第18話 なんだかんだ言って元気です

 ユングヴィは、深く、大きく息を吸った。

 奥底からすべて出すつもりで、吐いた。

 視線を下に落とした。

 ユングヴィの腿を枕にして、そっぽを向く形で、サヴァシュがふて寝をしている。

 どこから手をつけよう。

 とりあえず、サヴァシュの頭を撫でた。

 そんなユングヴィの手に反応したつもりか、サヴァシュの手がユングヴィの膝をつかんだ。

 それだけだ。

 何も言わない。こちらも向かない。

 もうどれくらいこうして過ごしていることだろう。

 ユングヴィは、また、溜息をついた。

「……痛む?」

「別に」

 傷がつらいわけではないらしい。ということは単に気分の問題か。

 サヴァシュの機嫌が悪い。

 もともと口数の多い男ではない。話し掛けると減らず口を利くが、本来は率先して喋る人間ではないのだ。したがってサヴァシュが沈黙していることはユングヴィにとってさほど厄介なことではない。

 彼は気分が激しく上下する人間ではない。特別大はしゃぎをするということもなければ、泣いたり怒ったりすることもない。いつも落ち着いていて、ユングヴィの前で感情の揺れ動きを見せることはなかった。

 サヴァシュがユングヴィに負の感情をぶつけてきたことなどいまだかつてなかったのだ。

 それが、今は、このとおりである。

 怒鳴ったり手を上げたりするわけでもない。だが、機嫌が悪いということはそれだけで周囲の人間への暴力になりうる。

 ユングヴィも、落ち着かない。

「体調悪いなら、言ってね」

 帰ってきた時のサヴァシュは血みどろだった。特にこめかみからの出血が激しく、顔が血まみれで、出迎えたユングヴィは震え上がった。

 医者の見立てでは大した傷ではないらしい。こめかみと左肩の傷は多少深かったようだが、あとは全部かすり傷だ。

 聞いた時は一度胸を撫で下ろした。あの乱戦の中よくこの程度で帰ってきたものだと喜んだ。

 しかし――あのサヴァシュが怪我をして帰ってきた。

 当人は何も語らない。武勇伝どころか、事務的な連絡事項でさえ話してくれない。戦場で何があったのか、一切、教えてくれない。

「この程度でどうこうなるかよ。怪我の範疇にも入らねぇ」

 ふだんから口の悪い男だが、今日はいつもよりとげがある気がする。

 それでも、ユングヴィはあえて笑顔を作って明るい声を出した。

「そうだね、サヴァシュはうんと強いからこの程度じゃどうってことないね。元気、元気ー!」

 あやしてやったつもりだったが、サヴァシュは「は?」と不愉快そうな声を出した。

「めちゃくちゃ痛い。我慢できない。もうだめだ、俺はもうまったく頑張れない」

「え、つい数秒前に言ったことと違うんですけど」

「あーもう無理、無理無理。もっといたわれ、もっとお前に優しくされないと元気にならない。そうだ、舐めろ。お前、俺の傷、舐めろ」

「どうこうなれ」

 サヴァシュの頭をはたいた。

 だが、こういう憎まれ口を叩くということは、不機嫌の頂点は超えているということだろう。ユングヴィはほっとした。

「俺のこと心配しろよ……」

 そのぼやきが真剣なように聞こえて、ついつい笑ってしまう。

「サヴァシュのことは心配しないよ」

「さすがに冷たすぎないか?」

「だって、サヴァシュなら絶対大丈夫って、信じてるから。ソウェイルだったらどこでどうなっちゃうか分かんないからすごい心配するけど、サヴァシュだったら、今回みたいに、ちゃんと帰ってきてくれるでしょ。分かってるから安心なんだよ」

 サヴァシュの手が、ユングヴィの膝を撫でる。少しは機嫌を良くしてくれたのだろうか。

「でも、俺はちゅーぐらいしてもらってもいいんじゃないのか……」

「あんた実はめっちゃ元気なんじゃない? 起きたら?」

 言いつつ、それくらいはしてやってもいいような気もしてくるから、悩む。

 エルナーズの様子を思い出した。血まみれの砂まみれで、顔面蒼白だった。一言も発しなかった。彼はいったいどんな地獄を見てきたのだろう。

 その地獄から、サヴァシュは、エルナーズを救い出してきた。

「ありがとう」

 サヴァシュの頬に、手の平を押し付けた。

「今回もまた、サヴァシュが戦ってくれたおかげで助かった命、たくさんあったね」

 アルヤ軍は敗北した。空軍も黒軍もぼろぼろだ。ウルミーヤ湖は奪われ、戦線はタウリスの街を包む外側の城壁まで後退した。

 それでも、サヴァシュは五体満足で、エルナーズまで連れて帰ってきてくれた。

 もういい、と言いたかった。もう頑張らなくていい。もっと言えば、もう最強でなくていい。勝てなくてもいいのだ。たとえ負けてもこうして生きて帰ってきてくれるならユングヴィはそれでいい。

 サヴァシュにとっては違うのだろう。本質的には負けず嫌いで、誇りや意地といった言葉が好きなサヴァシュだ。サヴァシュがナーヒド以外の人間とはあまり衝突しないのは、圧倒的な強さから生まれる余裕をもって譲歩しているからだ。その余裕を奪われたらきっと悔しいだろう。そういう気持ちをユングヴィが軽々しく肯定するのは違うと思った。

