第10話 腐ってもお姫様 2

 赤軍兵士の面々の表情が、みんな同じように凍りついている。

 ふと、ベルカナが赤軍兵士に聞き取り調査をしたと言っていたことを思い出した。ひょっとしたら、彼らの中にも勘づいている者があるかもしれない。疑う余地がないからこそ、こういう反応をするのだ。

「――貴様の?」

 副長の声が震えていた。

「おい、今、何て言った。ユングヴィが、何だって?」

 サヴァシュが繰り返した。

「俺の子を妊娠しているらしい」

 愕然、というのはこういう時に使う言葉だろう。

 副長が腕を伸ばした。ユングヴィの腕をつかみ、むりやりサヴァシュから引き剥がした。

「ユン、お前、本当なのか」

 声は出なかった。けれど否定することもできなくて頷いた。

 次の時突き飛ばされた。後ろで立っていた二人の兵士が受け止めてくれたので何ともなかったが、副長からここまで乱暴な扱いを受けたのは初めてで、ユングヴィは頭が真っ白になった。

 顔を上げると、副長がサヴァシュの胸倉をつかんでいた。さらに一歩分間合いを詰める。

「殺してやる」

 低い、唸るような声が捻り出される。ユングヴィの腹にも響く。

「貴様だけは許さない。肉団子にしてサータムのいぬどもに食わせてやる」

 副長のもう片方の手が彼自身の腰に動いた。そこに短刀がさげられていた。

 このままでは血を見る。

 こういうことにならないようにとついてきたのに、自分には何もできない。何も言わず何もせずただ突っ立って見ているだけだ。

 歯を食いしばった。拳を握り締めた。

 うまい解決策が何も浮かばない。

 突然横から腕を叩かれた。

 見ると、隣に立っていた青年兵士が、悲しげな顔でユングヴィを見下ろしていた。

「泣くなよ」

 言われてから、自分が泣いていることに気づいた。こらえていたはずなのに熱くなった目頭から涙が溢れて頬を伝っていた。ほろほろと、ぼろぼろと、ぼたぼたと、次から次へと出てきては流れていった。

 こんなはずではなかった。自分は我慢できているはずだった。泣いてなどいない。声も上げていない。弱いところなど見せていない。強い将軍でいるはずだった。

 悔しいのに止まらない。

 これでまた馬鹿にされる。

 消えてしまいたい。

「副長」

 誰かが穏やかに、それでいてたしなめるように副長を呼んだ。副長が振り向いた。ユングヴィの顔を見た。短刀から手を離した。

 こちらへ近づいてきた。

 副長だけでなく、サヴァシュも、だった。サヴァシュも、ユングヴィが泣いているのを見て、こちらへ歩み寄ってきた。

 サヴァシュが手を伸ばした。ユングヴィのマグナエに触れた。

 このままだと、みんなの前で、頭を撫でられる。

 そう認識した瞬間だ。

 ユングヴィの中で、何かが、切れた。

「触んじゃねーよ!!」

 ユングヴィは思い切りサヴァシュの手を叩いて振り払った。

 もう我慢できない。

「何がこいつは俺のものだだ!? 何度か寝てやっただけで旦那ヅラしてんじゃねェよ!!」

「――ちょ、おい……、」

「あれだけ喧嘩すんなって言ったのにクソみたいな態度取りやがって! 調子くれてんじゃねーぞ!!」

「待、」

「そんな態度ならもう赤軍の面倒も私の面倒も見てくれなくていい! 喧嘩する奴は私の視界から消えろ!」

 そこで一呼吸置いて、「ああ」とか「クソ」とか意味のない言葉をいくつか叫んで、

「私があんたに望んでいるのは結婚するんでも養育費の誓約書に署名するんでもなくソウェイルに子供の作り方説明することだけだからな、私は将軍五年やったから金は持ってんだよ、揉め事起こして尻拭いしなきゃいけなくなる旦那ならいらねーよ!」

 サヴァシュが唖然とした。

 副長がいつになく優しい猫撫で声で「ユン」と囁いた。気持ちが悪くて発作的に「うるせェ!」と怒鳴った。

「テメエ何様だ!? いったい私の何なんだ! 私は猫か何かか、餌をくれたこともないくせに今まで可愛がってきてやったみたいなツラしてんなよ!?」

「落ち着け」

「クズのくせに一丁前にアルヤ人みたいな顔しやがって! 今までちゃんとした連中にさんざんちゃんとしてねェってバカにされてるっつってたテメエらがチュルカ人をバカにすんのかよ、だからいつまで経っても底辺なんだよ! このカスども!!」

