心配をしてるの」


 バハルはまた、首を横に振った。


「あんた、いい女だな」

「ありがと」


 細く長い腕を伸ばして、バハルの肩を抱いた。


「楽になっちゃいなさい。今ならあたしが受け止めたげるわ」


 けれどバハルは苦笑するだけでそれ以上何も言わなかった。







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