 サヴァシュを傷つけたくなかった。そう簡単に傷つく男ではないが、彼の気持ちを汲める、空気の読める女でありたいと思った。

 今度は、サヴァシュの左の二の腕を撫でる。肩に触れたら傷に障るかもしれない。優しく、優しく、壊れ物を扱うように腕を撫で続けた。

 戸を叩く音がした。ユングヴィは顔を上げ、「誰?」と問い掛けた。

「ラームテインです」

 ユングヴィが次の言葉を発する前に、サヴァシュが「入れ」と言った。そのままの体勢で、だ。

「えっ、ちょっと待――」

 戸が開けられる。ラームテインの大きな目がこぼれ落ちそうなほど丸くなる。

「……お取り込み中すみませんが……僕も多少急ぎの用事なのであまり遠慮をしたくはないんですよ……ね……」

「わーっ、わっ、わーっ!? そうだねちょっと待ってねっ、ほらサヴァシュ、起きて、しっかりしてっ」

「別に取り込んでない。遠慮するな」

「私が遠慮するわバカっ!」

 サヴァシュがようやく起き上がった。けれど彼はなぜかユングヴィの背後に回った。ユングヴィのすぐ後ろに膝をつき、ユングヴィの鎖骨の辺りに腕を回す。体が密着する。

 ラームテインがその秀麗な顔を歪めてあからさまに嫌悪感を示した。

 ユングヴィには何もできなかった。「ごめんね、ごめんね……」と呟きながらラームテインの次の反応を待った。

 後ろ手に戸を閉め、ユングヴィとサヴァシュの正面にやってきて座る。

「戦闘が始まる前に少し無理をしてでもお話しするべきでした。これ以上先延ばしにできません。真剣に聞いてくださいますか」

 戦闘が始まる直前、城の屋上で戦線を見ながらラームテインと話をしたことを思い出した。

 あの時、彼は、大事なことをみんなに説明できなかった、と言っていた。

 その件について今から話す気なのだ。

 ユングヴィは居住まいを正した。

「最初にお願いしておきます。僕がこの話をしたことについて、他の誰とも話さないでください。副長とも、他の将軍とも、です。ナーヒドとベルカナ、それからエルにはすでに話をしているので、知っています。それでも外では誰が聞いているか分からないものとして、この件についておおっぴらに話さないでください」

 サヴァシュもまた、ユングヴィから上半身を離した。腕を解きまではしてくれなかったが、話を聞く姿勢にはなったようだ。

 ラームテインの瞳が、まっすぐこちらを見ている。その目には嘘偽りがあるようではない。彼は彼なりの信念をもって今ここにいるというのが伝わってくる。

 拳を握り締めた。

「バハルに注意してください」

 予想外の人物の名前が出てきた。思わず眉をひそめた。

「バハルに? どういう……?」

「バハルはおそらくサータム帝国の間者です。彼はアルヤ軍の情報を帝国軍に流しています」

 ユングヴィは、目を、丸くした。

「エルが戦場にいることも、黒軍が単独で動くことも、帝国軍は知っていました。これはアルヤ軍の中枢にいる人間でなければ知り得ないことです。また、この戦いの中で赤軍は動かなかった。バハルがナーヒドやサヴァシュと赤軍の副長との間で指示を握り潰したからだと思います」

 ラームテインの言うことには不自然さがない。

「もっと言えば、赤軍がウルミーヤに火をつけたことを知っていたのもバハルが密告したからでしょうし、エルが爆弾で吹っ飛ばされたのもバハルがすぐ傍で仕掛けたからでしょうし、もしかしたらウマル総督を殺したのもバハルかもしれません」

 すべての事件のつじつまが合う。

 だが――首を横に振った。

「バハルはそんな奴じゃないよ」

 誰よりも朗らかで、誰よりも優しくて、

「バハルは味方を敵に売る奴じゃ――」

 バハルは、ユングヴィのことを、アルヤ人の女の子が、と言っていた。

 まるでバハルがアルヤ人ではないかのようだ。

 もしもバハルがサータム人だったらしっくりくる。

「ナーヒドとベルカナの証言ですが」

 ラームテインは顔色一つ変えずに続ける。

「バハルの実家の正確な場所、誰も知らないんだそうです。バハルが定期的に実家の親御さんへ宛てて書いているという手紙、その伝書鳩が行き着く先を、誰も知らないんですよ」

「クロだな」

 サヴァシュが言った。彼も、いつもどおりの冷静な顔だった。

「どいつもこいつもバハルを信用して何でも喋っていた。軍議でも、宴会でも。十神剣のことでバハルに知らないことなんかない」

 混乱して泣きそうなユングヴィを挟んで、ラームテインとサヴァシュが会話を続ける。

「何とかしてバハルを騙し返しましょう。僕ら他の十神剣で口裏を合わせて、バハルの裏をかいて帝国軍を攪乱しましょう。そのために何も気づいていないふりをしていただきたい」

「策はあるのか」

「今考えているところです。僕ではバハルとの付き合いが短いのでどうしたら欺けるか思いつきません、皆さんに少しずつ情報をいただいて何とか知恵を絞っているところなんです」

 次の時だ。

 サヴァシュが突然立ち上がった。

「俺に一個だけ案がある」

 ユングヴィもラームテインも、きょとんとした目でサヴァシュを見上げた。

 サヴァシュは無表情だった。いつものサヴァシュだ。いつもの、ひょうひょうとした、何事にも動じない、サヴァシュだった。

「確実にバハルの裏をかける方法。俺にはひとつだけ、ある」

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