第4話 ベルカナ姐さんのお説教

 戸の叩かれる音がした。

 ユングヴィは何ということもなく軽く「はーい」と応えた。

「あたし。ベルカナ」

 空になった深皿を机の上に置いた。戸を開けるために立ち上がろうとした。

 エルナーズが「いい、あんたはそこにいて」と言い両の手の平を見せた。

「とにかくおとなしくしてて。もー頼むから勝手に動かないで」

 止められてしまった。

 この程度でと思うと悔しかったが、自分は今客観的に見るとかなりの重傷で重症のようなので仕方がない。素直に腰を落ち着け、寝台の枠を背もたれにして掛け布団をつかむ。

 エルナーズが戸を開けると、ベルカナが入ってきた。どうやら一人らしい。

 彼女はすぐに戸を閉めた。

「今あんたたち二人きりね?」

 ユングヴィはエルナーズと顔を見合わせた。ベルカナの物言いから何かただならぬものを感じたのだ。

「そうだけど――」

 改めてベルカナを見る。その表情には疲労がべったりと張りついているように見える。ふだんは何事にも悠々と構えている彼女には似つかわしくない。

「どうかした? 久しぶり、会えて嬉しい――みたいな、能天気なこと言ってる場合じゃなさげな顔してるけど……?」

 「誰のせいだと思ってんのよ」と、深い溜息をついた。

「エル、あんたも座りなさい。ちょっと長話するわよ」

 言いつつ自分も寝台の脇に腰を下ろす。

 ユングヴィは困惑した。何の話がそんなに長引く予定なのか分からなかった。エスファーナからの長旅で疲れたのなら自分に構わず休んでほしかったし、戦況ならバハルやラームテインの方が詳しく把握している。あえて自分とエルナーズが二人きりであることを確認した意図が分からない。

 エルナーズは、ひょっとしたら、分かっているのだろうか。一瞬悩んだそぶりを見せたが、あまり間を置かず息を吐きながら「分かった、覚悟は決める」と言って机に備え付けの椅子に座った。

 エルナーズが座ったのを確認してから、ベルカナが口を開いた。

「こんなことであんたたちがぎくしゃくするのは見たくないし、ユングヴィの負担をできる限り減らしたげたいから、先にエルへのお説教から始めるわ。その方が誤解がなくていいわよね」

 「なんで俺が怒られなくちゃいけないの」と唸る。ベルカナが「あんたの名誉を守りつつあんたに現状をより深刻に見てもらうためにはそれが一番手っ取り早いと思ったから」と答える。頭の中が疑問符でいっぱいのユングヴィは置き去りだ。

「バハルやラームにも確認したけど、あんたほんとに秘密を守り通したのね。たぶんナーヒドとサヴァシュも気がついてないと思う。その口の堅さは評価するわ」

「確認したって、俺が何のためにごまかして――」

「大丈夫、一番根本の部分には触れてないから。男どもはしょせんその程度よ、あんたほどには周りを見ていないわ。でもあたしまでごまかせるとは思わないでほしいわね」

 「赤軍の幹部にも聞き取り調査をしたの」と彼女は言った。エルナーズが唇を引き結び視線を泳がせた。

「えっ、何を? なんで赤軍? 私の話?」

 ベルカナの目がユングヴィを見る。その視線に射抜かれたような気がして黙る。

「いい? ユングヴィ。エルは分かってて秘密を守ろうとしてる。それがあんたのためだと思っているから。あたしはその判断は間違ってると思うからお説教するけど、エルがあんたに気を遣ってるってことは分かったげなさい」

 混乱するユングヴィの次の反応を待つことなく、エルナーズの方を見る。

「もしこれがほんとにちょっと神経が参ってるだけならいいの。いえ、良くはないけど、ちょっと戦線を離れてゆっくりすればどうにかなることだったら、一時的にあんたが庇ってやれば済むわよね。でも、もし、あたしやあんたの思ってるとおりのことだったら、これからどんどん大変なことになっていくわけよ。必ず近いうちにごまかしの利かない状況がくるのよ」

 エルナーズが溜息をついてから「そうね、まあそうなんだけどさ」と頷く。苛立ちを紛らわせるためか特に何ということもなく自分の耳飾りに触れる。

「しかも人一人の命がかかってる。人間の命が、かかってんのよ。他の何より、見栄や体裁なんかよりずっとずっと優先すべきこと。ちょっと何か失敗するだけですぐ死ぬ。そういうことを意識して男どもに分からせなきゃダメ。これは、隠しちゃダメなこと」

 ベルカナがそこまで言うと、エルナーズは、耳飾りから手を離して、肩をすくめて「はーい」と言った。その声には、何か、どこか、開き直ったような、開け放した明るさがあった。

