第7話 サヴァシュはだいたいこんな感じの扱い

「――何だと?」

 ユングヴィが出ていってしばらくしてからのことだ。

 最初に言葉を発したのはナーヒドだった。

「話がよく呑み込めなかったんだが、あいつは何を言いたかったんだ」

 その隣で、ベルカナが大きな溜息をつきながら椅子に座り直した。

「あのコ、妊娠してるみたい。吐いてるのって、どうやらつわりみたい」

 ナーヒドがぼんやり考えている横で、ベルカナとは反対隣のバハルが「そういうことか」と頭を抱え込む。

「道理で! 納得した」

「やっぱり、ここのところそんな感じだった?」

「本人が、疲れてる、戦争で緊張してて落ち着かない、って言ってたから、俺は、神経が参ってんだな、繊細なんだな、としか思ってなかった。けど、言われれば、そうだな。ありゃ妊婦さんだ」

 一番扉に近い席に座っているエルナーズが、「なんでそうなるかな」と苛立ちを隠さぬ声で言う。

「これじゃあ何のために俺があんだけ気を揉んでいろいろしてあげたのかって感じ」

 ナーヒドが「お前は知っていたのか」と問い掛ける。エルナーズが「ずっと一緒にいたからね」と答える。

「医者は何も言っていなかっただろう」

「そりゃ俺たちには何も言わないでしょうよ、どこの医者が本人の意思を無視して家族以外の人間に彼女妊娠してますねとか言うのよ。軍医には基本は外科的な処置を依頼したんだし――ユングヴィ本人には何か言ったかもしれないけど」

 「ちょっと待ってくれよ」とバハルが指折り計算する。

「ユングヴィ、半年で、って言ってなかったか?」

「言ってたわね」

「言ってたな」

「ということは、つまり、四ヶ月くらい前の話か? ラームと一緒にエスファーナからタウリスに移動していた頃にはすでに身ごもっていた、と」

 ラームテインが「気がつきませんでした」と呟いて両手で顔を覆った。

「あんたは悪くないわよ。いくらなんでもあんたにそこまであのコの面倒を見ろなんて言えないわ、あたしでさえぜんぜん考えてもみなかったことなんだからあんたは気にしちゃダメ」

