第15話 ウルミーヤの会戦 1

 城の屋上に出た途端強い風が顔に吹きつけてきた。寒い。厚着をしてきてよかった。

 ラームテインが一人手すり壁につかまってウルミーヤの方を見下ろしている。

 ユングヴィは黙ってその左隣に立った。

 すぐ傍に来るまで気がつかなかったらしい。振り向いたラームテインはその大きなあんず型の目を丸く見開いていた。こんな表情でも可憐だ。しかしまだあどけない。声変わりも済んでいなければ背もユングヴィより一回り低い。彼が戦場に連れていかれなくてよかった。

「隙だらけだぞ! そんなんじゃすぐ背後を取られちゃう。誘拐されちゃうよ」

 言いながら笑って肩を寄せた。ラームテインは柳眉を寄せ、薄紅色の唇を尖らせた。ユングヴィから体を離そうと右に一歩ずれる。

「すみません、夢中になると他のことが見えなくなってしまうたちでして」

 口ではそう言うが面白くはなさそうだ。きっと口先だけの社交辞令なのだ。ユングヴィはそんな彼を可愛いと思った。少し生意気に感じるくらいがちょうどいい。十神剣の身内といる時まで美しいだけの人形でいる必要はない。

「ここから見える?」

 ラームテインは頷きながら正面を向いた。目線が遠く前方へ移動した。

「ユングヴィも見に来たんですか」

「うん。なんだか、じっとしていられなくて」

「そうですか? 僕にはあなたがとても落ち着いているように見えますが。あまりにもいつもどおりなので、これが戦争に慣れた人の態度なんだと思いましたよ」

 ユングヴィは少し考えた。確かに、いつもどおりに振る舞っているかもしれない。落ち着かないが、うろたえてもいない。なぜだろう。年下のラームテインの前ではしっかりしていなければと思うからだろうか。赤軍がどんな仕事をするのか把握できたからだろうか。それとも――

「何とかなる気がするから、かな」

 知らず唇の端が持ち上がった。

「サヴァシュが何とかしてくれるって、信じていられるからかもしれない」

 「のろけですか」と吐き捨てる声が少しとげとげしい。

「心配はしないんですか。してあげたらどうです? 旦那様でしょう」

「はっは面白いことを言うなあ生意気な奴だ」

 ユングヴィは「心配する必要を感じない」と言って手を振った。

「だってサヴァシュは大陸最強だもん。絶対無傷で帰ってくる」

 草がまばらに生えた平地に蒼軍と空軍が展開しているのを、ユングヴィも目視で確認した。遠くに帝国軍の紅い軍旗が並んではためいているのも分かった。

「強いて言えばエルのが心配かな。ナーヒドは何にもさせないって言ってたけど、戦場は何が起こるか分かんないところだからね。本陣で座ってるだけで済めばいいな」

「余裕ですね」

「なんだかんだ言ってみんなもうおとなだからいいんだよ。ラームまで連れてかれなくてほんとによかった」

「僕は行きたかったです」

 ラームテインが、唇を引き結ぶ。

「僕は、戦争を間近で見たいです」

 何と声を掛ければいいのか分からなかった。好き好んで戦場に行きたがる気持ちが想像できない。この美しく賢い少年は時々ユングヴィには理解しがたいことを言う。その小さな頭の中に何が詰まっているのだろう。

「ラーム……、あのね――」

 戦場には殺人以外の何もないのだとか、殺人はするのもされるのも恐ろしいことだとか、そういうことを口頭で説明して伝わるのだろうか。ユングヴィの少ない語彙で事足りるだろうか。経験しないと分からないことかもしれない、とも、思う。知識としては、どんなことなのかなどきっともう知っているだろう。だが、世の中にはやってみないと実感できないことがたくさんある。そんなことを言ったら拗ねてしまうだろうか。

 途中まで言い掛けたユングヴィを、ラームテインは無視した。

「何とかならないかもしれませんよ」

 その言葉を、ユングヴィは初めての戦争だからこその不安だと解釈した。恐れてくれるのを嬉しく思った。

 ラームテインの方を向いた。

 どうも想像と様子が違う。冷静な、それでいてどこかユングヴィをなじるような目でこちらを見つめている。

「えーっと……、なんでそう思うの?」

 ラームテインが口元を歪ませながら言った。

「とても大事なことを皆さんに説明できないまま今日に至ってしまったので」

 途端ユングヴィの胸に不安が込み上げてきた。

「僕がもう少し利口な人間だったら円滑に事を運べたのかもしれませんが、こどものお前は黙っていろと言われてしまうと何も言えませんよね」

「どういうこと? 何かあったの……?」

 扉が開く音がした。振り向くと、出てきたのはベルカナだった。防寒のためか、それとも今日という日を意識しているのか、黒一色の布をかぶって、顔と膝から下以外のすべてを覆っている。膝から下も濃緋の下衣パンタロン長靴ブーツで、肌は一切露出していない。

「あんたたちもここにいたの」

「ベルカナ」

「嫌ね、何にも言ってないのに、ここで集合しちゃうだなんて。このまま三人で観戦かしら」

 肩をすくめたベルカナにユングヴィは笑みを送った。

「桜軍の方はどう?」

「いつでも男たちが帰ってこられるよう段取りはつけたわよ。あとは気持ちの持久戦。女の子たちの神経が参る前に帰ってきてもらわなくちゃだわ」

 ベルカナがユングヴィとラームテインの間に入ってきた。手すり壁に手を置いて、遠くウルミーヤの方を眺めた。

「今のあたしたちにできることは、もう、待つことだけなのよね。男どもがちゃんとしてくれるのをここで祈るばかりよ」

 ユングヴィは頷いた。

「待とう」

 手すり壁をつかむ。その指先に力がこもる。

「大丈夫。ナーヒドもバハルもエルも――サヴァシュも、全部をちゃんとやって、すぐに帰ってくるよ」

 ベルカナでもラームテインでもなく、自分自身にそう言い聞かせた。

 ラームテインの言葉には不安を拭えない。けれどラームテインがそれ以上語らずに遠くへ視線をやってしまったのでそれきりだ。

 彼の考えすぎだと思うことにする。この子はいつも頭が回転しすぎているのだ。見なくてもいいものを見ている――そうであってほしい。

 何の問題もなくすべてがあっさりと終わってほしい。

 終わる、はずだ。

 サヴァシュが終わらせてくるはずだ。

 ユングヴィは、ただ、待つ。

 銅鑼の音が鳴り響いた。帝国軍の軍楽隊の喇叭ラッパが聞こえた。馬のいななきとひづめの音が轟いた。

 勝ちどきが上がった。

 人馬の声に、大地が共鳴する。

 始まる。


 ウルミーヤの会戦の火蓋が、切って落とされた。

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