「いい? ユングヴィ」

 エルナーズへの説教は終わったらしい。今度こそ、ベルカナはユングヴィに真正面から向かい合った。ユングヴィは緊張して、背筋を伸ばしてベルカナの顔を見た。

 ベルカナの表情が強張っている。怖い。胸の鼓動が早くなる。

「なに……?」

「最初に二個、確認しておくわね」

 右手を持ち上げ、親指と人差し指を立てた。

「ひとつ。繰り返すけど、エルが言ったのは、あんたが仕事中に吐いた、ってことだけ。エルは一度だってあんたが不利な立場になるかもしれないことは言ってない。あたしが勝手にぴんと来て、いろんな人に聞いてまわって悟ったこと。エルに当たるんじゃない。いいわね?」

「うん……? まあ、うん?」

「ふたつ。あたしは味方よ」

 「いいわね」と、彼女は念を押した。

「あたしには全部話しなさい。叱るし怒ることもあると思うけど、あんたを傷つけてやりたくてそうしてるわけじゃない。あんたを守るために必要なことなんだと思ってね」

「うん……、そんなの、分かってる、けど……」

 今ひとつ要領を得られず、混乱したままのユングヴィに、ベルカナが問い掛けた。

「あんたほんとに分かってないの?」

「何が? 何の話? 私バカだから分かんな――」

「あんた数週間前から吐いてるそうね」

 「他には?」と詰め寄られた。

「他に、何か、自分で、自分の体のここがおかしい、と思うこと。全部言ってみなさい」

 まだベルカナが何を言いたいのか分からなかったが、とりあえず質問には答えようと、自分の体調のことを振り返った。

「なんか、だるい……? ちょっと熱っぽい、かな……そんなすごい熱が出てるって感じじゃないから動けるけど」

「だるくて微熱。他には?」

「関係あるか分かんないけど、なんか最近食べ物の臭いがだめ。これなら食べれる、って思うものばっかり食べてて、栄養が偏ってる……かな……。吐いてるからかな、食欲がバカになってる」

「臭いがだめ、特定のものばかり食べたくなる。それで?」

「えーっと……、あとやっぱり神経が参ってるんだよ、なんかちょっとしたことですぐ泣いちゃって――」

「情緒不安定。それくらい?」

「えーっと……えーっと……」

「もう一個大事なことあるでしょ」

 首を傾げたユングヴィに、ベルカナは畳みかけるように言った。

「確認するわね。長期間にわたる嘔吐。だるい。微熱。臭いがだめ。特定のものばかり食べる。情緒がおかしい。自分のことだからそんなすっとぼけてられるのかもしれないけど、その辺で会った見ず知らずの女の子が同じこと言ってたら、あんたそのひとどうしたんだと思う?」

 「まだ分かんないの」と怒られた。

「じゃあとどめを刺してあげる」

「どういう――」

「あんた最後に生理来たのいつ」

 頭の中が真っ白になった。

「来てないでしょ」

 ベルカナが何を言わんとしているのか、やっと、分かった。

 でも、分かりたくなかった。

 そんなことが自分の身の上に起こるはずがない。

 血の気が引いた。

 口元に手を当てた。手が、震えていた。

 場の空気に敏感なエルナーズが、机の脇に立てかけておいたらしいもう一つのたらいを手に取った。

 エルナーズは気づいていたのだ。分かっていて、体を冷やさないように言ったり果物を用意したりしてくれていたのだ。

「心当たりはあるようね」

 ベルカナが、大きく息を吐いた。

 認めたくない。

 自分は妊娠している。

 サヴァシュの子を身ごもっている。

「……ユングヴィ」

 口元を押さえ、血の気の引いた顔で震えるユングヴィの肩を、ベルカナの白い綺麗な手がつかむ。

「お腹の子の父親は誰か分かる?」

 言えるわけがなかった。

 結婚していない。

 未婚の身で男に股を開いた女だと思われる。ふしだらで不道徳だ。死刑が科されるかもしれない。生まれた村にいたら今頃父や弟の名誉を汚した罪で油を浴びせられて火をつけられているだろう。

 一時の情や欲に駆られてとんでもないことをした。

 ベルカナの手が肩を撫でている。ふだんならその優しい手つきに安心するところだったが、今は肌が粟立つ。

 首を横に振った。

「――誰かに酷いことされたのね」

 何を言われたのか分からず、すぐには返事ができなかった。エルナーズが顔をしかめて「えっ、そういうこと!?」と声を荒げてから理解した。

「俺はてっきり男ができたんだとばかり……、でもそれなら話はぜんぜん違うわよ、だったらもっと――」

「エル、ちょっと我慢して、黙ってて」

 ユングヴィも声を大きくして「違う」と答えた。

 彼の――サヴァシュの名誉を守らなければと思った。サヴァシュにはそんな意図などなかっただろう。ちゃんとユングヴィの意思を確認した上でのことだ。

 それに今サヴァシュと身内の誰かが揉めるのはまずい。アルヤ軍はサヴァシュなしでは成り立たない。

 チュルカ人の男がアルヤ人の女を孕ませたとなれば戦争にもなりかねない。

「あのひとはそんなひとじゃない」

 ベルカナが「よかった」と漏らした。

「とりあえず、相手が誰かは分かっているのね」

 そして「教えてちょうだい」と詰め寄られる。

「黙っていても得することはひとつもないのよ。白状しなさい」

 絶対に言えないと思った。

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