第11話 生きるために意地汚くなるということ

 それでも赤軍の兵士たちを憎み切れなかったので、ユングヴィは今日も赤軍の駐屯所になっている天幕テントにいた。

 兵士たちも反省したらしい。いったいどこで仕入れてきたのか、「お詫びに」と言って大量の木の実ナッツが詰まった瓶を差し出してきた。

「妊婦にはこれが一番いいんだ。食ってくれ」

 ユングヴィは当然のような顔をして勇ましくふたを開けた。

 兵士たちが運んできた椅子に座り、ふんぞり返って木の実ナッツを貪り食う。お姫様というより王様の気分だ――とまで思ったが、ソウェイルにはこんなふうにはなってほしくないしきっとならないと思う。

「昨日は本当に悪かった。売り言葉に買い言葉みたいなもんだ、ふだんから本気であんなふうに思ってるわけじゃない。それに今はみんな反省してる」

「あっそう。私の心の傷はそんな口先のことじゃ癒えないけどね」

 冗談のつもりだったが、赤軍の一同はユングヴィの足元にひざまずいた。「すまなかった」と言って揃ってこうべを垂れた。

 怒りに任せて怒鳴り散らした自分の方が恥ずかしくなる。同じように膝をつきたいが、さて、将軍とはどんな態度を取るべきだろう。もっと堂々としている方がいいのだろうか。しかしいまさら偉ぶるのはどうも性に合わない。椅子に座ってひとりでものを食べている今でさえ胸が痛んでくる。

「今朝黒軍の副長たち幹部とも話をした。赤軍は全員サヴァシュ将軍の指揮下に入る。お前は部屋にいてもいいし、ここにいてもいいが、戦闘や戦闘訓練には参加しない。それじゃだめか」

「だめじゃないけど――」

 あとはユングヴィの気持ちの問題だ。何せ最初から素直にそう言ってくれれば何も揉めなかったのだ。いまさら、と言いたくなるのを呑み込む。

「軍紀作ってよ、軍紀。私ちょー軍紀欲しい」

「分かった。でもこの戦争が終わってからだ。エスファーナに帰って専門家や他の部隊の幹部の話を聞きながら作る」

 それを聞いてユングヴィは感動した。赤軍兵士の口から、他人の、それも司法制度というユングヴィからしたら御大層で意味不明なものに携わる偉い人たちの意見を乞う、という意見が出てきたのだ。とんでもない成長だった。ここまで従順になるとは、よほどこたえたらしい。

 だが、

「俺たちゃバカだから一から作るのは無理だ」

 そう続いた時、少し悲しくなった。

「まあ、私もだけど。正直、軍紀とかいうご立派なものができたところで、私がそれを使ってどうこうってのはいまいち想像できないけど――」

 いつもだったら、そこで、私もバカだから、と付け足したかもしれない。

 今度ばかりは少し考えた。

 赤軍はアルヤ軍で一番火薬の扱いに長けている。銃の整備も一手に引き受けている。あらゆる都市の地理を調べることができ、地図も読めないのに記憶し情報を共有することができる。土壁を、ある時は登り、ある時は爆破して、市街地に迷い込んだ敵を奇襲し翻弄する。平時も仕事がある――都に巣食う密輸業者や暗殺集団と戦い、表舞台の美しく清潔なところで戦う白軍に代わって暗部を掃除してきた。

 誇れることはたくさんある。

 バカとはいったい何だろう。どういうことを指してバカと言うのだろうか。

 せいいっぱい考えてから、ユングヴィは続きを話した。

「そりゃあ、みんな、紙に書かれてることを読むのは苦手なんじゃないかと思う。でも、他に、できること、いっぱいあるでしょ。あのラームだって、赤軍は専門家集団だから、アルヤ軍の本隊がつくまでタウリスをもたせることができる、って言って、私たちをここに呼んだんだよ。だからそんな、自分を悪く言わなくていいよ」

 何より、赤軍兵士はそうやって言葉を探すユングヴィを待てるようになった。ただのならず者集団ではない。

 すすり泣く声が聞こえてきた。見ると、奥の方にいた少年兵が泣き出していた。

「どうした」

 周囲の兵士が訊ねる。「お袋も俺のことバカって言ったのに」と泣き崩れる。

「ユングヴィは、それでも、それでも、俺たちにできることがあるって言う」

 涙が伝染した。周囲の若い兵士たちが鼻をすすり始めた。

 赤軍にいる人間は、ここに来るまで誰にも認められずに生きてきたのだ。

「もう、悪く言うの、やめようよ。ひとのことも、自分のことも。ひとに言われたら嫌なこと、言っちゃだめだよ」

 また別の兵士が口を開いた。

「ユングヴィの言うとおりだ」

 そしてうつむいた。

「俺はアルヤ人だってことの他に何にもない。学校も出てないし頼れる実家もない。正直、両親ともアルヤ人のアルヤ生まれアルヤ育ち、ってこと以外に、ひとに話せるものがねェんだ。だからアルヤ人じゃない連中より何かがよくできてるって思わなきゃならねェ。特別チュルカ人ができないって思ってるわけじゃねェんだ」

