第12話 ナーヒドは正しい

「結局連れてきたのか」


 円卓に地図を広げて何やら話をしていたナーヒドが唸る。やはり彼が取り仕切っているらしい。ユングヴィをはずして話を始めると言い出したのも彼に違いない。


「繰り返しますが僕は今回の作戦からユングヴィをはずすことに反対です。赤軍はユングヴィのもとで統率されています。直接戦場で陣頭指揮に立てずともユングヴィの存在は大きい。最大限利用すべきです」


 ラームテインは毅然とした態度だ。言うことも、ユングヴィには、理路整然として聞こえる。これが頭のいい人間なのだとユングヴィは思う。自分にはできないことだ。


 正直なところユングヴィにはナーヒドに何かを訴えられる自信はなかった。張り切ってここまで来たが考えがあるわけではない。ラームテインの存在が頼もしく思える。


 とりあえず、二人の会話に黙って耳を傾けた。


「いえ、赤軍が戦場に立つことはありませんね、赤軍は歩兵とは違いますから。市街地や城内に配備して万が一の時に備えるべきです。避難した住民たちの警護も必要です、赤軍兵士に巡回をさせましょう」

「それは当然の、大前提の話だ、話し合う余地もない。だがお前も赤軍がどんな人間で構成されているのか見ているだろう、赤軍だけでは規律正しい生活は送れないのだ。目付け役が必要だ」


 胸が痛む。ようは赤軍がならず者集団だからみんなの留守中に悪さをすると思われているのだろう。そんなことはない。赤軍兵士も遊んでいられる状況ではないことぐらい分かっている。けれどユングヴィにはそれを説明できない。


「そしてそれにユングヴィはふさわしくないと言っている」

「なるほど。僕も外部の監視は必要だと思います。ただしそれは赤軍だからではなくある程度の規模の組織ならどんな団体でもと言わせてください。蒼軍だって例外ではありません」

「蒼軍は神の軍隊だ。風紀を乱す愚か者は一兵たりともいない。皆己が使命を悟って国に殉じる覚悟ができている」

「僕が見たところ赤軍兵士には軍神に殉じる覚悟があるように思われますが」

「それはお前の主観だ。俺はそうは思わない」

「確かに。では切り口を変えましょうか」

「いや、せっかくだから掘り下げる」


 ナーヒドがこちらを向いた。ユングヴィはナーヒドの顔をまっすぐ見つつも緊張で肩を縮め込ませた。


「赤軍の風紀を乱しているのは貴様ではないのか。女であることを使ってむやみやたらに煽っているのではあるまいな」


 胸の奥が冷えた。言葉が出てこなかった。突きつけられるとそうかもしれないと思ってしまうのだ。

 自分は赤軍兵士たちの前でどんなふうに振る舞っているのだろう。ユングヴィには自分のことが分からない。積極的に乱しているつもりはないが、赤軍兵士たちがユングヴィを姫と呼ぶことはあった。

 逆に、ユングヴィの指示に従わない兵士もいる。それは、ユングヴィが女でなかったらみんな言うことを聞く、ということかもしれない。


「倫理道徳に反した、統率者として規範を見せることのできない人間ははずす。堕落した人間を十神剣として活動させることはできない」


 ナーヒドの声に揺らぎはない。彼の意思の固さが表れている。


「未婚の身で子を孕むような愚かでふしだらな女を頭に据えるわけにはいかんのだ」


 背筋が凍りついた。


「赤い神剣を抜けるのは貴様が死ぬまでこの世に貴様一人だけだ、だから生かしてやっている。だが忘れるな、貴様は女としてもっとも守るべき貞節という道徳を侵した。本来は死をもってあがなわねばならぬ恥ずかしい女だという自覚を持て」


 何も言えなかった。

 それは妊娠を自覚した直後のユングヴィが一番恐れていた指摘だ。自分は本来なら油を注がれて火をつけられていてもおかしくないことをしたのだ。


 拳を握り締めてうつむいた。拳が震えた。けれどその震えは怒りでも悔しさでもなく恐怖だ。後先を考えなかった自分自身がおぞましい。


 視界の端でサヴァシュが動いたのを見た。壁にもたれて床に座り込んでいたサヴァシュが、ゆっくり立ち上がろうとしている。機嫌が悪そうだ。

 ユングヴィは慌てた。

 サヴァシュはきっとユングヴィを庇ってくれるだろう。しかしつまりまたナーヒドと喧嘩になるということだ。


 動いたのはサヴァシュだけではなかった。円卓についていたベルカナも立ち上がってナーヒドとユングヴィの間に入ろうとしていた。ベルカナも、ユングヴィを守ろうとしてくれている。


 だが最初に口を開いたのは、円卓に座ってのんびり自分の爪を磨いていたエルナーズだ。


「じゃ、俺もはずれていいわね。風紀を乱すのは得意中の得意だもんね」


 ナーヒドがエルナーズを睨んだ。


「そのとおりだと言ってやりたいが、貴様は男だからな。軍神として働け。具体的には何もせずに黙って空軍の将として椅子に座っていろ。いいか、くれぐれも、余計なことをするんじゃない。だがどこにも行くな、おとなしく俺の指示に従え」

