第2話 ここにいて、私に触って

「ねえ、サヴァシュ」

 サヴァシュの手首を上からつかんだ。

「私、どれくらい寝てた?」

 サヴァシュが「三日くらいか」と答えた。

「私が寝てる間みんなどうしてた? 赤軍のみんなとか、タウリスのチュルカ人のみんなとか――ウルミーヤは、どうなった……?」

 そこでサヴァシュは何か考えたらしい。少しの間黙った。その間が気持ち悪くて、ユングヴィは「何さ」と唸った。

「いや、お前はもう戦況なんて知らなくてもいいんじゃないかと思ったんだが――」

「えっ、なんで?」

 顔をしかめる。

「私これでも赤将軍なんですけど。なんで軍隊にかかわることを将軍に内緒にすんの」

「――と言うと思ったから、説明してやることにした。やりかけのものを途中で手離すのは気持ちが悪いだろ、結末ぐらいは教えてやる」

 ほっとした。態度は女の子扱いであっても、ちゃんとひとりの責任感ある人間として見てくれている。彼の中にいるユングヴィは城の奥深くで何も知らずに育てられるお姫様ではないのだ。

「とりあえず、ウルミーヤは黒軍で押さえた。湖は俺についてきた蒼軍の先遣部隊が見張っている。赤軍とタウリスのチュルカ人たちの生き残りはみんな俺が回収してここに運んだ」

 胸の奥から安堵の息を吐いた。

「ウルミーヤにいたサータム兵は、俺らが着いた時だいたい二千くらいだったようだが、むかっときたので半分くらいは殺した。でも俺は理性的な将なので二百人ほど捕虜にして連れて帰ってきた。あとは武器を捨てて無様に逃げたので虐殺してもかっこつかないと思って見逃した」

「全体的にあんたは何を言っているんだ」

「タウリスはでかい町だし湖も含むウルミーヤ辺りまでこっちが優勢だからな、向こうはその全部を囲むためにさらにでかい輪を作ってる、全体を動かすのには苦労をするはずだ。ましてこの辺の村にはもう何にもない。加えて真冬の山越えなんて砂漠出身の帝国軍がそう簡単にやるとは思えない、援軍は当分来ないとみた」

 ユングヴィは眉間に皺を寄せた。

「え、ちょっと待って。タウリス囲まれてるの? そこに蒼軍の本隊どうやって入ってくる気なの?」

「もうタウリスにいる」

「ナーヒド大丈夫なの?」

「大丈夫どころか、あの野郎俺が知らないうちに突破したらしい。つまんねーな、助けを求めてきたら応援に行ってやろうと思っていたのに」

「今ぐらい仲良くやってよ!?」

 「問題はこれからだな」とサヴァシュが言う。

「蒼軍が二万の大軍だ。黒軍は五千騎。お前の子分どもやベルカナが連れてくる女たちを考えたら、中央から移動してきたアルヤ軍関係者が三万五千ぐらいだぞ。で、もともとタウリスにいる空軍が一万。それでタウリスの難民たちの世話も、となったら、はっきり言って食っていけない」

 突きつけられた現実に目眩がした。サヴァシュがはっきりと不利を口にするとは、と思うと背筋が寒くなった。

「それで、どうするの」

 声を震わせたユングヴィに対して、サヴァシュは何のこともない、いつもどおりの落ち着いた声で答える。

「短期決戦だな。こっちの腹が減る前にあっちを追い出す」

「可能なの」

「あっちは現時点でも相当腹が減っているはずだし、寒いし、四万のアルヤ兵に襲われたら無理だろ。ま、どっちにしても俺が敵将の首を獲れば終わりだ」

 サヴァシュが言うと可能に思えてくるから不思議だ。

「これ以上はもう細かいことを考えても無駄だ。あとは敵の本陣がどこかを確認する斥候を出して、見当がついたらもういい日を選んで山に雪が降っていない時に出陣する。ラームは食糧の計算係に降格」

