第16話 ウルミーヤの会戦 2

 春の近づく薄ら蒼い空に二種の軍旗がはためく。

 ウルミーヤ湖を背に南北へ陣取るは四万の大軍、蒼地に黄金の太陽の輝くアルヤ軍だ。歩兵は三万に騎兵が一万である。北では蒼色の三角旗が、南では同じく空色の三角旗が、太陽の紋章を守るがごとく囲んでいる。中央には荒ぶる軍人奴隷ゴラームの騎馬武者が五千、揃いの黒衣に身を包んで待機していた。

 対するはあか地に銀白の三日月の輝くサータム帝国軍、斥候の見立てによればその数三万に及ばない。雪山を越えられぬ帝国軍は援軍も見込めず、長きにわたるタウリスの包囲にみ、飢えと寒さにたおれた兵の屍は野に晒されていた。

 アルヤ人兵士たちは今回の衝突を勝ち戦であるとふんでいる。特にナーヒドはエルナーズの初陣を勝利で飾れると語った。

 だが、中央で待機する黒軍だけは冷めた雰囲気だ。

 数本に分けて編まれた三つ編みを垂らし、耳に大きな銀細工の飾りをつけている女が、兵士たちの間から歩み出てくる。女だてらに胸甲と手甲をつけた戦装束だ。簡便な装備だが軽騎兵共通のものである。

『全小隊、突撃準備完了』

 チュルカ語の言葉が周囲の人間を刺すように響く。切れ長の目の眼光は鋭い。

『あとはただ隊長の号令を待つのみ』

『大儀』

 報告を受ける側のサヴァシュは、黒革に黒塗りの鉄の胴をつけ、黒い房のついたかぶとをかぶっていた。携える手綱につながれているのはひときわ美しい毛並みの黒馬だ。

『隊長』

 彼は女の顔を見なかった。まっすぐ正面、風になびく紅の月を見つめていた。

『次のご指示を頂戴したく』

 一拍間が空いた。

 大きく息を吸い、吐いた。

『俺が出撃しても、お前は出てくるな』

 女がわずかに顔をしかめた。

『何ゆえに?』

『お前直属の小隊は後ろから戦況を見ていろ。万が一の時は俺の指示を仰がずに独断で兵を動かせ』

『このに及んで保険をかけるとおおせか』

『帝国は動ける秋のうちにもっと大規模な兵力を投じていてもよかったはずだ。それがこの寡兵で臨んだ。少ない人数でも確実にアルヤ軍を倒せると思えるような策があるのだと思う』