「俺を男に数えるの?」

「言っておくが貴様のことも認めたわけではないからな、この淫売が。しかし神剣を抜ける以上は十神剣としてそれなりのことをしてもらわねばならん。男なのだから戦場に来い」


 ベルカナが「いい加減になさい」とたしなめる。けれどナーヒドは黙らない。


「女が口出しをするな」


 サヴァシュが「おい」と投げ掛けた。


「お前、何様だ?」


 ナーヒドはまっすぐサヴァシュを見据えて答えた。


「白将軍不在の今は蒼将軍である俺が十神剣代表として貴様らを統率すべきだ。チュルカ人の貴様は黙っていろ」


 一触即発、という言葉はきっとこういう時に使うものなのだ。


 ユングヴィは急いでサヴァシュの手首をつかんだ。彼をこれ以上ナーヒドに近づけてはならない。


「いいよ、やめよう」


 必死に言葉を紡いだ。なんとか何かを言わなければと思った。


「ナーヒドは正しいよ。ナーヒドの言うことは、少なくとも私のことなら間違ってないと思う。私がちゃんとしてないのは本当。今の私は十神剣としてちゃんと仕事ができる状態じゃない。だから今回は私は引くね」


 誰にも争ってほしくない。


「やっと分かったか」


 ただ――強い母親になりたい。


「でもナーヒド」


 こんなことでめげていては、子供を産み育てることはできないのだ。


「二つだけ言わせて」

「何だ」

「正しいことがいいことなんだと思わないでね。みんながみんな正しく生きられると思わないで。いつか絶対跳ね返ってくるからね、覚悟しときなよ」


 ナーヒドが眉間にしわを寄せる。


「あと、私のことはいくら言ってもいいけど、同じことを私の子供に言ったらあんたを殺す」


 吐き捨てると、ユングヴィはサヴァシュに「じゃあ、よろしくね」と言って微笑んだ。サヴァシュが「ああ」と頷いてユングヴィの頭を撫でた。


 それまで黙って聞いていたバハルが立ち上がり、部屋を出ようとするユングヴィに歩み寄った。


「緑軍が動かせないらしいんだわ」


 突然軍の内情の話になったので、驚いて立ち止まる。


「なんで?」

「ロジーナがきな臭い。帝国と揉めてる間にチュルカ平原をかすめ取ろうとしてるのかもしれない」

「ロジーナ……? って、何?」


 ラームテインが「ノーヴァヤ・ロジーナ帝国です」と説明する。


「北方の大帝国です。西洋系の皇帝を頂点にした、こことは比べ物にならないほど寒い、雪原の帝国です。港も凍る不毛の地なので大陸の南に土地を求めて軍隊を動かしています。これを南下政策と言います」

「チュルカ人からしたら最大の脅威だ」


 サヴァシュも補足する。


「北方チュルカ人はロジーナ人と何度も戦争をしてる」

「それ、平原の北の話なの? 平原挟んで南がアルヤ高原じゃない? 来られたらヤバくない?」

「だから、北方守護隊の緑軍は来れない」


 ぞっとして自分の腕を撫でたユングヴィに、「橙軍もね」とベルカナが言う。


「サータム帝国が海からも攻め込んできた場合、南方守護隊が阻止しなきゃならないからね。万が一に備えて、南部に留め置く、って話になってるのよ」


 三年前のことを思い出した。カノの父親である先の橙将軍のチャンダンは、海からの砲撃を受けてたおれたのだ。


「つまり、今ここにいる部隊だけで何とかしなきゃなんないっていう状況だ」


 そこまで説明してから、バハルは苦笑した。


「今は、そこまでは、教えてやれる。何か新しいことが決まったら、また今度説明してやれる。――で、ユンちゃんはいいよな」


 ユングヴィも苦笑した。


「バハルも、私はここにいない方がいい?」


 彼は、頷いた。


「俺はアルヤ人の女の子が危ない目に遭うのが一番嫌いなんだ」


 その言い方に何か引っかかるものを感じたが、その違和感の正体はユングヴィには分からなかった。


 ラームテインはまだ納得していないらしい。


「僕は出ていってほしくありません。僕はここで出ていかれるのは無責任だと感じるのですが」


 その声はとげとげしい。


 ラームテインの方を振り向いた。


 しかしそこでナーヒドが口を挟んだ。


「ラーム」

「はい」

「お前は偉いな。十神剣の人間として責任ある行動とは何たるかを考えている。物怖じせずに考えを説明するところも俺は好感が持てると思っている。お前の意見を採用するとは限らないが、お前はそれでいい」


 途端、ラームテインの顔に笑みが燈った。先ほど赤軍の駐屯所で見せたものとは違う素直な笑顔だった。美しいというより可愛らしい。

 きっと心底嬉しいのだ。

 彼は美貌ではなく能力や性格を評価されたいのだ。


 ラームテインをナーヒドにとられた気分だ。ラームテインは感情的な対立でものを言う人間ではないと思うが、ユングヴィの味方をしてくれる気もしなくなってしまった。


「じゃね」


 ユングヴィは部屋を出た。結局誰も追い掛けてはこなかったが、今は仕方がない。腹を撫でながら自室を目指した。








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