第14話 少年兵への教育 2

「だから俺は反対したのだ」

「何に?」

「貴様が将軍を名乗って赤軍に近づくことに、だ。赤軍のように無秩序なところに女の将軍を置くわけにはいかん。だが神剣を抜いてしまったことは変えられない。だから赤軍の方の仕組みを変える必要がある。将軍がいなくても秩序が保たれるよう抜本的に改革すべきだ。女の将軍は寺にやった方がいい。そう陛下に奏上した」

「陛下に直接言ったの?」


 ユングヴィは蒼ざめた。ナーヒドはそれだけ王族に近い存在なのだ。先祖代々武門の誉れとして栄えてきた忠臣の直系の子孫だからできるのである。国王にただ拝謁することすらおそれ多くて震えていたユングヴィではありえない。


「嘘でしょ」

「だが陛下は、神剣が抜ける以上は軍の上に立たねばならぬ、『蒼き太陽』のお傍にお控えするよう仕向けねばならぬ、とおおせになって貴様をお手元に置かれたのだ」


 先王の思いやりに触れて心を緩ませたのも束の間、続いた「案の定問題を起こす」と言う声が鋭く刺さる。


「テイムルは陛下のお気持ちを尊重しろだのこれからの世の中職業婦人も増えるかもしれないだのと言って貴様を擁護してきたが俺は我慢ならん。女は女だ。嫁に行くなら行け、そうしてとっとと軍から出ていけ。貴様がいると風紀が乱れる」


 痛いところを突かれた。


「出ていくつもりだったのだろう。俺は出ていってくれて一向に構わん。あとは俺が全部やってやる」


 不意に後ろから声を掛けられた。


「ユングヴィ」


 振り向くと、少年たちが、不安なのか、それとも心配なのか、何とも言えない複雑な表情をしてユングヴィを見つめていた。


「俺たち、こいつの下につくことになるのか」


 とっさに首を横に振った。


「だいじょうぶ」


 しかし何が大丈夫なのだろう。何も大丈夫ではない。

 確かに、ユングヴィは一度は出ていくと決めた。彼らを――赤軍を――アルヤ軍を――アルヤ国を、それから、ソウェイルを捨てて子供と二人きりになろうとした。

 自分では彼らを守ってあげられないかもしれない。


「こいつとは何だ」


 ナーヒドが歩み寄ってくる。ユングヴィを通り過ぎて、後ろに立っていたひとりの少年の胸倉をつかむ。


「将軍の名を呼び捨てにするとは、しつけがなっていないようだな」


 拳を振り上げた。


「歯を食いしばれ」


 このままではあの少年が殴られる。


「やめて!」


 ナーヒドの腕にしがみついた。

 すぐに振り払われた。

 体勢を崩した。後ろに倒れそうになった。

 転んでしまう。

 いつものように受け身を取ればいいのか。身重の体で、か。


 判断が遅れたユングヴィの体を、誰かが横から抱き締めた。

 バハルだった。


「その辺にしとけ」


 ユングヴィが地面に崩れ落ちないようしっかりと支えた状態のまま、バハルがナーヒドに向かって言う。


「痛めつけてもついてこないと思うぜ。長い間ユングヴィが甘やかしてきたんだろ、今のこの状態で叱っても反発されるぞ。それこそアルヤ軍が分裂するわ」


 ユングヴィを抱く腕に力を込めた。


「ましてお前、妊婦さんに手を上げるのはアルヤ紳士のすること?」


 ナーヒドが拳を収めた。顔を背ける。


「こういうことになるから女は嫌なんだ。女がいなければこんなことにならなかった」


 バハルは「まあそうかもな、厄介は厄介よな」と言ったが、ユングヴィにはそれがナーヒドに調子を合わせるための方便であることが伝わってくる。バハルなら大丈夫だと思える。