 ユングヴィは苦笑した。

「ひとよりよくできてる必要なんかないからね。私はみんながここで元気で働いてくれるだけで嬉しい。みんながウルミーヤでどうにかなっちゃわなくてほんと安心してるんだ」

 言いながら、自分を振り返った。自分も、誰かにそんなふうに思われているだろうか。もしもそうだとしたら、もっと自分を大事にしないといけない。心配するのは本当につらいことだ。そして心配が伝わらないことは身を切られるような痛みになる。

 自分の腹を撫でた。

 この子には、何かできないことがあっても、自分には何ができないか、より、自分には何ができるか、を考えて生きてほしい。そしてそれで誰かと自分を比べない子になってほしい。できることをひとと分かち合える子であれたらきっと生きやすい。

 同じ過ちを繰り返したくない。

 自分をバカだと言うのはやめよう。

 自分をバカだと言う人間は、他人が自分よりバカかどうかを考える人間になるのだ。

「アルヤ人のみんながチュルカ人よりよくできてる必要もないし、チュルカ人のみんながアルヤ人よりよくできてる必要もありません。きっと、それぞれ、得意なこと、不得意なこと、あると思う。お互い得意なことを出し合って何とか生き抜こう」

 「前にも言ったけど、生きるために意地汚くなろう」とユングヴィは念を押した。

「もっと他人を利用するんだ。変な意地は捨てて、ひとに頭下げて、苦手なことをひとにやってもらって生きるんだよ。誰が何ができるのか分かんない以上は仲良くしようね。それが、生きるために意地汚くなるってことだよ」

 そして、ちょっと笑った。

「たまにそれでも助けてくれない奴とか利用するだけ利用しておいてお返ししてくれない奴とかもいるけど、そういう奴らはそのうち自滅して寂しく死んでいくから無視してだいじょーぶ。仲良くできるひとと仲良くしていこう」

 「そうだな」「そのとおりだ」という声が上がった。

「ここで確認しておくけど。黒軍は馬が得意です。弓もできます。サヴァシュはここにいるみんなと比べて誰よりも戦争がうまいです。野原で合戦になった時、みんなが黒軍兵士よりうまく活動できるってことはないです。だからもう、いさぎよーく諦めて、任せましょう。黒軍と仲良くしましょう」

「はーい」

「私たちがやることは、街中や城の中に帝国軍が入ってきた時に返り討ちにすること。それならみんな、できるよね? 得意だよね? 誰かに言われなくてもちゃんとできるよね?」

「はーい!」

「よーし、いいお返事だ」

 そこで、外から声がした。

「ユングヴィ! お客さんだ!」

 ユングヴィはすぐ「はいはーい」と答えた。

「どうぞー、中に入れてー」

 入ってきたのはラームテインだ。

 兵士たちが「おっ天使だ」「今日も可愛い」と騒ぎ立てる。中には指笛を吹く者もある。美少年が好きなのは下層階級出身の彼らも一緒らしい。腐ってもアルヤ紳士なのだ。それにしても下品なもてはやし方だが、ユングヴィは微笑ましく思った。

 ラームテインは一瞬だけ彼らに向かって微笑んでみせた。感情のない、冷めた笑顔だった。営業用だろう。最初は愛想のよい少年だと――さすが酒姫サーキイだと思って惚れ惚れしていたものだが、だんだん本当に機嫌がいい時とそうでない時とが分かるようになってきた。兵士たちは喜んでいる様子なのできっと気がついていないのだろうが、ユングヴィからするとラームテインはエルナーズの百倍は分かりやすい。

「どうかした?」

「体調はどうですか?」

「だいぶいいよ、昨日今日でぜんぜん吐かなくなった。つわり終わったのかな」

「そうですか、では僕と来てくださいますか。今すぐ」

 ラームテインに呼ばれるとは、非常事態に違いない。

 ユングヴィは瓶のふたを閉めた。

「いいよ、行くよ。でも、どこに?」

「司令室です」

「誰か他にひとはいないの?」

「逆です。ユングヴィ以外の全員がいます」

 顔をしかめた。

「僕は決戦の日に赤軍を欠くことに反対です。なのでユングヴィを呼びに来ました」

 「ありがとう」と答えて立ち上がった。

「仲間はずれにしやがって。ちゃんと自己主張してこなくちゃ」

 兵士たちが次々に「いってらっしゃい」と叫んだ。

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