「ユング――」

「テメエらどうせ自分がアルヤ人だっていうのしか言うことねーんだろ、残念だったなテメエらみたいなクズ世界じゅうに掃いて捨てるほどいる! 私が守ってやらなきゃテメエらなんかみんなとっくに最前線で囮にされて犬死にしてるわ! 甘えやがって! 誰のおかげで生きてんのか考えろや!!」

「落ち着――」

「だいじょ――」

「ごめ――」

「ナメたりナメられたりして楽しいか! 私は楽しくない! もうみんな嫌い! 大嫌いだ!」

 喉が痛くなった。息苦しいし頭もくらくらする。

 怒鳴るのをやめて息を吸おうとした。しゃくり上げてしまってうまくいかない。

 とてつもなく疲れた。

 その場に膝をついた。勢いよく崩れたので膝が痛んだがそれ以上に休みたかった。

 地面に突っ伏した。せっかくのお洒落着だったがもう気にしないことにした。とにかく泣きたかった。

 そのまま声を上げて泣けるだけ泣いた。

「…………」

 土を踏む足音がした。誰かが近づいてきたのだろう。ユングヴィはそのままの体勢で「来るんじゃねェ」と怒鳴った。足音が止まった。

 しばらくの間、誰も何も言わなかった。

 しゃくり上げるのが収まってきて、息が整い始めた頃、目が腫れて痛いのを感じながら、ユングヴィは小声で「みんなきらい」と繰り返した。

「だから戦争に負けるんだよ……今回だって絶対勝てないよ、みんなが喧嘩するから……ウマルはアルヤ王国が強かったのはみんな太陽の下で一致団結してるからとか言ってたけど絶対嘘、あんたたちソウェイルの言うことだって絶対聞かないんだ……」

 誰かが「ごめんな」と言った。続いてみんなが次々と「すまなかった」「悪かった」という謝罪の言葉を口にした。

「やだ」

 ユングヴィはすぐには顔を上げなかった。

「どうせみんな口ばっかりだ。私のこともバカにしてる。女の子なんかうまく言えばどうにかなるちょろい生き物だと思ってるんだ」

「そんなことはない、今回お前が本気で怒ってるっての分かったから」

「じゃあ、今度から私に逆らった奴殺す。将軍がやることに文句つける奴みんな殺すけど、それでもいい?」

 副長の声で「そうしよう」と言われた。

「とうとう、赤軍にも、軍紀ってやつを作る日が、来たようだ」

「え……それ何? ぐんき? 聞いたことない。他の部隊にはあるもの?」

「ごめんな、本当にごめんな。作ろうな、軍紀」

 顔を上げた。一、二歩分間を置いた正面に副長がしゃがみ込んでいて、いつにない困った顔でユングヴィを見つめていた。

「ほら、立て。地べたは冷えるぞ、子供がいるんだろ」

「そうだ……赤ちゃん……」

 子供のことを言われると素直に従わざるを得ない。立ち上がる。

 副長も立ち上がりつつ、周りにいた兵士たちに「何か着るもの」と命じた。奥から若い兵士が外套マントを持ってきてユングヴィの肩にかけた。

「すっきりしたか」

 外套マントの端を握り締め、頷く。

「でも決めた。生まれてもここにいる誰にも抱かせてやらねー」

「いや、本当にすまなかった。どうしたら機嫌を直してくれるんだ、何でもするから勘弁してくれ」

「今度から揉め事は全部相撲で解決するって約束して」

「分かった、相撲をとる。それでいいか」

「あと、赤ちゃんが生まれるまでの間でいいからサヴァシュの言うこと聞いて。あれこれ言ったけどサヴァシュはすごい強いんだよ、ここにいる全員が束になってかかっても倒せないくらい強いから、言うこと聞いて」

「分かった。そうする。お前の旦那様だもんな」

「は? それとこれとは別問題。赤軍は黒軍と合流する、それ以外のことは何も決まっていません」

 みんなの視線がサヴァシュに集中した。今度の目つきはどことなく優しくサヴァシュに同情的だ。しかしサヴァシュは呆然とした顔で突っ立っているだけで何も言わない。その姿からは哀愁のようなものを感じたが、ユングヴィは無視した。

「なんかすごい疲れた。部屋帰る。帰って寝たい」

 赤軍兵士たちが「そうした方がいい」「早く戻ってゆっくりしてくれ」と言うので、ユングヴィはきびすを返して出入り口の方に向かった。

 サヴァシュがついてきて、ユングヴィに向かって腕を伸ばした。

「分かった、ソウェイルに子供の作り方を説明するから、その、捨てないでくれ」

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