 胸を撫で下ろした。十四歳のこどもに最前線の話を聞かせるのは嫌だったのだ――たとえラームテイン本人が乗り気であったとしても、だ。

「よかったあ。赤軍がしたことは無駄になってないんだねー……あとはもう黒軍と蒼軍に任せておけばいいんだねえ。ほんとによかったあ……」

 サヴァシュが、ユングヴィの頭を撫でている。

「――お前の方はどうだ」

 ユングヴィは少しだけ後ろの方を見て、「何が?」と問い返した。角度的にサヴァシュの顔は見ることができなかった。

「エルが言っていた。お前が体調を崩してる、って――吐いたとか」

 苦笑して頷く。

「緊張してるせいだと思う。戦争が始まってからずっと、もう、二ヶ月くらい?」

「二ヶ月? 何だそれ、もっと早く言え」

 「変な病気じゃねーだろうな」と言いつつ、サヴァシュの手が動いた。ユングヴィの額に、包むように触れた。

「少し熱っぽい――か?」

「そうかも、微熱っぽい? なんだかちょっとだるいのもある」

「っぽい、じゃない。自分のことだろ」

「ごめんなさい」

 額を覆っていた手を取り、自分の頬に押しつけた。

「でも、大丈夫。今はちょっとむかむかが減ってる気がする。サヴァシュが来てくれて安心したからだと思う」

 今度はサヴァシュが溜息をついた。

 サヴァシュの手が離れた。ユングヴィの背中にくっついていた胸も離れた。寝台が軋む。どうやら起き上がったらしい。

「何か食い物を持ってきてやる。何なら食えそうだ?」

 背中で枕を押さえつけるようにして、後ろを振り向いた。今度は慎重に動いたからかさほど強い痛みは感じなかった。

 腕を伸ばして、サヴァシュの手をつかんだ。

「いらない」

「食え」

「いいから、ここにいて」

 サヴァシュの動きが、止まった。

 ユングヴィは、やっと、素直に微笑むことができた。

「ねー、えっちなことしよ」

 間を置かずに「バカ」と言われた。

「そのぼろぼろのからだにつかよ」

「ええー……初めてした時は傷のひとつやふたつどうってことないって言ってたのに」

「俺が言ったのは現状のままでいいという意味であって、増やしていいとは言っていない」

 「お前な」と、唇を歪ませる。

「服が血で真っ赤で、手当てしても何日も起きてこなくて、今度こそ、死なせたかも、と思った」

「だいじょーぶだよ、私頑丈なんだよ」

「お前が寝ている間、俺は、お前の真っ青な顔を見て、本当にいろんなことをめちゃくちゃ考えたんだからな。もうちょっと、早く来てやれたら、とか。そもそも、行かさなければよかった、とか。――それくらいは、察してくれ」

 その言葉が、全身に染み渡っていく。傷口から体の中に入ってきて、身も心もすべて満たしていく。

 一度止まった涙が、また、溢れてきた。目尻からこめかみの方へ伝って敷布に落ちた。

「ここに、いて」

 三ヶ月ぶりに会えたのだ。

 生きていてよかったと、思えた。

「私に触って」

 サヴァシュがまた、溜息をついた。

 寝台に戻ってきた。すぐ傍に横たわった。

 腕を伸ばした。

 ユングヴィのからだを、ゆっくり、だが強く、とても強く、もう離れることなどないと思えるほど強く、抱き締めた。

「これでいいか」

 ユングヴィは頷いて、サヴァシュの頬に額を寄せた。

「もう一回寝ろ。完全に寝るまで、こうしていてやるから」

「うん……」

 そっと、目を閉じた。

「ありがとう」

 眠れるような気がした。

「――そうか、そうか。お前は俺といちゃいちゃしたいんだな……」

「あの、すべてを台無しにするようなこと言わないでくれます?」

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