「そう、なんですが――僕は今、いろいろと反省しました。僕はなんということを」

 ナーヒドが「おい」と言って卓上を叩く。

「あいつは結婚していないだろう。未婚の身で子供ができるような真似をしたということか。そんなアルヤ人女性らしからぬ不道徳なことがあるのか」

 空気が一気に緊張する。

「腹の子の父親は誰だ」

 すぐにベルカナが「言わないのよ」と答えた。

「ここ何日かかけて問い詰めたわ。でも絶対に言わないの。たぶん身近な軍隊関係者だと思うんだけどね、あのコ必死で庇って口を割らないのよ」

「ふざけるな! 未婚の娘を孕ませておいて逃げおおせる気か、姦淫の罪は石打ちだ」

「ホントよ、まあ石打ちの刑にするかどうかは別として、あの状態のあのコをひとりにするなんてどうしてくれようかと――」

「俺だ」

 全員の視線が、サヴァシュに集中した。

 サヴァシュは、ベルカナとラームテインの間で椅子に座ったまま、呆然と、何もない卓上を見ていた。今までに誰も見たことのない無防備な顔をしていた。

「俺だな」

「何が」

「あいつの腹の子の父親が」

 場が凍りついた。

 ナーヒドがサヴァシュの方を見た。

「確かか」

「四ヶ月前というと毎晩抱いていた」

「そうではない、気は確かかと訊いている」

「正気だ」

 腕が伸びた。

 ベルカナが察して「やめなさい!」と怒鳴ったがナーヒドは聞かなかった。

 サヴァシュの襟首をつかみ、引きずって立たせた。

 右の拳を振り上げた。

 サヴァシュの左頬に打ち込んだ。

 サヴァシュはそのまま床に倒れた。一度派手に床に転がってから、ゆっくり上半身を起こして座り込んだ。

「貴様!!」

 バハルが立ち上がりナーヒドを後ろから羽交い締めにする。

「落ち着け!」

「殺してやる! チュルカ人のくせにアルヤ人の婦女を妊娠させてのうのうと暮らしているなど許しておけるか!」

「やめろ! だからってできちゃったもんはもうしょうがないだろ!? ろせってーのかよっ!」

「……、それは――」

「ここで揉めたらまたユングヴィが気にすんだろ!? 妊婦にそんな負担かけたいのか!? ていうかお前ユングヴィの何なんだよ!?」

 珍しいバハルの大声を受けてナーヒドは黙った。

 ナーヒドが落ち着いたのを見てから、バハルが腕を離した。ナーヒドは自分の黒髪を掻きつつ椅子に乱暴に腰を下ろした。

 「のうのうと、か」とサヴァシュが呟く。

「俺はそんなふうに見えるのか」

 右腕で右膝を抱え込み、左手の親指で切れた唇の端を押さえる。血が滲んでいる。

「本当にあんたがユングヴィの子供の父親なのね」

 ベルカナに改めて問われて、サヴァシュは「ああ」と頷いた。

「俺に黙って同時に他の男と会ってたというのでない限りは。まあ、あいつにそんな器用なことができるわけがないけどな」

「そうね、あのコにそんな器用なことはできないわ」

 ベルカナが自らの額を押さえながら深い溜息をついた。

「どうしてこうなっちゃったのよ……」

「俺が聞きたい」

 「貴様どうするつもりだ」とナーヒドが唸る。サヴァシュが「だから、俺が聞きたい」と繰り返した。

「俺はどうしたらいい? 誰か教えてくれ」

「貴様が孕ませたのだろうが」

「それは分かっている、悪いと思っている、だから今おとなしく殴られてやったんだろ」

「あんたは知らなかったのね?」

「知らなかった。今初めて聞いた」

 「知らなかった」ともう一度呟く。

「あいつ、どうして俺に何も言わないんだ……?」

 ラームテインが小さな声で言った。

「知らないんじゃないんですか」

「何がだ」

「ほら、サヴァシュが、ユングヴィに言えと言ったという、あの、チュルカ語の。ユングヴィ、西市場のチュルカ人街の人々に話していましたよ。でも、意味は知らない、と言っていました。本当に知らないから、ひとりで産むと言い張っているのでは?」

「あれか。あのバカ、それこそ俺が布団で適当に言った冗談を真に受けたんだな。本当にバカだな」

 膝を抱く手が一瞬震えた。

「いや、バカは俺か」

 しばらくの間、ふたたび沈黙が場を支配した。重苦しい静寂が部屋の中に滞った。

 破ったのはまたベルカナだ。

 彼女は立ち上がると、「ちょっとユングヴィと話してくるわ」と言って扉の方へ向かった。サヴァシュも立ち上がって「俺も」と言ったが、「ちょっと待ちなさい」と言う。

「今すぐあんたが出ていったらあのコを刺激することになるからダメ。あたしがちょっと話をして、なんとかひとと話ができる状態にもっていくから、それからにしてちょうだい。そうね、あんたは後から来なさい、城の周りを一周歩いてからいらっしゃい」

 サヴァシュはすぐ素直に「そうだな、そうする」と答えた。

「俺も普通に会話をする自信がない。正直に言って、今の俺はもう二度と戦えないんじゃないかというぐらい深く傷ついているので……」

「ちょっと!?」

「ユングヴィはなんてことを!?」

「アルヤを滅ぼす気か!」

「冗談だ。……冗談ぐらい言わせてくれ」

 ひとつ、大きな溜息をついた。

「俺が戦争を終わらせないと――子供の、ために」

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