 素直に頷き、『承知』と答えた。

『いざとなったら俺を切り捨てろ。俺は好き好んで先陣を切る、俺を囮に使え』

『将軍をぞんざいに扱って死なせでもしたらおとがめを受けるのは副長の私なのだが』

『俺は死なない。俺が死んだら恋女房が泣く。何が何でも生きて帰るぞ』

『隊長が戦死したらこの私が責任をもってそれを黒将軍サヴァシュ最期の言葉としてユングヴィ殿にお伝えしよう』

『俺はまた余計なことを言ったらしい、ますます死ねなくなったな』

 サヴァシュが黒馬に飛び乗った。それを皮切りに周囲で控えていた兵士たちもそれぞれの愛馬にまたがった。

『俺たちだけが勝利してもアルヤ軍全体が負ければ敗戦であることを忘れるな。三年前の西部戦線やエスファーナ攻防戦を思い出せ』

『我々はまたもやお荷物を抱えて戦をせねばならぬということか』

『やむを得ない。それがアルヤ王国の誇るチュルカ人軍人奴隷ゴラーム騎馬部隊だ』

 副長が三歩下がった。そこで控えさせていた自分の馬に乗った。

 そして、言った。

『ご武運を』

 サヴァシュが片手を挙げた。

 後ろで待機していたチュルカ騎兵たちが矢を弓につがえた。

 矢じりが、蒼穹を向いた。

『放て!!』

 一斉に解き放たれた矢が、蒼穹を埋め尽くした。

 敵軍の頭上に雨のごとく降り注いだ。

『突撃!!』

 矢を追うかのように馬たちが駆け出す。砂塵が舞い、ひづめの音が轟く。大地が揺れる。

 味方の声とも敵の声ともつかぬ叫びが大気を震わせる。

 正面最前線の敵兵はことごとく矢に射抜かれて地に倒れた。しかし軍勢が崩れることはない。盾となり死した味方のむくろを踏みつけ軍馬の一団が迫りくる。

 サヴァシュは両手を手綱から離した。左右それぞれの手を腰元にやり一本ずつ別々に刀を抜いて構えた。

 馬の駆ける速度は落ちない。

 そのまま突っ込む。

 両軍の騎馬隊が衝突する。

 手ごたえで分かる。相手もチュルカの戦士だ。

 アルヤ人もサータム人も考えることは同じだ。チュルカ騎兵にはチュルカ騎兵を当てる。

 だがこれぞまさしく最善の策だ。

 チュルカの戦士は別の部族の戦士を同胞とはみなさない。敵は、敵だ。利と意地を賭けてただただひたすら相手を倒すのみ。

 両隣から雄叫びが聞こえる。帝国軍への報復の時が来たことを喜ぶ若い戦士の声だった。

 サヴァシュは冷静だ。

 サヴァシュにとって戦とはそういうものではない。

 しかし、やはり、振り向きもしない。若い彼らと同じく、ただ、前だけを見る。

 目指すは帝国軍の騎馬隊の主将。

 雑兵を次々と薙ぎ倒す。向こうも軽騎兵で装備は薄い。刀を横にしたまま駆けると相手の胸や腹に刃が食い込む。右と左とで二人の兵が同時に馬上から地へと落ちてゆく。馬だけが勢いをがれることなく前に進む。

 矢の飛ぶ音がする。刀を体の正面で宙を切るように薙ぐ。叩き折られた矢が二本、途中で真っ二つになって視界から消えた。

 ひときわ甲高いいななきが聞こえてきた。続いてまっすぐこちらへ向かってくるひづめの音、その勢いには迷いがない。確かにサヴァシュを目指している。

 戦士たちが自ら身を引いて花道を作った。

 姿を現したのは栗毛の馬に乗った青年だ。年の頃はサヴァシュと同じくらいで、やはり長い黒髪を編み込んだ上に房のついた兜をかぶっている。しかしその背に負われた軍旗は紅き月だ。

『貴殿の首をいただきに参った!』

 張りのある声、威勢の良い言葉を聞き、サヴァシュは一度馬の歩みを止めた。

 向こうもまたサヴァシュと向き合って止まった。

『貴殿を存じ上げている、大陸最強』

『恐悦至極に存ずる』

『貴殿の首を獲ればそれがしこそ最強、我が剣の脂となっていただきとうござる』

 彼は、左手で手綱をつかんだまま、右手に持っていた槍を投げ捨てた。そして腰の剣を抜いた。切っ先の湾曲した剣だ。

『太陽に呪われた忌まわしい闇色の剣を抜かれよ』

 血に濡れた二刀を腰の鞘に納めた。そして背に負っていた黒い神剣のつかに手を伸ばした。

『名は』

『我こそはサータム帝国軍アルヤ討伐部隊騎馬隊将軍、キズィファ族の戦士が一、イスメトの息子のケナンの三男のハシムだ』

 不敵に笑って『そちらは』と訊ねてきた。

『貴殿が何と名乗られるのか興味がある。某はアルヤ王国軍の将軍としての貴殿しか存ぜぬのだ。どちらの部族の戦士か、名乗りを上げられよ』

 サヴァシュは答えた。

『かつては、イゼカ族の戦士が一、スィヤヴシュの息子のジュベイルの息子のオズカンの次男サヴァシュと名乗っていた』

『ほう、今は?』

『アルヤ王国軍チュルカ人軍人奴隷ゴラーム騎馬隊隊長、黒将軍サヴァシュ。当面の間その他に名乗る名をもたぬと決めた』

『当面、か』

 青年が『哀れな!』と嘲笑う。

『いにしえの暮らしを引き継いできたイゼカの戦士でありながら草原の狼の魂を捨てアルヤの豚の手先となり下がったか』

『どのような人生を選ぼうと俺の自由だ』

『戦士の情けだ、アルヤの奴隷を名乗る日々に終止符を打ってやろう』

 『いざ!』と叫んで突進してきた。剣がまっすぐ胸を狙ってくる。

 サヴァシュはかわした。左へ抜け、背後をとらんと回り込んだ。

 当然相手も後ろは見せない。位置が反転しただけだ。

 青年がふたたび向かってくる。

 今度は刃を重ね合わせる。

 辺りに金属の音が鳴り響く。

 力が拮抗する。

 互いに引く。

 斜め上から斬り下ろすと相手も斜め下から斬り上げた。

 速度はほぼ互角だ。

 だが押す力はサヴァシュの方がやや上だ。青年の刃がわずかにぶれた。

 青年が馬にまたがったままもう片方の手で短剣を抜いた。その短剣を盾に使いサヴァシュの神剣の刃を受け止めようとした。

 サヴァシュはあえて両手で上から押さえつけるように剣を振るった。

 青年はとっさに湾曲剣と短剣を重ね合わせた。その交差地点で神剣を受けた。

 刃と刃が噛み合ったまま動かない。

 けれど青年の腕は震えている。

 あともう少し押せば斬れる。

 その、次の瞬間。

 突如空気を粉々に打ち砕くような音が轟いた。

 サヴァシュは目を丸く見開いた。

 左の肩当てが吹っ飛んだ。皮膚が裂け、血が噴いた。

 サヴァシュの周囲を固めていたアルヤ軍側のチュルカ騎兵たちが数人崩れ落ちた。軍馬が暴れ出した。

 音源の方を振り向いた。

 帝国軍のサータム人兵士たちが銃を構えていた。

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