「でも今考えとかなきゃたぶん十年くらい後にカノちゃんで同じ壁にぶち当たる。ちったあ頭を使ってやれよ、お前、女の子よりは賢いんだろ」


 一度唇を引き結び、少し間を開けてから、ナーヒドは言った。


「俺の母親は俺を産んですぐに死んだ」


 突然の語りにユングヴィは驚いたが、口を挟んだら何を言われるか分からないと思い黙って続きを待った。


「難産で、長い間苦しんで、ようやく俺が産まれたところで、力尽きて死んだらしい。俺は母親に抱いてもらったことがない」


 先ほどより少し小さな声で続ける。


「女は弱い。子供を産むのならばなおさら命が危ないかもしれん。……だから、表の仕事は男に任せて、家に引っ込んで自分を守るべきだ」


 ユングヴィは何を言われたのか分からず首を傾げたが、バハルは穏やかな声で「最初からそう言ってやれよ」と告げた。


「本当は、お前もユングヴィが心配なんだろ」


 ナーヒドは答えなかった。無言できびすを返し、天幕テントの外を目指した。


 その姿が完全に出ていくのを見送ってから、ユングヴィは口を開いた。


「ナーヒドが私を心配? まさか!」


 バハルが体を離しつつ「まあまあ」と苦笑する。


「ていうか、お産で死ぬかもしれないとかなに!? なんで今そんな縁起でもないこと言うの!? 私が不安がるとか思わないのかな!? サイテー!」

「あーそうそう、ほんとそう、いいぜもう好きなだけ吐き出して、俺にぶつけてすっきりすんならそうして」


 そう言われると毒気が抜けてしまう。ユングヴィは一度口を閉ざした。


「ユンちゃんには悪いけど、俺も今はナーヒドに賛成なの。あくまで、今は、な。普段だったらいいぜ、ユンちゃんが頑張って戦ってるの知ってるから、女の子だからできないなんて俺は言わねーよ。でも今は赤ちゃん最優先だろ、一人の体じゃないんだから、引っ込んでてほしい」


 同じことを言っているのに言い方ひとつでここまで変わるのだから不思議なものだ。そう言われると、そうした方がいい気がしてくる。


「俺ら、あのひとの下につかなきゃいけないんスか」


 おそるおそる問い掛けてきた少年たちの方を向き、バハルが「そうなると思う、ごめんな」と告げる。


「でも俺ら、ユングヴィ将軍がいない時はサヴァシュ将軍の言うことを聞けって教わりました」

「マジでか。確かにサヴァシュ本人もそんなようなこと言ってたけど、赤軍の中ではそれでもう通ってんのか」


 ユングヴィは頷いた。


「私が直々に、副長とサヴァシュで話をしてもらうよう段取りつけて、それで決めちゃったんだ。私が、サヴァシュの方が安心だから、と思って……勝手にごめん」


 うつむいたユングヴィに、バハルがわざと明るい声で「しょうがねーな」と言う。


「ま、何とかするわ。サヴァシュに任せるにしても西部戦線の総司令官はナーヒドだ、サヴァシュとナーヒドの間に入る人間が絶対必要だろ。俺がやるわ」


 バハルの言葉に、ユングヴィはまた泣きそうになってしまった。最近涙腺が弱いようだ。


「サヴァシュの面子を潰さないようにしつつ、ナーヒドの指示をはいはいと聞きつつ、赤軍のみんなにも協力してもらいつつ――なんかすげー忙しくなりそうだけど、今ならエルがわりと頑張って空軍幹部と対話しようとしてて手がかからないしベルカナも手を出してくれるからどうにかなる」

「ありがとう……」


 バハルが少年たちの方に向かって「悪いけどお前らも手伝ってくれる?」と依頼する。少年たちが顔を見合わせる。


「ユングヴィとお前らのつながりをぶち切るつもりはねぇよ。でもユングヴィや赤ん坊に何かあったらお前らも嫌だろ。ナーヒドにいちゃもんをつけられないよう俺が頑張る。だから俺の顔を立てると思って、俺の指示に従ってくれ。ここはひとつ、よろしく頼むわ」


 少年たちは首を縦に振った。


「まあ、そこまで言うなら……」

「ありがとな。本当に助かる。頼りにしてる」


 そして、ユングヴィを見る。


「男はユンちゃんの思ってるのの百倍鈍感だから、こうやって何をしてほしいか言葉にして直接言おうな。ナーヒドにも、サヴァシュにも、もちろん俺にもだ」


 ユングヴィも笑って頷いた。


 その、次の時だ。


 バハルの手が伸びた。

 思いの外強い力で抱き締められた。


「ば……バハル?」


 戸惑っていると後頭部を撫でられた。


「俺、ほんと、だめだわ」


 耳元で囁く。


「妊婦さんが戦場で銃弾いじってるんだと思うとマジつらい。何とかして守ってやらなきゃって思う」


 サヴァシュ以外の男性と触れ合っていることに対する抵抗感と、相手はバハルなのだから心配はいらないのではと思う気持ちが、心の中でせめぎ合う。このままの状態でいてもいいのだろうか。不快ではない。けれど喜ばしくもない。またふしだらな女と言われたらどうしよう。


「何とかするからな」


 その声は切羽詰まっているようで、どこか懇願するようでもあって、何となく、拒むことは許されないような気がした。


「ユングヴィだけでも。助けられるように」

「バハル、どうかしたの……?」


 ユングヴィには答えず、彼は体を離した。

 正面から向かい合った。

 いつもと変わらぬ笑顔だった。


「とりあえず、中、入ろうぜ。ここ、ちょっと寒くない?」


 少年たちの方を見て、「お前らそれユングヴィじゃなきゃだめなやつ?」と問い掛ける。少年たちが首を横に振って口々に「他の先輩でもいいやつです」「ユングヴィの体の方が大事だと思います」と答える。


「じゃ、行こうぜ」


 まだ少し納得のいかないところもあったが、ユングヴィはバハルに連れられてしぶしぶ天幕テントを出た。






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