第17話 ウルミーヤの会戦 3

 サータム語の叫び声が上がった。歓声だ。銃弾がサヴァシュにかすったことを喜んでいる。

 サヴァシュはとっさに左手で手綱を引いた。サヴァシュの馬は落ち着いてそれに従った。

 そうこうしているうちに、隙を狙っていたらしい青年の剣がサヴァシュの神剣を押し退けた。

『――最強の名が欲しかったのでは?』

 距離を開け、間合いを取ってから投げ掛ける。青年が余裕のない笑みを見せる。

『貴様だったら勝ち目のない戦をしたいと思うか? 俺はどんな手段を使ってでも勝ちたい』

 この男は最初から自分が窮地に陥った時は他人の手を借りるつもりでサヴァシュに挑んだのだ。

 だが悪いことではない。必ず勝ちに行く、これもチュルカの戦士の美徳だ。ましてたくさんの部下を率いている身で死ぬことは許されない。

 まことの戦士とはすべての命を背負って立ち続ける者のことをいうのだ。

『光栄だ』

 サヴァシュは笑った。

『つまり貴様は、自分一人では俺を倒せないとふんで支度をしていたわけだな』

 青年が『生き残った方が最強だ』と叫んだ。『その心意気は買った』とサヴァシュは叫び返した。

『とはいえ』

 馬の鼻を取って返す。

『俺も命が惜しい』

 神剣を鞘に納めた。青年から顔を背けて、並ぶ銃口の方を睨みながらアルヤ軍の本陣の方を向いた。

『逃げる気か』

『最強の名など欲しければくれてやる。俺にはもっと大事なものがある』

 腰に下げていた革袋から弓をとった。矢筒から矢を取り出してつがえた。この作業の速度にサータム兵の銃の支度は間に合わない。サヴァシュが放った矢は正確にある兵士の眉間を射抜いた。

 追いすがる青年に背を向けた。

 次の一矢を用意して立ちふさがっている兵を射た。サヴァシュの強弓から放たれた矢は兵の首を吹っ飛ばした。

 斜め前からも別の矢が飛んできた。

『隊長!!』

 駆けてくる兵士がある。黒衣は黒軍兵士の証だ。

『副長から火急の報せが!』

『どうした』

 馬の鼻先を並べながら走る。兵士も次々と矢を放ちながら訴えるように叫ぶ。

『空軍が総崩れとのよし!』

 彼は『やられました!』と悲痛な声を上げた。

『隊長が出ていった直後の話です』

 帝国軍はおそらく黒軍を、ひいてはサヴァシュをここに引きつけておくのが目的だったのだろう――それを察してサヴァシュも眉間にしわを寄せた。副長を置いてきたのは正解だったのだ。

『副長が向かっています』

『立て直せそうか』

『無理そうです。空軍の士気が下がっていてどうにもなりません』

『どうしてまたこんな急激に』

『エルナーズ将軍が行方不明で』

 顔をしかめる。

『最悪だな』

『どうします?』

 『どうもこうもない』と溜息をついた。

『俺はエルナーズを捜す。空軍に、諦めるな、黒軍が最後まで補佐する、と伝えてやれ』

 チュルカ人の兵士が苦笑した。

『うちはまたアルヤ人どもの尻拭いですか』

 サヴァシュは頷いた。

『ごめんな』


 エルナーズは何もしなくていいと聞かされていた。むしろ余計なことはするなと、軍神として黙って見守っているようにと言われていた。それだけですべて片がつくのなら一度くらいはいいと了承した。何もしなくてもいるだけで喜んでくれるというならたまには役に立ってもいいかと思ったのだ。

 戦場でもっとも安全な場所に座っていればすべて終わるはずだった。

 ナーヒドを含む蒼軍の将校たちが出ていったあとの本陣を、敵兵が急襲した。

 なぜここを本陣と見破ったのか。

 なぜナーヒドが出ていく時機を把握していたのか。

 なぜエルナーズがいることを知っていたのか。

 アルヤ軍の特定の層しか知らないはずのことだ。

 分からなかった。

 しかし考えている暇はない。

 空軍の将校たちはエルナーズを連れ出そうとした。タウリス城に引き返して避難させようとした。

 ある兵士がエルナーズたちを先導した。

 その兵士がタウリス城に向かっていないことに気づいたのは戦場の真ん中に放り出されてからのことだ。

 伴ってきた幹部たちは銃弾の雨を浴びてたおれた。

 混乱した馬がエルナーズを振り落とした。地面に叩きつけられ痛みと目眩に顔をしかめた。

 体を起こそうとする。土に手を置く。

 そのすぐ傍には先ほどまで護衛をしていた空軍幹部の男の亡骸なきがらが転がっている。

 血と土と硝煙の臭いがする。

 突如視界が暗くなった。何かと思えば騎手を失い胴を傷つけられた馬が荒れ狂い突進してきている。下から見上げる馬は巨大で神話に出てくる怪物を思わせられた。

 潰される。

 体を伏せた。死体のすぐ傍に突っ伏した。

 何も起こらなかった。いななきとひづめの音はエルナーズの上を通過して去っていった。エルナーズを跳び越えどこかあらぬ方角へ駆け抜けていったのだ。

 踏みつけられずに済んだ。助かった。

 否、助かってなどいない。同時に移動手段も失ってしまった。

 顔を起こす。

 サータム兵士たちが剣を抜いて突撃してくる。

 頭に浮かんだのは、ただ、死、だけだった。

 何も考えられない。体が動かない。声も出ない。

 これで終わりだ。

 目を閉じることもできない。

 あと数歩で切っ先が届く――というところで、空気を裂く音が聞こえてきた。

 エルナーズには最初何の音か分からなかった。

 走って向かってきていたはずのサータム兵が一人、また一人と前に倒れていった。

 その背に矢が生えている。

 矢だ。誰かが矢を放った。

 次の時十数本の矢が一斉に兵士たちの背中に降り注いだ。サータム兵たちがことごとく転がった。

 黒い軍馬に乗った数名がサータム兵たちのむくろを踏みつけた。

 先頭を来た黒い甲冑の男が叫んだ。

「エル! 立て!」

 混乱した頭の中にもその命令は響いた。ただ立てばいいだけなら今のエルナーズにもできる。

 立ち上がったちょうどその時エルナーズに辿り着いた男がエルナーズに腕を伸ばした。

 脇の下に腕を突っ込んで片腕で抱え上げた。

 体が宙に浮いた。

 直後男の胸に抱き寄せられる形で馬の上に引き上げられた。

「重い!」

 サヴァシュだ。

 助かった。

 サヴァシュの胸に縋りついた。こらえきれなくて声を上げて泣いた。

 サヴァシュはそんなエルナーズには何も言わなかった。

 後方についてくる部下たちにチュルカ語で何か指示を出した。エルナーズにはチュルカ語が分からないが、とにかく全員前進を続けている、止まって戦闘を展開する気はないらしい。

 少ししてから話し掛けられた。

「足を開いてまたがって座れ」

 耳元でそう告げる声は落ち着いている。

「このまま城まで一気に帰る。ケツが痛くなるだろうが我慢しろ」

 無言で頷いた。

 走り続ける馬の背のことなので多少動きにくいもののサヴァシュの右手がしっかりと腹を押さえてくれている、振り落とされる不安はない。サヴァシュの左肩をつかみ力の入れ加減を調整しながら座り直した。

 正面を向き、馬のたてがみに触れようとしたところで、ようやく気づいた。

 サヴァシュの左肩をつかんだ手が、血液でべったりと濡れている。

「あんた怪我してんの」

 サヴァシュは答えなかった。

「いいから前向いてじっとしてろ。今度落ちたらもう拾わないからな」

 「全速力で突っ切るぞ」と言う声はなおも平常心のように聞こえたが、

「――いけるの?」

 辺りを見回した。

 いつの間にか、銃を構えたサータム兵が前方にずらりと並んでいた。

「あー」

 サヴァシュは肯定とも否定ともつかない曖昧な返事をした。エルナーズは背に冷たいものが流れるのを感じた。

「まあ、想定の範囲内だ」

 待ち構えられている。

「ど……っ、どうし――」

「どうしようもない。黙って俺に任せろ」

 「何とかなる」と彼は言う。

「本当に?」

「そうだな、さすがにこの状況はな、生きて帰れたらご褒美にお礼の接吻キスぐらい欲しいが、お前は男で俺のお姫様じゃないからな……」

 馬の腹を蹴る。さらに速度が上がる。

 兵士たちが引き金に指をかける。

 風に紛れて火薬の臭いがする。

「絶対に生きて帰す」

 風の音に掻き消されぬ距離で囁く。

「お前が死んだらあいつが泣く」

 エルナーズは少しだけ笑った。

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